南極記デジタル書籍紹介

南極記:第二章 南極圈突進の航海(原文)

  1. 第二章 南極圈突進の航海
      1. 開南丸再征の機来る
      2. 諸般の準備終了
      3. 最後の握手 甲板上別辭の交換
      4. シドニー山河に告別
      5. 萬歳の聲海上に湧く
      6. パースル灣の埠頭附近に一時停船
      7. 中空に掲揚されし信號檣
      8. いざさらば! 舷頭の君が代
      9. 再擧南征の第一歩
      10. 滑稽なる鳥釣
      11. 信天翁、縞鴎の群翔
      12. 鳥釣の成功
      13. 急雨の來襲
      14. 驚くべき信天翁の強力
      15. 初雪降り初む
      16. 冬支度整ふ
      17. 船員の髭白く長く凍結
      18. 右舷十哩に氷山現はる
      19. 氷山を避けつゝ前進
      20. 群氷中の縫航
      21. 氷塊舷端に衝突して大音響を發す
      22. 雪鳥の飛翔
      23. ペングイーン鳥舷側に集る
      24. 種々の形の氷山
      25. 流氷を溶解して沐浴す
      26. 遠雷の如き音終夜絶えず
      27. 海上一面の氷群
      28. 人力の限りを盡して進航す
      29. 壯觀無比の鯨群棲息
      30. 船は辛ふじて氷圍を脱す
      31. 流氷に海豹を發見
      32. 帆影高く南航を急ぐ
      33. 高さ三百五十尺の大氷山
      34. 海豹に一彈を見舞ふ
      35. 零點下の海中に海豹との大格闘
      36. 船は鞠の如く狂風に翻弄さる 後部帆檣の絶頂登攀
      37. 飲料水の欠乏を杞憂す 握雪を犬に與ふ
      38. 輓犬の箱詰生活
      39. 輓犬の悲鳴と噛合
      40. 深夜犬群箱を蹴破つて甲板を駈け廻る
      41. 船は群氷の包圍中に陷る 鋸状の大氷山現出す
      42. 愈々南極圈内に入る
      43. 水平線上に一大白光體見ゆ
      44. 猛烈なる大吹雪
      45. 不安は刻一刻と募る
      46. 船は西經に入る 終日大氷山より離るゝ事能ず
      47. 望皚々たる浮氷の野 奇聲天地の靜寂を破る
      48. 止むなく逆航に決す
      49. 一難去つて又一難
      50. 幹部會議開かる
      51. 船長海圖を披き指す
      52. 航路は予に十分の自信あり
      53. 群氷に沿うて進航 巨濤狂亂、天地物凄き光景
      54. 甲板上の餅搗
      55. 勇ましき杵の音 餅臼は醤油の空樽
      56. 木屑が餅の中に飛込む
      57. 氷山氷盤に包まれ進退谷まる
      58. 船は漸く血路を開く
      59. 氷盤の裂目より大海豹
      60. 四十四年も餘すところ三日
      61. 出帆以來の快晴
      62. 太陽水平線下に沒せず
      63. 鯨群は潮柱を立つ 甲板に集まりし鳥眼瞰
      64. 迎年準備成る
      65. 元旦來れり
      66. 船中の拜賀式
      67. 屠蘇に代ゆる葡萄酒の祝盃
      68. ストーブ會議に花を咲かす
      69. 海鳥を見て陸地の接近を知る 雲烟糢糊裡に山岳を認む
      70. 萬歳の絶叫
      71. 一行喜色満面に溢る
      72. 雄大なる陸影眼界に映ず
      73. 愈々南極の玄関口に来れり
      74. 陸影漸く展開す
      75. 火山岩の露出
      76. 鮮やかに眼前に立ちホエウエルの白姿
      77. 萬歳を三唱
      78. 波間に出没せるペングイーン鳥の一隊
      79. ボッセッション群島視界に入る
      80. 流氷の群來益々多し 深藍色の海波
      81. 靜穏なるロッス海
      82. 船は海流に乘じ居れり
      83. 非常なる雲形美を現す
      84. 銀山の倒影は長く海波に映ず
      85. 氷上に大海豹の横臥
      86. 海豹狩に出掛く
      87. 狩猟隊の萬歳
      88. 水晶島上の點々たる黑影
      89. ペングイン鳥狩
      90. ペングイン鳥との活劇
      91. 二人に二羽の取組
      92. 生擒の目的を達せり
      93. 珍客を捕虜室に好遇す
      94. 滑稽なるペングイン鳥の態度
      95. 初獵の祝盞を酌む
      96. 隊長は海豹料理の指揮役
      97. 海豹脂肪の燃料
      98. ペングイン鳥の胃中より小石を得
      99. 甲板は頬を裂かんばかりの寒氣
      100. 二百尺の大氷堤眼界に入る
      101. ペングイン鳥の聲に征旅の夢を亂さる
      102. 氷堤は恰も萬里の長城を望む如し
      103. 幻日現はる
      104. ペン先のインキ氷結す
      105. 南極特有の幻嶽
      106. 一隊の鯱群悠々舷側に來襲
      107. アイヌの鯱群禮拝
      108. 忽然山岳の如き大氷山現る
      109. 南極の崇高なる自然美
      110. 人事の最善を盡して已まん 目的の氷堤まで三四十哩
      111. 六尺棒を振翳して大海豹狩
      112. 海豹討伐隊の好成績
      113. 三十餘頭の海豹を乘せし氷塊
      114. 半月形を爲せる氷堤
      115. 氷堤の處々に洞穴及び龜裂あり
      116. 硝子棒を吊下げし如き氷柱
      117. 氷堤試験の實弾一發
      118. 希くは十二珊砲あれ
      119. 上陸し得べく見ゆる一灣あり
      120. 灣上實地蹈査の爲め端艇派遣
      121. 大海豹と格鬪の三十分間
      122. 四人の影高き氷堤上に現はる
      123. 海豹蘇生して頭を擡ぐ
      124. 水底に沈みし海豹
      125. 龜裂散在して突進不可能 花守アイヌの龜裂陷落 名刺を氷底に埋め歸航
      126. 『四人氷河』と命名 『開南灣』と命名
      127. 氷界無人の境に不思議の船影
      128. 近づけば其れ諾威探檢船フラム號
      129. 鯨灣の野氷上に投錨
      130. 灣内は一望廣濶
      131. 極鯨幾群となく現はる
      132. 氷の流出季節?
      133. 目高の如き魚の樓息
      134. 探検隊一行の服装 流汗淋漓として全身を濕ほす
      135. 二百尺以上の氷の峭壁
      136. 極地ならでは見られぬ凄壯の光景
      137. 辛ふじて一大氷塊に這ひ上る
      138. 頭上を仰げば氷堤の一部將さに落下せんとす
      139. 氷塊に壓せらるゝか深溪に陷るかの二途
      140. 命綱を曳き乍ら通む
      141. 萬歳萬歳の連發
      142. 墨繪の如き開南丸とフラム號
      143. 無人の淸淨界を踏破せんとする鐡脚
      144. 西方に凸起する雪丘
      145. 適當なる登攀地點
      146. 荷物の犬橇運搬
      147. 氷提道路の開鑿工事
      148. 大龜裂に架する手橇橋
      149. 黑きこと漆の如き容貌
      150. 船長のフラム號訪問
      151. 稀有の好晴續き
      152. 荷物を置きて野氷流失せんとす
      153. 猛烈なる雪塵の飛揚
      154. 危機一髪の氷上貨物取除作業
      155. 寒風を冐してペングイン鳥の捕獲に向ふ
      156. フラム號士官の開南丸訪問 此の如き船にては来り得ず
      157. 六尺棒を杖として登攀す
      158. 蟻の如く氷堤を上下す
      159. 浮模様の如く見ゆる氷片の流出光景
      160. 荷物の一部見るみる流失
      161. 防寒服上の雪片銀の鎧の如し
      162. 足元の氷頻に流れ出す
      163. 九死に一生を得たる危険
      164. 山邊アイヌと輓犬三十頭を乗せし氷流出せんとす
      165. 最初から最後まで二分間
      166. 氷塊の缺墜する大音響
      167. 濶然たる鏡面巍峨たる白壁を宿す
      168. 魚鱗の如き卷層雲
      169. 突進隊と沿革との袂別
      170. 昨日の堅氷今日の龜裂
      171. アイヌ式の睡眠法
      172. 上陸隊と母船との聯絡は斷たる
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第二章 南極圈突進の航海

開南丸再征の機来る

 だい次航海じこうかいさいし、結氷けつぴやうめ上陸不可能のゆゑもつ濠洲がうしうシドニーかう假泊中かはくちうであつた日本南極探檢船開南丸は、爾來同港じらいどうかうヂブリー船渠ドツクおいて新武裝を整へつゝあつたが。
 明治四十四44十一11十九19日、再征さいせい機來ききたつて、隊長以下二十七27名の隊船員と、一行二箇年分の糧食りやうしよくと、極地橇輓用きよくちそりひきよう樺太からふといぬ三十30頭とを搭載して、午後3いよいよ待ちこがれたる南征なんせい帆翼はんよくを張ることゝなつた。

