南極記デジタル書籍紹介

南極記:第一章 發端

第一章 發端

一發の實彈

 『百はつ空砲くうはうは一ぱつ實彈じつだんかず』とは世界的偉人大隈重信おほくましげのぶはくが、日本南極探檢隊一行の勇ましき南征なんせいを送るべく、品川灣頭わんとうに試みた悲壯ひそうなる告別演説の一句である。

 この一句中には、じつに百萬言まんげん長廣舌ちやうくわうぜつにも優れる深長しんちやうの意味がぐうせられて居た。

 當時たうじこの一語を送つた大隈老伯らうはくこゑは涙に打顫うちふるひ、其沈痛ちんつうの語と悲壯ひさう調てうとは、心ある聽者ちやうしやをしてそゞろに暗涙あんるいむせばしめたのである。

 當時此事業にたいする一般社會しやくわい狀態じやうたいるに、悲觀にあらざれば嘲笑てうせう嘲笑てうせうに非ざれば冷罵れいばであつた。

 老伯らうはく此悲觀このひくわんと、嘲笑と、冷罵とを以て『百發の空砲』であるとだんじた。

 しかして南極に向つて發射はつしやしたる『一發の實彈』の行衞ゆくゑおもむろに見守つて居た。

氷山遮㆑路船難㆑前

 しかるに其『實彈じつだん』は不幸ふかうにして結氷けつぴやうさへぎられ、烈風れつふうさまたげられ井上圓了いのうへゑんれう博士の所謂いはゆる日月不㆑照時不㆑利じつげつてらさずときりあらず氷山遮㆑路船難㆑前ひやうざんみちをさへきつてふねすゝみがたし』で、萬斛ばんこく血涙けつるゐを呑んで、むなしく濠洲ごうしうシドニーに引返したのである。

 老伯當時の心中は、そも如何いかゞであつたらうか。

 しかし老伯には、一片抜ぺんぬくべからざる牢乎ろうこたる信念があつた。日本國民には百折不撓ひやくせつふとうの勇氣があつた。

 『け、ふたゝけ、目的を達するまでは死すともかへるな、』伯は後援會を代表し、日本國民の意思を代表して、たゞちこの意味の電報をシドニーに送つたのである。

 天涯漂泊てんがいへうはく二十七27勇士、此一語に接して如何に感じたであらうか。

 そは素より論ずるまでもない事である。

 くて、運拙うんつたなくして、一旦濠洲に引揚げたる勇士は、シドニー郊外の露營に夢もあたゝかならず、半歳はんさいの間起臥きぐわして居たが、時きたつて、再び南征の途に上つた。

無事三萬餘哩の航海

八十度五分の日章旗

 更に幾倍いくばいせる勇氣を以て南征の途に上り氷山怒濤どとうと戰つて無事三萬餘哩まんよマイルの航海を遂げ南緯なんゐ八十805分の地に日章旗につしようきひるがへしてかへきたつたのである。

船として達し得べき最南點

 其旗をてし地點ちてんこそ、アムンドセン、スコットに比して遜色そんしよくもあれ、探檢船の到着せし地點は、船として達し得べき最南の地點である。

 本邦ほんぽうの航海史上に特筆大書すべき偉業を成就したるは、言ふまでもなく、本邦人の探檢思想を鼓舞し、世界的事業に指を染むるの端を開ひらかしめたるの功はぼつすべからざるものがある。

 老伯の所謂いはゆる一發の『實彈』は、果して相當そうたうの効果を奏そうした。

最初の世界的探檢

 大和民族がくわだてたる最初の世界的探檢事業としては、決してはづかしからざる効果を奏したのである。

 いでや讀者諸士どくしやしよし便益びんえきを計り、第二次計畫けいくわくに於ける、濠洲シドニー出發を起點として筆を起し、倒叙史とうじよしならひて、漸次ぜんじ第一次計畫の經過をぶる事としやう。

 あへこのむにあらず諸士しよしをしてすみやかに、氷山峨々ひやうざんがゞとして半空はんくうそびへ、旭日瞳々きよくじつどうゞとして晝夜沒ちうやぼつする事なき南極大陸の偉觀ゐくわんせつせしめんがためである。

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