白瀬南極探検隊員の紹介(船員)
●渡辺 近三郎:賄長
●データ
渡辺 近三郎 29歳
岐阜県
生年月日不明
昭和37年2月12日没
■紹介
日米航路の「日本丸」の船員であった渡辺近三郎は、白瀬南極探検隊に応募し食糧担当として隊員に加わった。 南極探検では、渡辺は、西川源蔵とともに、ロス海ホエール湾で白瀬隊長の5人の突進隊と別れて東航した開南丸の沿岸探検隊としてエドワード七世州を望むビスコー湾から内陸16キロまで入り、アレキサンドラ山脈の山すそに「大日本南極探検隊沿岸隊上陸記念標」(木製)を建てるとともに一帯を写真撮影した。
賄長としての記事が「婦人世界・第七巻第13号(大正元年11月1日)氷塊で飯を炊く―南極探検の料理日記―」に詳細に掲載されている。 「明治45年の正月元旦に船上で餅をつき雑煮をつくったところ、高波で鍋をひっくり返してしまいました。アザラシやペンギンを捕らえて食糧にしました。アザラシの肉は3回も水にして血抜きしてから味噌煮と照焼にして食べ、油は燃料に使いました。南極で食べたものは一度もおいしいと思いませんでした。日本に帰って何よりもおいしかったのは菜っ葉の香の物と野菜物でありました。殊に小笠原島で久しぶりに茄子の糠味噌漬けを食べた時は何ともいわれませんでした・・・・・・・。」
探検後は満州にわたりコック生活を続け、昭和37年2月12日埼玉県浦和市で肝臓ガンのため死去した。
■参考文献
「雪原に挑む白瀬中尉」渡部誠一郎著 平成3年4月23日 増補改訂第3刷 秋田魁新報社
婦人世界・第七巻第13号 (大正元年11月1日)
渡辺近三郎
渡辺近三郎のきょうだい
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長男:鳥居新太郎
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