諸般の準備終了

 隊長以下隊員は貨物の整理、船長以下船員は出帆しゅっぱんの準備と、此日昧爽このひまいさうから各々おのゝその部署にき、多忙をきはめて居たが、やがて、午前十一11時、チラホラと見送者みおくりしゃの姿が、甲板デッキに見ゆる頃には、すで諸般しょはんの準備はをはつて居た。

最後の握手 甲板上別辭の交換

 最後の握手あくしゅの爲めに來船らいせんした面々めんゝは、同情家どうじゃうかボースウヰッキ氏とその家族、顏馴染かほなじみ紳士淑女團しんししゅくじょだん江木えぎ氏夫妻および在留邦人有志いうし其他そのた篤志とくし外人等ぐわいじんなどであつたが、つゞいて午後2時、齊藤さいとう總領事代そうれうじだい三保副領事ふくれうじ夫妻、はやし書記生しょきせい日本人會にほんじんくわい幹事ならび會員等くわいいんとう約三十餘名よめい、デビッド、シドニー大學教授、シドニー植物園長及びその令嬢など來船らいせんし、日影麗ひかげうららかなる甲板でっきは、是等これら見送者みおくりしゃもって埋められ、別辭べつじ交換のこえにぎはつた。

 此日このひは快晴にくはふるに日曜なので、一見識けんしきなき外人ぐわいじんれんも、快艇ヨット輕舸ボートおもひゝに漕ぎ近づき、開南丸の周圍まわりめぐつて、海上から萬歳ばんざい絶叫ぜっきうして居る。

 間もなく警鈴けいれいは午後3時を告げた。
 見送の群衆は船を去つて汽艇ランチ其他そのた移乘いじょうする。

シドニー山河に告別

 此時このとき野村船長は水先案内者と共に、後部こうぶ船橋ブリッヂ立現たちあらはれ、汽笛きてき聲先せいまづシドニーの山河さんが告別こくべつひゞきつたへると、船首せんしゅにはエンャゝといかり卷く水夫の掛聲かけごえ勇ましくおこる。

 見送者みおくりしゃ中デビッド教授と、少數せうすう日本人とは、途中まで便乘とけつしたので、船は再度の汽笛を鳴らし、機關きくわんゆるやかなる運轉うんてんを開始した。

萬歳の聲海上に湧く

 船の徐航ぢよこうを始めると共に、萬歳ばんざいの聲は海上にき、船内からはこれおうじてさけぶ。

 隊長は軍服姿凛々ぐんぷくすがたりゝしく前部甲板デッキ上に佇立ちょりつし、この盛大なる光景に滿足せるものゝごとく、絶えず手の小國旗せうこくき打振うちふつて見送者の歡聲くわんせいに應じて居る。

 やがて船のシャークアイランド附近ふきんいたつた時、隊長は便乘のデビッド教授と三保副領事ふくりょうじ及び日本人會幹事連かんじれんと乾杯の後、一ぢゃう別辭べつじべ、露營中ろえいちう芳志ほうしに對する感謝状並かんしゃじゃうならび來國光らいくにみつ白鞘しらさやふりを記念の爲め、教授に贈呈そうていすると、教授は丁寧なる別辭べつじべ、總員そういんと握手ののち下船げせんし、これつゞいて他の便乘者べんじょうしゃも、汽艇ランチ移乘いじょうした。

 此間このかん日本人會汽艇ランチは、本船と同速度を以て駢進へいしんし、艇上ていじやうと、船上せんじやうとには軍歌隊歌ぐんかたいかの合唱絶間なく、其曲調の移る毎に、萬歳の聲は天地をゆるがせて湧き立つ。

パースル灣の埠頭附近に一時停船

 午後4二十20分、開南丸は、パースルベイ埠頭ふとう附近に一時停船した。

 此灣このわんは、隊長以下隊員が、過去7ヶ月間露營キャンプ生活を營んだ記念の地である。

 今や再征さいせい門出かどでさいし、其里人そのさとびと風光ふうくわうとに告別こくべつすべく、特に命令して停船せしめたのである。

中空に掲揚されし信號檣

 見亘みわたせば、棧橋上に群がれる、紳士淑女の一だんは、皆顏馴染みなかほなじみの人ばかり、白き手巾ハンカチーフ、黑き帽子を打振うちふりゝ萬歳の聲と共に見送つて居る。おくらるゝ一同は、そゞろに、故郷をするの思ひにへぬ。海岸近くのドクター・リード氏の信號檣しんがうしようには、中空高ちうくうたかく『安全なる航海と成功とを祈る』との萬國信號ばんこくしんがう掲揚けいやうせられ、同時にリード氏の汽艇ランチは波をつて來船らいせんし、熱誠ねつせいなる別辭べつじを述べられた。

 停船二十20分間の後、午後4四十40分再び前進を始めた。

 ときしも夕陽せきやうなかぼつし、暮風蕭々ぼふうせうゝとして別離べつりの情をせつならしめた。

 船がワツトソンベイ沖合に進航すると、海岸に立並たちならべる、見送人みおくりにんは、しきりに萬歳を連呼しつつあつたが、やがて燈臺船とうだいせんを右に見、港口かう〱に近づけば、外洋がわいやうの波、やうやく高い、隊長は見送りの汽艇ランチに向ひ

いざさらば! 舷頭の君が代

 『いざさらば、此處こゝにて永別ファーウエルげん』とて、づ一ぢやう挨拶あいさつを述べ船上、艇上ていじやうの一同はたがひ舷頭げんとう立並たちならんで『君が代』を合唱し、隊長の發聲はつせいにて、祖國そこくの萬歳を三し、こゝに、征く者と、送る者との永別グードバイは告げられた。

 水先案内者みづさきあんないしゃ下船げせんと共に、開南丸は汽走きそうを早め、南岬サウス、ヘッドを廻つて、外洋に出たが、をりしも北東きたひがし順風徐じゅんぷうおもむろに來つたので、新調しんてう三角帆スリーコーターセールは、しろく暮れゆく洋上やうじやうに展開され、東南の針路に向つて心地よき帆走はんそうを始めた。

再擧南征の第一歩

 再擧南征さいきょなんせいの第一歩は、くして踏出ふみいだされたのである。

P60

 シドニー出帆後しゅっぱんごの開南丸は風波ふうは無事二週夜しうやを送つて、十二123日をみづそらなる洋上やうじやうむかへた。

滑稽なる鳥釣

 出帆以來しゅっぱんいらい無聊むりやうに苦んで居た隊員連たいいんれんは、此日このひ午餐後ごさんご船尾せんびおいて、滑稽こっけいなる鳥釣とりつりこゝろみ、少しく連日の積鬱せきうつさんずることが出來た。

信天翁、縞鴎の群翔

 朝來てうらい雲翳うんえい正午しやうごいたつてさんじ、うららかなる好晴こうせいとなつた。すると船尾せんびの方には珍らしくも信天翁しんてんおう縞鴎等しまどりなど無數むすう群翔ぐんしやうしつゝ、船をうてる。

 これは陸地の近い證徴しるしで、船は今新西蘭ニュージーランド西南端せいなんたんあたる、オークランド群島ぐんとう附近を航走こうそうして居るからである。

 最初、此群鳥このぐんてうを認めた安田船工やすだせんこうは、一けい案出あんしゅつ魚釣針うをつりばり薫豚ハム白味しろみを附け、細長いひもをば二三十2,30けん手繰てぐつて、船尾せんびから海上かいじやうへと流して見たところ計略けいりやくむなしからず、信天翁しんてんおうの一群は、たがひくちばしそろへて、珍味は拙者せつしゃ賞翫しゃうぐわんと先きをあらそうて、釣針つりばり薫豚ハムついばむ。

 船からは得たりかしこしと、徐々ぢよゝひもはじめるのであるが、少しあせらせ氣味ぎみで一氣にはひかぬ。

 信天翁しんてんおうの方では此珍味このちんみいつしてたまるものかとばかりくちばしを開き羽翼うよくひろげたまゝで、なみれゝにうてけ出す。

 やがて先鋒せんぽうの一てうが、待ち兼て一トくちくはへて中天ちうてん舞上まひあがらうとすると、ドッコイうは問屋とんやおろさないと、船からはいさゝか強く曳き初める途端とたん釣針つりばり口内こうない引掛ひつかゝる。信天翁しんてんおう閉口へいこうでなく、開口かいこうしていたいゝでむをず、釣針つりばりひかながら、けてて、ひも船尾せんびたつし、海面かいめんはなれても、らるゝまゝに、羽翼うよくひろげて居る。

 此場合最このばあいもっと注意ちういえうするのは、決して其羽翼そのうよくげんふれさせぬことで、じつ危機きゝ一髪の呼吸である、安田船工やすだせんこううとは知らず、最早獲物もはやえもの手中しゆちうの物と、油斷ゆだんして曳上ひきあげたから、遂に逃げ出され、折角の苦心くしん畫餅ぐわへいに歸した。

