活動白瀬隊を知らせたい

白瀬隊を知らせたい[3]

第3回「白瀬中尉を切手で顕彰」

 白瀬中尉について私が、はっきり認識できたのは1955(昭和30)年、大学1年生の時でした。東京での下宿で愛知県挙母町(現豊田市)出身の同宿者が、私が秋田出身と聞いて、「白瀬中尉(以下、「中尉」を記さない場合がある)が 自分の家の近くで10年ほど前に亡くなったことを知っている」というのです。

 白瀬について、ほとんど知識を持たなかった私は、驚きと同時に情無く思いました。そして、翌56年11月に第1次南極観測隊が出発(国際地球観測年の主要な事業である南極観測へ、第2次世界大戦の敗戦国日本が最初から参加できたのは、白瀬による南極探検という揺るぎない事実があったからこそ)したことを契機に、秋田の偉人白瀬を、趣味で集めている切手によって顕彰することを思い立ちました。

 それは白瀬中尉南極探検50年記念切手が発行された1960(昭和35)年から実質的にスタートしましたが、次のような内容です。

(1)これからも白瀬切手が発行されることを期待し、それを収集する。

(2)単に収集するだけではなく、発行を要請する。

(3)白瀬の業績を称える周年などに関連して、記念はがきの発行、記念スタンプなどの使用を要請する。

(4)収集した切手、記念スタンプなどを機会あるごとに展示し、白瀬の生涯や業績の周知に努める。

(1)と(2)に関しては、白瀬中尉南極探検50年記念(1種類)のほか、20世紀デザイン切手シリーズ・白瀬中尉の南極探検(1種類)、南極観測船しらせ就航記念(1種類)、南極地域観測事業開始50年記念(1種類・初代しらせが図柄)(以上日本発行)、白瀬中尉南極探検80年記念(2種類・中央アフリカ発行)の6種類があります。加えて、地方自治法施行60周年記念千円銀貨幣「秋田県」(白瀬の肖像を描く。平成24年1月に発行予定)の図柄をそのまま切手(1種類)に写したふるさと切手・地方自治法施行60周年記念シリーズ 秋田県(他の図案4種類とともに同一のシートに収める)が平成24年1月13日に発行されます。

(3)に関しては、記念はがきとして白瀬日本南極探検隊100周年(5種類組)、平成・私がお薦めする観光スポット・白瀬南極探検隊記念館(1種類)があります。記念スタンプは探検75年、80年、100年、白瀬生誕150年、南極観測船「しらせ」秋田港寄港など15種類ほどが、郵便局で公式印として使用されました。

(4)に関しては、切手コレクターの会である秋田郵趣会と郵便事業株式会社秋田支店との共催により、これまでに白瀬の名前を冠した切手の展示会を5回、切手、はがき、記念スタンプなどを展示した切手展を20回ほど開催しています。また、全国規模の切手展(東京・2010年開催)へ「白瀬中尉の南極探検・南十字星をめざして」を、南極観測50周年記念の「南極北極切手展」(東京・切手の博物館・2007年開催)へ「南極探検隊長白瀬矗と南極観測船しらせ」をそれぞれ私が出品し、白瀬の偉業のPRに努めました。

 さらに、秋田魁新報に私が執筆している「切手サロン」欄(毎週月曜日掲載)で、白瀬の生涯や偉業などを、あわせて20回ほど紹介しております。

 白瀬中尉南極探検100周年記念切手が発行されなかったことは、とても残念なのですが、白瀬日本南極探検隊100周年記念プロジェクト実行委員会が組織され、3ヵ年にわたって白瀬の生涯と業績を称える活動が行われていることは、とても喜ばしい限りです。

 わずか11歳で探検家を志して自分へ「5つの戒め」を課し、40年後にその夢を見事に果たした白瀬。予備役陸軍中尉の身分での壮挙を、人は「白瀬中尉の南極探検」と呼びます。白瀬中尉は秋田が生んだ最大の偉人であると思います。切手を通じて永く後生に伝えたいものです。

<図の説明>

 4枚のリーフは、文中に記した全国規模の切手展出品作品「白瀬中尉の南極探検・南十字星をめざして」の1部。このような展示方法は世界共通。

(注)切手の収集は、切手そのものだけでなく、はがき、差し出された郵便物、初日カバー、さまざまな郵便印(記念スタンプを含む)などを対象(世界共通)にしている。

筆者
白瀬日本南極探検隊100周年記念プロジェクト実行委員会 アドバイザー
秋田郵趣会 会長
加賀谷 長之

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