白瀬南極探検隊員の紹介(船員)
●島 義武:事務長
●データ
島 義武 30歳
福島県
明治14年7月5日生
昭和37年3月14日没
■紹介
福島県宇多郡立谷村字北山162に生まれる。幼名 伏見清五郎。
明治30年4月8日、遠縁にあたる相馬郡松ヶ村大字原釜字大津144 島家に入籍。
明治33年7月 日比谷中学校卒業
大正5年6月 神職教習科卒業(皇典講究所)
縁あって、大隈伯爵の書生となり、早稲田大学や国学院で学ぶ。
探検隊に参加した動機として、次のように述べている。「南極探検によって前人未発の智聞を世界に伝えることは、至極危険なことではあるが、男子として雄壮にして豪快な事業といわねばならぬ」
事務長ということもあって、シドニーでは、ドッグに入っている開南丸船内に宿泊。
帰国後、「南極探検と皇大神宮の奉斎」を著わす。終生、天皇中心主義の提唱者であった。
昭和33年(戌年)当時土師田八幡宮宮司であった島は、発起人となり「南極皇化忠犬慰霊碑」建立を企てるが実現しなかった。
墓地 東京都中野区沼袋 禅定院
島 義武
父:伏見安次郎 = 母:伏見ハツ
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長女:伏見 次女:伏見 三女:伏見 長男:伏見義武 次男:伏見
▷──┐ 【1】
三男:伏見
養父:島 庄助 = 養母:島
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【1】 養子:島 義武 = 養子の妻:島
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長男:島 次男:島
島義武の甥(きょうだいの名前は不明)
甥:伏見義雄 = 甥の妻:伏見
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長男:伏見 = 長男の妻:伏見
| (福島県相馬市)
長女:伏見
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