 此安田式新案鳥釣法このやすだしきしんあんとりつりはふは、見るゝ數名すうめい模做者もほうしゃによりて、實行じつかうされ出した。

 しかいづれも危機一髪、九分九厘といふところで、羽翼うよく舷邊げんぺんれさす爲めに取迯とりにがすので。

『アッ失敗しまつた、殘念ざんねん!』のこゑは、口々に順を追うてとなへられる。

鳥釣の成功

 安田船工やすだせんこうは、發明者はつめいしゃたるの名譽めいよまつたふせんが爲めとあつて、苦心惨憺くしんさんたんいくたびかの失敗しっぱいのちつと一げると、他の失敗連しゆつぱいれんは、益々焦慮ます〱せうりょし、うしても一つてやろうと苦心くしんするが、何時いつきはどい瀬戸際せとぎはげられてしまふ。

 一體信天翁たいしんてんおうは、一めい阿呆鳥あほうどりはれるけに、あま悧巧りこうでない。

 一度からふじて虎口ここうだつしても、一かふりず、ふた引掛ひつかゝる。じつに氣の毒なものである。

 かく此鳥釣このとりつりは、獲物えものの一きよどうえるから、尋常じんじやうを釣以上つりいじやうの興味がある。

急雨の來襲

 久方振ひさかたぶり此釣遊このつりあそびも、結局けっきょく安田船工やすだせんこうの一だけで、此日このひは、にわかに來襲らいしゆう急雨きううの爲めに、中止された。

 よく四日もさいはひの快晴くわいせい鳥群ちやうぐんも前日にばいして多數たすうなので、午後から釣翁つりおう船尾舵室せんびだしつ後方こうはうに列を作つた。

 よくかゝるがたよくげるので、成績せいせき昨日きのふと同様、ところがこゝに抜群ばつぐん功名こうめうおさめたのは三井所衛生部長みゐしよゑいせいぶちやうである。

 つひ苦心くしんすゑ釣上つりあげたのは、すこぶだいなる一信天翁しんてんおうであつた。

 重量二貫目ぢゆうりやうくわんめ兩翼りやうよくの長さ7しゃくといふ稀有けう逸物いつぶつなので、一同は歡聲くわんせいを揚げ、此日このひこの一羽をたのみで中止ちうしされた。

驚くべき信天翁の強力

 此大信天翁このだいしんてんおうは、武田學術部長たけだがくじゅつぶちやう村松むらまつ西川にしかわ兩隊員等りやうたいいんらの手で、つと水中に押付けて窒息ちっそくけいしよしたが、此鳥却々このとりなかゝ強力ごうりきで、平素力自慢へいそちからじまん面々めんゝも、屡次惡戰苦闘しばゝあくせんくとうした位である。

 滑稽奇抜こっけいきばつなる鳥釣とりつりきやうんでから、や一週夜しうやて、十二12十一11日のあさとなつた。

p65

初雪降り初む

 一さく9日は、氣温きおん結氷點けっぴょうてんくだり、さく10日にはさら幾度いくどかの下降かかうを示し、初雪はつゆきさへ、チラゝしたので、今日けふ寒氣かんき豫想よそうせられた。

 そこで安田船工やすだせんこうは、船首せんしゅ流氷見張所りうひやうみはりじょ新築しんちくれうし。

冬支度整ふ

 甲板通路デッキつうろ要所えうしょには、歩行ほかう安全あんぜんたもめに、さん打付うちつけ、海圖室前チャートルームまへにはむしろき、前部食堂ぜんぶしよくだうには暖爐ストーヴはじめるなど、冬支度ふゆじたくすでとゝのへられて居た。

 果然くわぜん今朝けさ非常ひじやうなる嚴寒げんかんである。

船員の髭白く長く凍結

 上甲板じやうかんぱん飲料水槽いんれうすいそう底板そこいたには、氷柱つららさがつて見える。

 たう直船員ちょくせんいんひげも白く長く凍結とうけつして居る。

 そらあほぐと一天隈てんくまなくき曇くもり、時々霙交ときゞみぞれまじりの雪片せつぺん霏々ひゝとして降つて來る。

今日けふあたりは氷山ひやうざん出現しゅつげんしさうだ』など船室せんしつうはさして居ると、午前10三十30分頃に、見張所みはりじよに居た釜田水夫かまだすいふは、大聲おほごゑげて、『氷山ひやうざんえるゝ、』とさけんだ。

右舷十哩に氷山現はる

 今次航海こんじこうかいける最初の氷山とて、總員さういんは降りしきる雪の中を甲板デッキ立出たちいで、右舷うげん10マイルばかりの沖を流るゝM字形エムじけいの氷山に視線をそゝぐ。

 何分南極地方なにぶんなんきょくちほう夏期かきのことゝて、流氷りうひやう半解はんどけの姿である。

 あまだいなるものでもなかつたが、其透明體そのとうめいたい碧波へきはえいじてたゞよ雄大ゆうだいなるさまは、相變あひかはらず、一かう活氣立くわつきだたせる景色けしきであつた。

 いで、午後2時、安田船工やすだせんこうは、矢張右舷やはりうげん三四3,4個の流氷を認めたが、それからは時々刻々じゝこくゝ續々ぞくゝと出現し、其光景そのくわうけいさながら、白色艦隊はくしょくかんたい堂々舳艪どうゝじゅくろ相卸あひふくんで來襲らいしゆうするがごとじつ莊嚴雄大そうごんゆうだいである。

 其光景そのくわうけい莊嚴雄大そうごんゆうだいなるけに、危險きけんはなはだしいので、前部上甲板ぜんぶハウスには下級船員かきうせんいん後部上甲板こうぶハウスには高級船員こうきうせんいんたがひ交代かうたい歩哨ほせうに立つ事となつた。

氷山を避けつゝ前進

 當直船員たうちょくせんいんえず、甲板デッキ左右さいうして、海上かいじやう注視ちうしすると共に歩哨ほせうよりの報告ほうこくては、『卯舵ッスタボール』『酉舵ッボール』『垂直舵ッステレー』と、舵手だしゅ號令がうれいし、衝突しょうとつけつゝ前進する。

p67

 ほどなく雪歇ゆきやみ、一群の流氷りうひやう去つて、安心あんしんおもつたはつかの間、午後9時頃から、流氷りうひやう來襲以前らいしゅういぜんよりもおびたゞしく。

群氷中の縫航

 つひふねぐん氷中ひうちう縫航ほうこうするにいたつた。

 來襲らいしゅう流氷りうひやういづれも融殘とけのこりで、其形状そのけいじやうは千状萬態じやうばんたいである。

 すなはもんごときもあり、小山こやまごときもあり、釣鐘つりがねに似て圓頂ゑんちやうなるものや、靴底くつそこの如く中部ちうぶ凹形おうけいなるものや、に千差萬別さばんべつで、たい氷山屹ひやうざんきつとして聳立しゆうりつするかとれ、氷盤平ひやうばんたいらかに浮出うきいだし、みねあり、ほらあり、三かくあり、四かくあり、じつ形容けいようなき奇觀きくわんである。

氷塊舷端に衝突して大音響を發す

 此氷群中縫航このひやうぐんちうはうこ苦心くしんは、到底筆紙とうていひつしつくさない。こと氷塊ひやうくわいが、航路こうろさへぎる時、ふね舷端げんたん衝突しようとうして、突如砲聲とつぢょほうせいたる異響ゐきやうはつする光景ありさまは、まつた凄愴せいそう極度きよくどで、總員そういん神經しんけいとみ興奮こうふんした。

 此氣味惡このきみあし異響ゐきやうのうちにれ、けて、翌十二12日となつたが、相變あひかはらず雪空ゆきぞら流氷りうひやう多々益々海上たゝます〱かいじやう浮遊ふゆうして居る。

 船は此中このなかをば、右に避け、左にてんじて、れいごとひゆくのであるが、船首せんしゅ氷塊ひやうくわいあたひゞきは、斷續だんぞく度益々急どますゝきうとなり、せうなる氷塊ひやうくわい衝突しようとうしては、船首之せんしゅこれに打勝うちかつてくだくが、だいなる氷塊ひやうくわいつては、とき進航しんこう停止ていしされることもある。

 くて結局けつきょく氷群ひやうぐんめに、進航速力大しんこうそくりょくおほい阻害そがいせられ、縫航苦心ほうこうくしんの度は、時々刻々じゞこくゝくははるのみである。

 此時このとき風波全ふうはまったえ。

 緩漫くわんまんなる潮水てうすいは、悠然ゆうぜんたる上下動じやうげどう無數むすう流氷りうひやうあたへて居る。

雪鳥の飛翔

 どすくろ雲中うんちう純白じゆんぱくいろあるは、南極産なんきょくさん雪鳥スノー、バーズ飛翔とびかけるので、皚々がいゝたる氷山上ひやうざんじやう此處こゝ彼處かしこ、に無數むすう黑點こくてんは、はずとれた名物めいぶつのペングインてうである。

