会報

会報2:特別寄稿 大森洋平氏

特別寄稿
大森洋平氏

NHK ドラマ番組シニア・ディレクター (時代考証担当)  

 NHK秋田放送局に勤務していた昭和61年に、白瀬矗の生涯をたどったテレビ番組「はるかな雪原」を作りました。

この時、白瀬京子さんに初めてお会いしました。

第一印象は「口元と鼻筋が白瀬にそっくり!」でした。

白瀬は京子さんの大叔父です。

番組の随所で、京子さんに白瀬の思い出を語って頂きましたが、さすが白瀬本人にじかに接した人ならでの、迫力と説得力がありました。

 「南極のおじさん(白瀬のこと)は、囲炉裏に火を入れると、部屋の隅にスーッと下がって、火に絶対あたろうとしなかった」

「私の宝物だとお人形さんを見せたら『おじさんの宝物はこれだよ』と押入れ一杯の南極探検の資料を見せてくれた。目がとても優しかった。でもそれらは全て終戦後の混乱で失われました」

「『自分たちが旗を立てた大和雪原では、夜寝袋の中で寝ていても、もうその下で氷が軋る音が聞こえなかった』と言っていたから、死ぬまでそこが陸地であると信じていたと思います。(実は万年氷で、陸地ではない)」

しかし京子さんは、自身も日本女性として初めてヨットで世界一周を果した冒険家でもあるので、ただ白瀬を称えるだけでなく、南極探検準備の不十分さも批判して「白瀬は偉大な不成功者」と断定されたことが強く印象に残りました。

それでも最後は「私(わたくし)はやはり、南極のおじさんを尊敬しております」と締めくくられました。

 その後も手紙のやり取り等は長く続きましたが、再会の機がないまま、白瀬南極探検隊記念館の初代館長就任直前に亡くなられ、ついに一期一会になってしまったのが残念でなりません。

「朝はね、必ずブラックコーヒーを飲んで、一日を始めるんですよ」と微笑まれれたのが今も忘れられない思い出です。

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