■白瀬南極探検隊員の紹介(探検隊員)
●花守 信吉:橇犬係
●データ
花守 信吉 33歳
アイヌ名:シシラトカ
樺太(現サハリン州)
明治7年生
昭和25〜30年に没
■紹介
樺太多来加の総代の末裔として生まれる。
代々総代の家系で探検後も総代を務める。
アイヌの言語学者知里真志穂博士に、多来加の説話を口述。
日本名は日露戦争後に大谷本願寺法主が樺太出張の際随行していただいたという。
敷香支庁長の勧めもあって、樺太犬10頭を引き連れ探検隊に参加。
天性無邪気で、愛嬌があり探検隊中の人気者であった。
白瀬の著書「南極探検」に山辺安之助と共に、性質温厚にして従順素朴にいたっては密かに学ぶところがあったと記している。
航海中、海水を汲み上げ風呂の準備をするのは花守の役目だった。南極に上陸した明治45年1月16日、クレパスに落下、土屋運転士に救われる。
突進隊の一員として、山辺とともに橇犬の馭者として、犬の世話、隊員の食事をつくる。
南極探検から帰国した花守は、大隈伯爵夫人に新聞紙に包んだ光沢のある南極鷹の羽を贈った。夫人は花守の素朴な心遣いに感心し、良い記念になると礼を述べている。
生年月日については、小樽新聞では、明治12年(1879)ごろ。金田一京助のメモによると明治7年(1874)とある。
北海道大学犬養哲夫教授によると、昭和25年(1950)~昭和30年(1955)まで生存。
花守信吉 【1】【2】
【1】 花守信吉 = 前妻:ナイロ(死別)
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長男:花守信太郎 長女:花守花子
【2】 花守信吉 = 後妻:サダ(離別)
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