ペングイーン鳥舷側に集る

 このペングインてうは、れい滑稽こつけいなるあゆみはこんで、いづれも船を珍しげに打眺うちながめ、なかには水中すいちうくゞつて舷側げんそくきたりガァガァと駄味聲だみごゑはつしては、甲板デツキ飛上とびあがらうとするもあれば、或時あるときふねを追うて近づかんとするも、船脚ふなあしはやきと潮流てうりう工合ぐあいとで失望しつぼうし、中途ちうとからとの流氷りうひやうおよかへるもあつて、先生却々愛嬌せんせいなかゝあいきやう眞似まねをやる。

 此邊海上このへんかいじやう氷塊ひやうくわいは、氷餅ひやうぺいとはちがひ、盤状ばんじやうではあるが、周圍不規則しうゐふきそくであつて、上部じやうぶにはやはらかゆきいたゞいてる。

種々の形の氷山

 たまには高さすうしゃく周圍數丁しうゐすうちやうわた氷山其間ひやうざんそのあいだこんじ、こゝろみに、眼に入つたゞけの、形状を形容すると、洋風建物やうふうたてものごとき、軍艦型ぐんかんがたせる、眼鏡橋型めがねばしがたなる、さては食卓狀しょくたくじやうなるなど種々いろゝ奇形きけいあらはして居る。

 此大このだいなるはう流氷りうひやうは、氷堤アイスバリア破片はへんであつて、せうなるはうすなは氷塊氷盤ひやうくわいひやうばんおほくは水面上すいめんじやう3呎位フヰートぐらゐであるが、皆冬期海岸みなとうきかいがん張詰はりつめられたる野氷やひやう夏期かきいたくだけて流出りうしゆつしたるものである。

流氷を溶解して沐浴す

 此夜このよ十一11時、花守はなもりアイヌは、流氷りうひやう小塊せうくわい拾集しうしうしてかせたので、總員そういんかはるゝ久振ひさしぶり沐浴ゆあみをなし、出帆以來しゆつぱんいらいつもれるあかあらおとした。

 すゝむにしたがひ、流氷愈りうひやういよいおほく、ふね惡戰苦闘あくせんくとううちあかしてよく十三13日をむかへた。

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遠雷の如き音終夜絶えず

 遠雷ゑんらいごとく、砲聲ほうせいごとき、こほり船首せんしゆとの衝突しようとつおとは、終夜少しうやすこしの絶間たえまもなく、ドシーンとつきあたつては、ザーゝとげんきしおとが長くつゞく。

 やうや其音そのおとが消えるとまたあたらしくドシーン。

 寢臺ねだいよこたはつて此音響このひゞきを聞くと、あたかたる外側そとがはから、ぼうつゝかれて居る心地がする。

 船體せんたい其都度そのつど猛烈もうれつなる反動はんどうと、氣味惡きみあしき動搖どうえうとをおこし、じつ不快且不安ふくわいかつふあんかぎりであつた。

海上一面の氷群

 甲板デッキに出て見ると、大小だいせう氷群ひやうぐんは、海上かいじやう一面をおほひ、前後左右ぜんごさいうたゞぱくふねれを突破とっぱして進んで居るのであるが其等それら群氷ぐんひやうは一夜のうちにいちじるしく其厚そのあつさを增加ぞうくわし、せうなるものは船の進航しんこうさへぎり、ちうなるものは船を停止ていしせしめ、だいなるものは船をしてはげしき震動しんどうともに一二寸退却すんたいきやくせしむるほどで、其航行そのこうかう困難名状こんなんめいじやうすべくもない。

人力の限りを盡して進航す

 よつて船は、るべくあつ箇所かしよけて、薄弱はくじやくなる箇所かしよえらび、左縫さほう右折うせつ苦心惨憺くしんさんたん人力じんりよくかぎりをつくして、進んでゆく。

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 一てんおほ白鉛色はくえんしよくくもは、ひく海面かいめんあつし、見亘みわたかぎ重疊起伏ぢゆうでうきふくせる氷塊ひやうくわいの形状は益々奇態ますゝきたいしめし、高臺かうだいごときあり、逆鋒さかほこてしがごときあり、また白毛氈しろもうせん敷並しきならべたるがごときもあつて、ちかこれのぞめば壘々るいゝたる奇岩怪石きがんくわいせきの一大集合だいしうがふで、とほこれのぞめば萬里ばんりわた茫漠ぼうばくたる一大氷野だいひやうやごとくである。

壯觀無比の鯨群棲息

 此大氷野このだいひやうや處々しよゝ碧色へきしょくていするは、こほりなき蒼海そうかいの一部で、其處そこには幾條いくすじ汐柱遠近しほばしらゑんきん立並たちならび、此邊海上鯨群このへんかいじやうげいぐん棲息夥せいそくおびたゞしいことが知られて、壯觀無比そうくわんむひである。

船は辛ふじて氷圍を脱す

 午後2時、一ぢん雄風吹ゆうふうふきたるとともに、船はからふじて氷圍ひやうゐだつし、其全そのまった氷軍ひやうぐんはなれて、漫々まんゝたる碧波上へきはじやうすべたのは午後7時であつた。

 しか流氷りうひやう稀少きしようになつたとふのみで、依然斷續いぜんだんぞくして流れてる。

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 其流氷上そのりうひやうじやうには、れいのペングインてう、三々五々立並たちならんで船をながめ、しろ信天翁しんてんおうくろ南極鷹なんきよくだかの一群は、高く低く飛翔ひしようしつゝ、流氷りうひやううてる。

流氷に海豹を發見

 次第しだい進航しんこうする途上とじやう漂來たゞよひきたれる一流氷上りうひやうじやうに、悠然身ゆうぜんみよこへて、春夢しゆんむさにこまやかなる二頭の海豹かいへうあるを發見はつけんしたので、船からは2人の射手互しやしゆたがひ射撃しやげきし、8ぱつ彈丸だんぐわん其長驅上そのちやうくじやうあびけた。

 しか海豹かいへうは、すこぶ平氣へいきなもので、一發毎ぱつごとくびげては四圍まわり見廻みまわし、何處どこ惡戯小僧いたづらこぞう石片いしきれげて、吾輩等わがはいら安眠あんみんがいするかとはぬばかり、くびれてしまふ、これには船上せんじやう射手しやしゆ張合抜はりあひぬけして、大切の彈藥だんやく空費くうひするも無益むえきわざと、其儘射撃そのまゝしやげき中止ちうしした。

帆影高く南航を急ぐ

 くて船は帆影高はんゑいたか南航なんこういそいだが、妖魔えうまきやうにもたる南極海なんきょくかいこととて、何時如何いついかなる危險きけん遭遇そうぐうするやも知れずと船員せんいん警戒嚴重けいかいげんぢゅうきはめ、各員寸時かくいんすんじ油斷ゆだんもない。

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 午後8時頃じごろいたり、突如とつぢょでう怪光くわいくわうは、赫灼かくやくとして船の右舷うげんてらし、これ同時にどうじみやく奇寒きかんは船をおそうて俄然總員がぜんそういん戰慄せんりつせしめた。

 一どうおどろいて、甲板デッキて見ると、いま稀有けう大怪物だいくわいぶつは、右舷うげん1マイル海上かいじやう出現しゆつげんし、ごと夕陽ゆうひびて、さんたる光輝くわうきはつしてる。

高さ三百五十尺の大氷山

 此怪物このくわいぶつは、たか三百五十350しゃく周圍約しうゐやく6マイル大氷山だいひやうざんで、氣温爲きおんために華氏くわし7度以上どいじやう急劇きうげきなる下降かかうしめした。

 此最大氷山このさいだいひやうざんは、底部ていぶでは一のものであるが、海面上かいめんじやうには二分劃ぶんくわくしめし、碧瑠璃へきるりごと海水かいすいは、其間そのあいだたゞようてる。其前方そのぜんぽうなるは、一大山岳だいさんがくごとく、これつゞける後方こうはうの一部は、兀然てつぜんとして圓塔ゑんたうごとそびえ、怪姿堂々くわいしだうゝとして、急潮きうてう漂流へうりうしてる。

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 其光景そのくわうけい莊嚴そうごんとも雄大ゆうだいともほとん形容けいようがない。

 田泉技師たいづみぎしは、たゞちに活動寫眞くわつどうしやしん撮影さつえいし、學術部員がくじゅつぶいんこれ測量そくりやう從事じゆうじし、隊員たいいんあらそうてスケッチブック鉛筆えんぴつはしらせるなど甲板デツキ非常ひじやうなるさわぎであつた。

海豹に一彈を見舞ふ

 大氷山だいひやうざん出現しゆつげんから3日目の十六16午前ごぜん9四十40分、突然甲板上とつぜんデッキじやうに一ぱつ銃聲じうせいおこつた。

何事なにごとッ?』と飛出とびだして見ると、花守はなもりアイヌは、おりしも右方うはうげんる一頭の海豹かいへうむかつて、一だん見舞申みまひまをしたのであつた。

零點下の海中に海豹との大格闘

 其處そこをりよくとほあはせた最少年さいしょうねん柴田船員しばたせんいんは一頭の海豹かいへうが、花守はなもりアイヌの一だん見事みごとせなけ、海水かいすい鮮血せんけつめてりもえず、苦悶くもんていなのをつて、いそ着衣ちやくい腹部ふくぶに一でふ命索ライフ、ロップいて、『花守君はなもりくんたのむぞ』とふやいな、ざんとばかり海上かいじやうへ一足飛そくとび躍込をどりここんだ時、甲板デッキにはおほくの見物客來集けんぶつかくらいしうして、いましも、シャツ一まいのまゝ海中かいちうで、身長しんちやう6しやくもあらうといふ海豹かいへうと、大格闘中だいかくとうちう柴田船員しばたせんいんに、『しつかりれッゝ』と聲援せいえんあたへてる。

