白瀬南極探検隊員の紹介(船員)
●柴田 兼治郎:水夫
●データ
柴田 兼治郎 20歳
愛知県
生年月日不明
昭和13年4月26日没
■紹介
学歴・経歴等:南極記によると、郡司大尉の部下としてカムチャッカ、千島で活躍した経歴を持つとある。
隊の役職は水夫。第二次探検隊では嵐の中、傾斜35度以上に揺れる開南丸のマストの頂上に上り、トップマストの縛着作業に従事した記録や、花守隊員が射撃した大海豹の捕獲を試み、凍てつく南氷洋に裸で飛び込むなど、隊員・船員の中でも勇敢気鋭で鳴らしたと同記には5頁にわたって紹介されている。嵐の中大揺れに揺れるマストへ登って仕事をするのはいつも柴田水夫だった。
南極上陸後は、南極点を目指す白瀬隊長率いる5名の突進隊、エドワード7世州に上陸し沿岸の学術調査に当たった池田政吉率いる5名の沿岸隊、2名の根拠地観測隊にそれぞれ分かれて活動したが、野村船長が操る開南丸は、くじら湾を出て東に航行し地形調査を行っている。水夫である柴田は当然開南丸に乗船してこの調査に加わっており、成果としては、当時としては南極で最も東の西経151°20分に到達するとともに、くじら湾に戻る途中の湾を「大隈湾」と命名、「大和雪原」、「開南湾」とともに後にアメリカ地学協会の公認の地名となっている。
柴田は探検後、米国に密航し、帰国後鋼管会社で通訳をして昭和13年結核により没。
■参考文献
「南極記」 南極探検後援会長 大隈重信 産経新聞、産直ニュース、みちのくサンスポ
柴田兼治郎
父 = 母
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長女:柴田小萩 長男:柴田兼治郎 次男:柴田嘉一 次女:柴田みさを
【1】 【2】
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三男:柴田嘉重 四男:柴田 貢 五男:柴田作次
【3】 【4】
【1】 長男:柴田兼治郎 = 長男妻:柴田ハツ
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長女:柴田正子
【2】 次男:柴田嘉一 = 次男妻:柴田
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長女:伊東 次女:砂田 長男:柴田 次男:柴田
【2-1】 (神奈川県大和市) 【2-3】
【2-2】
【2-1】 次女:砂田 = 次女夫:砂田
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長女:砂田 次女:砂田
【2-2】 長男:柴田 = 長男妻:柴田
(神奈川県大和市) ├────────┐
長女:柴田 次女:赤嵜
(神奈川県大和市)
【2-3】 次男:柴田 = 次男妻:柴田
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長男:柴田 長女:柴田 次男:柴田
【3】 三男:柴田嘉重 = 三男妻:柴田一江
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長男:柴田 次男:柴田 長女:柴田 三男:柴田
【3-1】
【3-2】 長男:柴田 = 長男妻:柴田
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長男:柴田 次男:柴田
【4】 四男:柴田 貢 = 四男妻:柴田千鶴子
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長男:柴田 = 長男妻:柴田 長女:土井
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長男:柴田 長女:柴田
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