来たる令和2年1月19日・20日の両日、仙台で調査活動を行います。
白瀬矗は26歳のとき、15歳の「管原やす」と結婚します。
彼女は宮城県仙台市の出身です。
彼女の情報が少なく、探検に明け暮れた矗の留守を守り、子供たちに最高の教育を提供しています。
しかし矗は、海軍大尉郡司成忠の千島探検計画に参加したが、報效義会からは一銭の給金も支払われなかったり、投書事件で予備役になり収入が途絶えたりします。その間彼女は大変な苦労をして子育てしたにちがいありません。
「やすのつながりのある人」から白瀬記念館に連絡があった事実を知り、連絡をして訪問することなりました。早速私たちは仙台に赴くことにしました。
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