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 此時海上このときかいじやう風波全ふうはまったおさまり、ふね漂泊中へうはくちうであつた。

 大海豹だいかいへううへ手疵てきづうてるから、獅子奮迅しゝふんじん猛勢もうせいである。

 柴田船員しばたせんいん此勁敵このけいてきにもくつせず、たくみにいかれるきばながら、接戰數合せつせんすうがふわたつたが、何分なにぶん海水かいすいは、攝氏せつし零下れいか5ふん低温ていおんであるか、3分間の戰闘せんとうつゞけたのち、いざ捕縄とりなはたうとする一刹那せつなてつけなん猛烈もうれつなる寒氣かんきに、流石さすが勇士ゆうしも四自由じゆううしなひ、つひ遺憾ゐかんなが退いた。

 甲板デッキでは、『ソラけ!』と、命索ライフ、ロップ手繰たぐつて柴田船員しばたせんいん甲板デッキまで曳上ひきあげたが、激戰苦闘げきせんくとうたにもかゝはらず、身體からだには少しの負傷けがもない。

 勇悍ゆうかんなる柴田船員しばたせんいんいましもてきか、水底深みなそこふかもぐらうとするのを見て、『殘念ざんねんだなァ』と切齒はがみながら、同僚どうれうともなはれ、暖氣だんきを取るべく寢室しんしつへとくだつた。

 此柴田船員このしばたせんいんは、かつ郡司大尉ぐんじたいゐ部下ぶかぞくし、東察加カムチャッカ千島等ちしまとう北洋ほくやう荒波あらなみうできたへた勇士ゆうしである。過般このあいだ隊員連たいいんれんが、稀有けう大動搖だいどうえう辟易へきえきして、船室内せんしつない蟄居ちっきょ最中さいちう甲板上デッキじやう武田部長たけだぶちょうが、『諸君見給しょくんみたまへ、輕業以上かるわざいじやう大輕業おほかるわざだッ』とさけんだこゑに、何事なにごとならんとて見ると、程之ほどこれ輕業以上かるわざいじやうである。

船は鞠の如く狂風に翻弄さる 後部帆檣の絶頂登攀

 あたか十一11廿九29日の事であつた。

 夜來やらい激浪げきらう益々ますゝ狂暴けうぼうたくましふし、船はさながまりごとくに翻弄ほんらうせられ、傾斜計けいしゃけい三十五35度以上どいじやうしめすといふ、出帆以來しゅっぱんいらい大動搖だいどうえうであつたが、此最中このさいちう柴田船員しばたせんいんは、職務しょくむとはながら、大危險だいきけんをかして、後部帆檣こうぶマスト絶頂ぜつちやうのぼり、上檣トップ、マスト縛着作業ばくちやくさげふ從事じうじしたのである。

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 すべてにおいて、勇悍氣鋭ゆうかんきえい柴田船員しばたせんいんは、今日けふ海豹かいへうとの格闘かくとうに、武名ぶめいかゞやかしたので、隊長たいちやうとく果物くだものくわん褒賞ほうしようとしてあたへた。

飲料水の欠乏を杞憂す 握雪を犬に與ふ

 節約せつやく節約せつやくかさねて飲料水いんれうすいも、ほどなく缺乏けつぼうげるらしいので、13回づゝ多量たりやうみづ輓犬共ひきいぬどもに、不自由ふじゆうあらせじとの懸念けねんから、山邊やまべ花守はなもり兩犬奉行りやういぬぶぎやうは、ふね群氷圈ぐんぴやうけんつて以來このかた連日舷側近れんじつげんそくちかくになが氷片ひやうへん引揚方ひきあげかたらうし、雪後せつごには、日陰ひかげ融殘とけのこつた積雪せきせつで、握飯にぎりめしならぬ握雪にぎりゆきこしらへて、犬共いぬども分配ぶんぱいしてやるなどすこぶ輓犬ひきいぬ健康保護けんこうほごつとめた。

 此輓犬このひきいぬ三十30頭は、船内せんない收容以來しうよういらい山邊やまべ花守はなもりりやうアイヌによりて、朝晝夕あさひるゆう3回、甲板デッキ曳出ひきだされ100目許めばかりにしんます干物ひものと、みづとをあたへてるが、毎時いつはこから曳出ひきだをりは、却々なかゝ騷擾さわぎえんずる。

輓犬の箱詰生活

 せま窮屈きうくつ箱詰生活ほこづめせいくわつ餘儀よぎなくせしめられて犬共いぬどもると、この13回の自由じゆうが、けの愉快ゆくわいであるかれぬ、それ故愈々ゆゑいよいよぽうひらかれたが最後さいご彼等かれらは、きに飛出とびださうとするのみならず、ほこ犬等いぬらも、一はやせま天地てんちからひろ世界せかいたいとあせり、える、うなる、む、はこるでじつみゝらうせむばかりの喧囂けんごうきはめる。

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 これもつと無理むりがない、平生輓犬等へいぜいひきいぬら押込おしこめられて小舎こやといふは、都合つがふ3あるがその1甲板物置場デッキギヤリー前右方まへうほうに、たか6尺長しゃくなが5尺奥行しやくおくゆき3じやく5すん2だん仕切しきこれ10とう收容しうようし、その2海面室チャート、ルーム前方機關部ぜんぱうきくわんぶ右方うはう短艇前ボートまへ3間許げんばかり板圍いたがこひをなし、これ十四14頭を收容しうようし、その3は、其板圍そのいたがこひ前面ぜんめんに高さ3じゃく5寸幅すんはゞ6尺奥行しゃくおくゆき3じやくくわくをなし、これ4頭を收容しうようしてある。

 ところこれでは2頭の收容場しうようぢやう不足ふそくである。

 よつ臨時りんじ學術室がくじゅつしつ外側そとがわぼくして、野天生活のてんせいくわつをなさしめてる。

 もっとこの2頭にたいしては、出帆早々しゅっぱんさうゝ適當てきたう小舎こや新築しんちくしてやるはづであつたが、何分連日なにぶんれんじつ大傾斜だいけいしゃめに、大工仕事だいくしごと意外いぐわい延期えんきせられ、あめには次第しだい怒濤どとうには次第しだい畜類乍ちくるゐながらもさぞかし不快ふくわいであらうとさつせられる。

輓犬の悲鳴と噛合

 かる窮屈且きうくつか慘澹さんたんたる生活せいくわつであるから、はこなか連中れんぢうでも傾斜けいしやはなはだしいときには、5寸乃至すんないし1しゃくづゝは、箱中はこなかたがひすべころげ、身體しんたい身體しんたいとの不快ふくわいなる衝突しようとつをなすゆゑに、其都度そのつど悲鳴ひめいげ、噛合かみあひはじめる。

 わけて野天生活のてんせいかつ2頭は、不快ふくわい不安ふあんとのめ、日夜吼にちやほさけこゑは、すくなからず、隊長室並たいちやうしつならび學術室がくじゅつしつ人々ひとゞ安眠あんみんがいした。

 しか此厄介千萬このやっかいせんばんなる輓犬ひきいぬ世話せわにんずるりやうアイヌのらうおもひ、犬其いぬそのものゝ境遇きやうぐうさつしたならば、不平ふへいはれす、またぱうからかんがふれば、此喧囂このけんごうえうするに犬群けんぐん強壯きようそう實證じつしようするわけであるから、迷惑乍めいわくながらも心強こゝろづよおもはれた。

 さて、もともどつて、此等これら犬共いぬども甲板デッキ曳出ひきいたされると、彼等かれら狂喜けうきして、右方左方うはうさはう飛廻とびまわる、犬奉行いぬぶぎやう之等これらを一てい場所ばしょつなあつめるまでには、すくなからぬ骨折ほねをりで、こと犬共いぬども習慣しうくわんとして、おの小舎内こやうちでは用便ようべんせぬから甲板デッキすと、かなら放尿ほうによう脱糞だつぷんする。

 それがさら場所ばしょえらばないから、犬奉行いぬぶぎやう彼等かれら食餌しよくじみづとをあたへ、三四十3,40分をて、地獄ぢごく古巣ふるすない追込おひこんでのち甲板掃除デッキそうぢは、随分ずゐぶんつらいお役目やくめはねばならぬ。

深夜犬群箱を蹴破つて甲板を駈け廻る

 それも、一日三回だけでめばよいが、時々深夜犬群ときゞしんやけんぐんが、はこ蹴破けやぶつて、甲板デッキまわ其度そのたびれい放尿脱糞ほうにょうだっぷん所嫌ところきらはずよごまわるから、これ追込おひこんで、後始末あとしまつをする勞苦らうくけつして尋常じんじやうでない。

