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●多田 恵一(ただ けいいち):書記長

■白瀬南極探検隊員の紹介(探検隊員)
多田 恵一ただ けいいち:書記長


●データ
多田 恵一 28歳
ペンネーム(多田春樹)
岡山県
生年月日不明
昭和34年10月17日没

■紹介

出身地 岡山県御津郡エヨ三村揚恵。

日露戦争に騎兵として従軍。生還した後、その拾った命を何か痛快な事業に投じて、国利民福に尽くしたいと考えた。

大隈重信伯爵と親交あり、白瀬矗と最初に面会した隊員(明治43年6月)。

出航に当たって心境を次のように詠んでいる(明治43年11月29日)

芝浦のしばし爰にたちわかれ
ゆくへはいづこしらなみのはて

多田という人物の筆まめさは敬服の一語に尽きる。「南極探検日記」、「南極探検実録」を著わす。航海中、船内誌「南潮」を発行する。

南極探検隊隊歌 多田 作詞

さして行衛は南の
地軸の果ての大氷野
船は名に負う開南の
重き任務を載せてゆく
棹す海路千辛の
寄するも何を恐るべき
辿る山河萬難の
迫るも争で厭はやむ

愛猫家で開南丸の船内で猫名「タマ」を飼っていたが、事故死。

開南丸船上では、得意の尺八を奏し、詩吟を謡い将棋は隊員中一番強く、右に出る者はなかった。

帰航時、花守にカタカナを教える。

探検後は、東京第二公園にあった芝区青年会館に「開南探検協会」事務所を設置した。


多田恵一
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長男:多田義典   長女:多田静江   次女:横地   
【1】                【2】(横浜市栄区)

【1】 長男:多田義典 = 長男妻:多田  
           ├────────┬────────┐
           長男:多田     次男:多田     三男:多田  
                   (群馬県富岡市)  (群馬県富岡市)

【2】 次女:横地    = 次女夫:横地  
    (横浜市栄区)  │
           長女:塚本  
           (横浜市栄区)

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