 しか職務しよくむ忠實ちうじつなる犬奉行いぬぶぎやうは、犬群けんぐん嬉々きゝとして打騷うちさわぐのをゆびさながら。

れからの航海こうかいは、益々寒地ますゝかんちむかふのであるから、いぬいま元氣げんきなら、前回ぜんくわいとは反對はんたいに一頭もころさず無事極地ぶじきょくち上陸じやうりくさせる事が出來るであらう』と、髭武者面ひげむしやづら得意とくい微笑びせううかべてかたる。

 山邊やまべ花守はなもり、のりやうアイヌは、日夜本職にちやほんしょくいぬ世話せわらうした上に掛替かけかへにはかなら船員せんいんともはたらき、學術部がくじゅつぶ小使こづかひをも、兩人交代りやうにんかうたい兼務けんむし、其他隊員そのたたいいんにも立交たちまじつてなにくれと立働たちはたらくのである。

 りやうアイヌのつね勤勉きんべん精勵せいれい忠實ちうじつなるには、總員そういんひとしく感謝措かんしやをあたはざるところである。

 こゝにあはれもよほしたのはれい野天生活のてんせいかつの二頭である、十二121日の夜半やはん三十30度以上どいじやう大傾斜最中だいけいしゃさいちうくだん2頭は數回すうくわい怒濤怒濤びたとえ、全身ぜんしんづぶれになりて、學術室がくじゅつしつ忍入しのびいつた。

 これあまりの苦痛くつうに、なは飛込とびこんでたのであつた。

 室内しつないの一同は、一しゅ臭氣しうきによりていぬ入來にふらいり。

 點燈てんとうしてるとはたしてれい2とう、さも憐哀あはれみふのもゝごと如何いかにも同情どうじやうへぬので、くさいがかく宿やどゆるしてやつた。

船は群氷の包圍中に陷る 鋸状の大氷山現出す

 一たび群氷海ぐんぴやうかい脱出だつしゆつしたる開南丸かいなんまるは、十二12二十20日午後2時、またもや群氷ぐんぴやう包圍中ほうゐちうおちゐつた。

 船員せんいんどうは一こくはやこれ横斷おうだんせんものと、死力しりょくつくしたかひあつて、四十40分間の苦闘くとう後漸のちやうや碧海上へきかいじやう脱出だっしゅつするをたが、やがて、午後4時にいたるや、突如右舷とうぢようげん鋸状のこぎりじやう大氷山現出だいひやうざんげんしゆつし、同時に大吹雪おほふぶき來襲らいしうした。

愈々南極圈内に入る

 ふね急遽針路きうきよしんろてんじ、南東東東東北なんとうとうとうとうほくと、寸進尺退すんしんせきたい數回すうくわい掛替かけかへおこなとう非常ひじやうなる苦心くしんもつ航走こうさうしたが、夜一夜よひとよ難航なんこうのちよく二十一21日にいたつて、やうや正南せいなん針路しんろこうするにいたり、午前8東經とうけい百七十七177度線どせんから、いよい南極圈内なんきょくけんない進航しんこうした。

水平線上に一大白光體見ゆ

 しかるに、午前十一11時、ふねみづも一凍結とうけつするかとおもはるゝ一みやく奇寒きかん同時どうじ針路しんろ水平線上すいへいせんじやう大範圍だいはんゐわたる一白光體現出はくくわうたいげんしゆつし、次第しだい眼界がんかい近接せつきんしてる。

 ると、一大氷山だいひやうざんである。

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 ふねではおほいおどろいてたゞちに船首せんしゆ北東ほくとうてんじたが、從來未じうらいいまかつざる大氷山だいひやうざんで、其高そのたか六十60尺位延長何十哩しやくぐらゐえんちやうなんマイルたつしてるかわからぬ。

 ふねでは其末端そのまつたんたつせんものと、航走こうそういそぐのであるが、すゝめどもゝさら末端まつたんない。

猛烈なる大吹雪

 くはふるに猛烈もふれつなる大吹雪おほふぶき數次來襲しばゝらいしう波浪亦はらうま立騷たちさわいで、おほい進航しんこう困難こんなんきたした。

此氷山このひやうざんはなれて南進なんしんしたら、ロッスかいであらう』と船長せんちやうふ。

不安は刻一刻と募る

 しか何時いついたればまつたはなるものか、前途全ぜんとまつたはかるべからずで、くはふるに前面ぜんめん靴形くつがた大氷山だいひやうざんあらはれ不安ふあんこくこくつのるのみである。

 其日そのひ終日しうじつ其夜そのよ終夜しうやごと氷山ひやうざん右舷うげん見乍みなが東東北とうゝほく針路しんろ航走こうそうした。

 が相變あひかわらず末端まつたんずして、よく二十二22日となつた。

船は西經に入る 終日大氷山より離るゝ事能ず

 ふね午前ごぜん1時、百八十180度線どせんえて西經せいけいつたが、此日このひ終日大氷山しうじつだいひやうざんからはなれることきず、よく二十三23午前ごぜん2やうや其東端そのとうたんおぼしきてんた。

 ふねはそれより南東なんとう航路こうろつたが此長氷山このちやうひやうざん非常ひじやうなが氷堤ひやうてひくづちて、てもれざるほど大氷山ばいひやうざんつたものとなもはれる。

望皚々たる浮氷の野 奇聲天地の靜寂を破る

 流氷りうひやうすゝむにしたがやうやひくく、いづれも大氷盤だいひやうばん群集ぐんしうせるものとなり、船は一望皚々ぼうがいゝたる浮氷ふひやういつた。

 氷上ひやうじやうつもれる雪中せつちうには、ペングイン鳥海豹てうかいへうあそぶもえ、奇聲きせい氷又氷こほりまたこほりつたうて天地てんち靜寂せいぢやくやぶつてる。

止むなく逆航に決す

 れい苦心多くしんおほ縫航ほうこうで、此氷野このひやうや前進ぜんしんすること2時間にわたつた時、又々群氷またゝぐんぴやう來襲らいしうを受け、前進頗ぜんしんすこぶ危險きけんとなつたので、むなく逆航ぎやくこうけつし、急遽船首きうきよせんしゅ東北とうほく針路しんろに向けた。

 今日此頃けふこのごろ航海こうかいは、一たび群氷ぐんぴやう截抜きりぬけると、氷山ひやうざん出現しゆつげんひ、からふじて氷山ひやうざんけてすゝまふとすると、またもや群氷ぐんぴやうさえぎられる。

一難去つて又一難

 前門ぜんもん猛虎もうこ後門こうもん兕狼きようらう、一難去なんさつてまた難斯なんかくて連日れんじつ難航なんこうめに、船長始せんちやうはじ船員せんいんおもなる連中れんぢうは、心身過勞しんゝくわらう結果けつくわ強度きやうど神經衰弱しんけいすゐじやくなやまんとするにいたつた。

 『先日來せんしつらい海上かいじやう狀態じやうたいからさつすると、ふねあまりヴヰクトリア州近しうちかくをこうするよりも、むしふか西經せいけい航入こうにふし、エドワード七世陸せいランド沿うてすゝかた得策とくさくである。

幹部會議開かる

 今航いまこうしつゝある此海上このかいじやうは、エドワード七世陸方面せいランドはうめんより、氷堤アイス、バリアしたあらひ、ヴヰクトリアしう沿うてながるゝ海流かいりうめに流氷りうひやうおほくは此處こゝ集滯しうたいするものであらう』とのせつ學術部がくじゆつぶよりでたので隊長たいちやう午后ごゞ3時より船尾室せんびしつおいて、幹部會議かんぶくわいぎひらくことになつた。

 其會議そのくわいぎ模様もやうの通りである。

船長海圖を披き指す

 隊長『今日こんにちまで船長せんちやう苦心くしんはお察申さつしまをす、しか隊長たいちやうとしては、一こくも早く上陸じやうりくがしたい。またデビット教授けうじゆ注意ちういをも參考さんかうしたく、學術部がくじゆつぶよりの意見いけん參酌さんしやくねがひたい』。

すると船長は海圖を披き指し乍ら

 船長『最初余さいしよよ頭惱づのうゑがいたかんがへでは、アドミラル山脈さんみやくの一ほうサビネざんを一度見どみ航路こうろさだむ目的もくてきであつたが、氷盤ひやうばんの一たいさへぎられて、さず、たますきもあらばみなみみなみへと突進つきすゝまんと焦慮せうりよしたが、途中群氷とちうぐんひやうめにいくたびかさまたげられ、みぎひだりけ、つね群氷ぐんひやう右方うはうつゝ此處こゝまで進航しんこうきたり、今日けふ經度けいど百八十180度線どせん往來わうらいして居る。昨今さくこん機關きくわん修繕中しうぜんちうであるから、明日あすから汽走きそうもつ流氷りうひやうけつゝ、此針路このしんろ南進なんしんするはづである。この二三2,3日の狀態じやうたいかんがふるに十分南進ぶんなんしんきるとしんずる』

 武田學術部長『デビッド教授けうじゆせつによると現在船げんざいふねのある地點ちてんへんより西經せいけい南寒帶流みなみかんたいりゆうしたがつてななめにエドワード七世州せいしういたり、さら潮流ちようりゆう利用りやうして鯨灣ホエール、ベイくがなりとの事だ。かくせんことを希望きぼうする』

 隊長『西經せいけい群氷ぐんひやう沿うて南進なんしんしても、又前途またぜんと群氷ぐんひやうある時は、五十50海里位北航かいりぐらゐほくこうし、ほそれにても血路けつろなき時は、むをぬから群氷りうひやう氷山ひやうざん研究けんきうげてかへることになつても、これ詮方せんかたなき事である』

航路は予に十分の自信あり

 船長『諸君方しよくんがたけの決心けつしんればよろしい。しか船長せんちやうとしては西經せいけいふかすゝめば、エドワード七世陸せいランドたいよりの氷堤アイスバリアが、すう100マイル突出とつしゆつりて、ふたゝ西歸せいきするのまなぶことのあるやもれざるををそるるのである。かくごとき事とならば、航海者こうかいしやとして天下てんか嘲笑てうせうまねぐにいたるであらう。昨年さくねん前回ぜんくわい)の航路こうろは、に十分の自信じしんがある。不幸ふかうにして、不結果ふけつくわをはつても、其方そのほうおな心配しんぱいをするにしても、國民こくみんたい申譯まほしわけつことになるとおもふ』

群氷に沿うて進航 巨濤狂亂、天地物凄き光景

 以上いじやうごとく、甲論こうろん乙駁おつばく討議とうぎかさねた結果けつくわごと判決はんけつとなつた。

 (判決はんけつ東經とうけい百八十180度、西經せいけい百七十170度のあひだから、群氷ぐんひやう沿うて進航しんこうすること。

 くて、ふね東航とうこう汽走きそういそいだ。をりしも南風頗なんぷうすこぶつよく、密雲益々暗憺みつうんますゝあんたんとなり、飛雪粉々ひせつふんぷん巨濤狂亂きよとうけうらん天地物凄てんちものすご光景くわうけいていした。

p91

甲板上の餅搗

 十二12二十六26午前ごぜん1時から、中部甲板ちうぶデッキおい餅搗もちつきはじまつた。

 炊事場すゐじばには、いさましく蒸汽スチーム大釜おほがまうへに、安田船工やすだせんこうつた2蒸枠むしわくせられてあつて、其外側そのそとがはには、「初春はつはる壽立ことぶきたつやかまうへ」とか、「松竹梅しようちくばい」とか、「目出鯛めでたい」とか、吉祥きつしよう文字もんじしるされてある。

 かままへには渡邊厨夫わたなべコツクや、安田船工等やすだせんこうらが、餅米もちごめ世話せわあんごしらへとの最中さいちうで、西川隊員にしかはたいいん高川船員たかがわせんいん兩人りやうにんは、いましもうすから、うつしたもち俎板まないたせ、こなをふるやら、でるやらで、供餅拵おそなへごしらへにいそがはしい。

勇ましき杵の音 餅臼は醤油の空樽

 甲板デッキると、柴田船員しばたせんいん花守はなもりアイヌの兩名りやうめいは、調子てうしよく雙方交互さうはうかたみがはりおろす。

 そばには後鉢卷うしろはちまき藤平火夫長ふぢひらくわふちやうが、しきりにきねしたをくぐつて、手返てがへしをする。

 ところ杵音きねおと却々勇なかゝいさましいが、うもおろしたときおとわるい。

 何故なぜかとおもつて、ると、これ尤千萬もつともせんばんだ。餅臼もちうす醤油樽しやうゆうだるいたのでかゞみ取去とりさり、そこ圓木まるきうづめ、其中そのなか帆木綿カンパスいてあるといふ、廃物利用はいぶつりよう品物しなものである。

 それ故搗手ゆゑつきてちからわりに一向餅かふもち粒々つぶゞえない。

 それから其儘そのまゝでは動搖ぐらつくので、2しやくばかりの高さある船艙せんそう水除みづよけへ頃合ころあいだいとも鉼留かすがひどめにしてある。

 かく不完全乍ふくわんぜんながらも一生懸命しやうけんめい知恵袋ちゑぶくろしぼつたことけはられる。

 そこでうで一ぱいのちからいてるうちにはうかふかもちになるがふね動搖どうえうする、寒氣かんきはげしいとるから、却々なかゝ骨折ほねおりである。

 さて柴田しばた花守組はなもりぐみの一うすむと、つぎ三井所みゐしよ村松むらまつ新組しんぐみ入代いれかはつてはじめると、其最中そのさいちう雪片霏々せつぺんひゝとしてんでる。

木屑が餅の中に飛込む

 大降おほぶりにならぬうちにと、きねはやめやうとすると、杉丸太すぎまるたきねは、幾度いくたびうす緣邊ふちあたり、木屑きくづもちなか飛込とびこむといふ次第しだいつと一うす生命いのちから〲をはると、つぎ渡邊わたなべ鎌田組かまだぐみで、杉崎船員すぎさきせんいん手傳てつだふ。

 それがむと其次そのつぎ武田たけだ多田組たゞぐみといふふうくて都合つがふ5もちをはつたのは午前ごぜん6時頃であつた。

 餅搗もちつさわぎて、にぎはつて甲板デッキは、一としきりの降雪かうせつしろくなつた。

 やがて、それがむと、前日午前頃ぜんじつごぜんごろからすこなくなつて流氷りうひやう姿すがたが、たチラ〱と針路しんろあらはれてた。

 そして午前ごぜん9時には、またもや群氷ぐんひやう包圍はうゐけた。

氷山氷盤に包まれ進退谷まる

 ふね右曲うきよく左折させつはん汽兩走きりやうそう長時間ちやうじかん苦闘くとうの後、からふじて脱出だつしゆつたが、午后ごゞ5時にいたつて、たか三百300しやく周圍しうゐ2哩位マイルくらゐ氷山ひやうざん右舷うげん二三2,3マイルばかりに出現しゆつげんすると同時どうじに、三四3,4町乃至ちやうないし10町位ちやうくらゐ氷盤ひやうばんは、ぐんして來襲らいしうし、船體せんたいこれ進航しんこうさへぎられるととも背後うしろよりもつゝまれてしまひ、進退維しんたいこきわまつてしまつた。

 此時西川隊員このときにしかはたいいん安田船工やすだせんこう山邊やまべ花守はなもりりやうアイヌの4人は、船から氷盤上ひやうばんじやうり、シャビル、バケットをもつゆきすくひ、4斗樽並とだるならびに犬の料水槽れうすいおけはこび込んだ。

船は漸く血路を開く

 此機敏このきびんなる動作どうさのうちに、船はやうや血路けつろひろき、からうじて突貫つきぬけることをた。

 最初汽走さいしよきそうのみの時、前進ぜんしん阻止そしされてしまつたので、をりからの風力ふうりよく利用りようし、總帆そうはん展開てんかいして、やうや突進とつしんしたので、氷盤上ひやうばんじやうゆき掬集すくひあつめは、早手業はやてわざであつたのだ。

 くてホッと一トいきもなく、だい2氷群ひやうぐん來襲らいしゆうした。

 しかさいはひにして今回こんくわいのは、すこやはらかで、小型こがたであつため、前回ぜんくわいして容易ようい突貫つきぬけることをた。

 しかほねれたのは前回同様ぜんくわいどうやうであつた。

 此時このとき輓犬ひきいぬ1頭をこゝろみに氷盤上ひやうばんじやうおろすと、いぬよろこんではしまわつたが、結氷けつぴやう薄弱けつぴやうなる部分ぶぶんへ行くと、前肢まへあし海中かいちうはまりさうになるので、尻込しりごみするさますこぶ滑稽こつけいであつた。

氷盤の裂目より大海豹

 此時下方このときかはう氷盤ひやうばん氷盤ひやうばんとのあいだから2回程海豹くわいほどかいへうくびしたので、花守はなもりアイヌは早速銃さつそくじうつてたうとしたが、れつりで、くびさなかつた。

四十四年も餘すところ三日

 恨多うらみおほ明治めいぢ四十四44ねんも、あま處纔ところわづかに3日なる十二12二十九29日は朝來雲翳てうらいうんえいなく、出帆以來しゆつぱんいらい快晴くわいせいなので、甲板デッキ出帆以來しゆつぱんいらいにぎはひをていし、洋々やうゝたる喜色きしよく靄々あいゝたる和氣わきは、開南丸かいなんまる滿ちた。

 波瀾はらんたる平和へいわは、ける平和へいわである。船長せんちやうは船の安全あんぜんめに人事じんじかぎりをつくさうとする。

 隊長たいちやう少々しようゝ危險きけんをかしても上陸じやうりくいそがうとする。

 いづれもとも此事業このじげふせいした人、けつした人である以上いじやう雙方さうはうに五分々々ぶゝはある。

 そこで双方さうはうたがひゆづつて、隊長たいちやう船長せんちやういそがせながらも其人そのひとしんじ、船長せんちやう隊長たいちやうりやうとして、益々努力ますゝどりよくたかめる。

出帆以來の快晴

 くしてやうや連日れんじつ氷圍ひやうゐだつし、今日けふさいはひにも無氷海むひやうかいり、出帆以來しゆつぱんいらい快晴くわいせいむかへ、こゝに双方さうはうは、おたがひ事業じげふめに議論ぎろんまじへたかひあらはれたのをわらつてよろこんだ。

 これこそしん平和へいわである。

 しかして幹部かんぶ融合ゆうがふすなは部下ぶか融合ゆうがふである。

 前途ぜんとには目的もくてきのロッスかい目捷もくしようあひだひかえてる。

 油斷ゆだん出來できぬがづ〱此分このぶんならば大丈夫だいぢやうぶと、總員そういん出帆以來しゆつぱんいらい愁眉しうびひら連日れんじつ難航なんこうかたぐさとした。

太陽水平線下に沒せず

 太陽たいやう前日頃ぜんじつごろから頭上づじやう環狀くわんじやうゑがくのみで、さら水平線下すいへいせんかぼつしない。

 まつたくの永晝えいちうである。

 甲板デッキより見亘みわたす四はう海面うみづらは、波收なみをさまつて一ぺん氷痕ひやうこんもなく、ふね和風わふうりつゝ南進なんしんしてる。

鯨群は潮柱を立つ 甲板に集まりし鳥眼瞰

 行手ゆくてなみ間時々鯨群まときゞげいぐん潮柱しほばしらて、それが日光いつくわうえいじてうるはしきにじいろどる。

 さて、甲板デッキあつまつた連中れんぢう行動かうどう鳥眼瞰バアド・アイ・ヴィユしめすと、隊長たいちやう多田たゞ村松むらまつ兩隊員りやうたいいんめいじて蓄音機ちくおんきみゝたのしませてる。

 當直船員等たうちょくせんいんら各々甲板上おのゝデッキじやう作業さげふらうしてる。

 花守はなもり山邊やまべりやうアイヌは、池田學士いけだがくし寢袋裁縫ねぶくろさいほう餘念よねんなく、床屋とこやはさみをバチかせて、非番船員ひばんせんいんかみをチョキ〱やつてる。

 安田船工やすだせんこう海深計かいしんけい製作せいさくをなし、天狗連てんぐれん圍碁ゐご二三2,3彌次馬連やじうまれん取圍とりかこまれてきやうかせてる。

 三井所部長みゐしよぶちやう寫眞機しやしんき革細工かはざいくこゝろみ、武田部長たけだぶちやうはコンパスの差異さゐ調しらべてる。

 なかにはじうにして甲板デッキ右往左往うわうさわうするものあれば、欄平てすりつてくもなみのスケッチに夢中むちうになつてものもある。

 しかして此等これら連中れんぢう田泉技師たいづみぎしは、一々活動寫眞くわつどうしやしん撮影さつえいしてる。

 甲板デッキ處々しよゝにはまれふた快晴くわいせいとて、好機逸こうきいつすべからずと、ひさしく日光につくわうさらさなかつた寢具しんぐつらねてある。すべてがふして長閑のどかさうである。

 太平たいへいらしくへる。

 ところが、此平和このへいわは、天候てんこう劇變げきへんもつある南極なんきよく海上かいじやうとて、ひさしきにわたることをゆるさなかつた。

 午後ごゞ4太陽ごゞが一ぺん雲中うんちう其光そのひかりかくすととも寒氣急かんききうくははり、やがて午后ごゞ10時にいたるや、吹雪ふぶきさへ襲來しうらいした。

 そして半雪半曇はんせつはんどん天候てんこうは、よく三十30日と、翌々よくゝ三十一31日とにつゞき、氣溫きおんいちじるしく下降かかうし、ふね傾斜けいしやえず三十五35度位どくらゐたつした。

迎年準備成る

 しか此日このひ快晴くわいせいは、總員そういん健康けんこう增進ぞうしんしたかれぬ。

 こと此日このひ利用りようしてとゝのへられた迎年げいねん準備じゆんびは、風雪ふうせつの日の10日以上かいじやう相當さうたうするものであつた。

元旦來れり

 元旦ぐわんたんた。

 希望多きぼうおほき明治四十五45年の元旦は來た。

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船中の拜賀式

 總員そういん爽昧よあけより起出おきいて、隊服隊帽整然たいふくたいぼうせいぜんとして、隊長室たいちやうしついたり、上兩陛下かみりやうへいか御眞影ごしんえい禮拜らいはいし、いで各員互かくいんたがひに新春しんしゆん慶詞けいし交換かうくわんした。

 門松〆飾かどまつしめかざりのない元朝ぐわんてうではあるが、前途ぜんと光明くわうめうかゞやいてとしはじめとて、一夜明やあくればかは
るのことわざれず、總員そういんかほにはなんとなく元氣げんきあふれてて、わらひさゞめくこゑも、おのづから活氣くわつきびてかれる。

屠蘇に代ゆる葡萄酒の祝盃

 午前7三十30分、雑煮ざうにいはひはじまつた。

 下戸げこ上戸じやうごも、一さん葡萄酒ぶどうしゆ屠蘇とそさかづきへ、さていは雑煮ざうに椀數わんかずもちかず2年振ねんぶり故郷ふるさとあぢはひ鱈腹賞翫たらふくしようぐわんし、厨夫コックせわしげに餅焼もちやくさまも、新春しんしゆんの一畫題ぐわだいである。

 午前10時から甲板上デッキじやうで、はるかに皇居くわうきよむかひ、遙拜えうはいしきげるはづであつたが、南風猛烈なんぷうもうれつきはめ、怒濤甲板どとうデッキあらふといふ始末しまつゆゑ、むをず一兩日延期りやうにちえんきすることにした。

 正午しやうご一同は祝儀しゆうぎ引出物ひきでもの分配ぶんぱいした。

 添付てんぷされたる目錄もくろくひらくと、するめ1枚、淡雪あはゆき餅米製菓もちごめせいくわ1箱、たい1、ビスケット十五15枚とある。

 一同はたいとあるのは、いづ滓漬かすづけ乾物ひものたいであらうとおもつたところが、はからんや、たいまをすは立派りつぱ大鯛おほだい焼物やきものおどろくなかれした8といふ稀代きたい大鯛おほだい正體しやうたいぎすけ煮△△△にと知れたので、ドッといふ哄笑こうせうこゑ船内せんないみなぎわたつた。

ストーブ會議に花を咲かす

 角風波かくふうはあらいので、室内餘興しつないよきやう延期えんきけつし、煖爐會議ストーヴくわいぎはなかせてこのじつくらしたが、よく2いたつても、強風きやうふう依然いぜんとしてすさんでる。

 しかなみだけはやわらいだやうである。

海鳥を見て陸地の接近を知る 雲烟糢糊裡に山岳を認む

 甲板デッキると、空翔そらかける海鳥漸かいてうやうやおほく、ふね陸地りくちちかづいたことがわかる。

 夕刻花守ゆうこくはなもりアイヌは、南方雲烟糢糊なんぱううんえんもこあひだに、山岳さんがくみとめたとつたが、一てん曇色濛々どんしよくもうゝとしてつひ實測じつそく出來できずにしまつた。

 くれば3今日けふ快晴くわいせいで、波濤靜穏はとうせいおん軟風徐なんぷうおもむろに海面かいめんき、水禽すいきん羽翼はがひ長閑のどかさうにえる。

萬歳の絶叫

 午前ごぜん7時、島事務長しまじむちやうは、『りくだッ〱、りくが見えたぞッ』と、よろこばしげに各室かくしつまわつたので總員そういんはドヤ〱と上甲板じやうかんぱんあつまりいづれも萬歳々々ばんざんゝ絶叫ぜつきやうして景氣けいきづく。

一行喜色満面に溢る

 とりわけ隊長たいちやう喜面きめん船長せんちやう欣顏きんがんとは出帆以來しゆつぱんいらい血色けつしよくていした。

 わた寒風かんぷう凛烈りんれつたるなか佇立ちよりつしてはるかに針路しんろ見亘みわたすと、卷層雲けんそううん切間きれまから、白姿はくし連山糢糊れんざんもことしてあらはれ、はりごと高峰かうほう絶巓奥ぜつてんおくへ〱と立並たちならぶ。

雄大なる陸影眼界に映ず

 此雄大このゆうだいなる陸影りくえいは、幾多日いくたじつみづくもこほりとの外何者ほかなにものをもなかつた總員そういんにはまたなくなつかしき景物けいぶつとしてえいじたのである。

p100

愈々南極の玄関口に来れり

 『いよ〱南極なんきよく玄關口げんくわんぐちたのだ群山ぐんざん吾等われら出迎でむかへてるのだ』とおもへば、心躍こゝろおどりておぼえず痛快つうくわい!をさけびたくなる。

 是等これら群山ぐんざん連峰れんぽうは、サウスヴヰクトリアランド西端せいたんくらゐするアドミラル山脈さんみやくの一たいで、アドムミント、ロビンソンなど峻巓しゆんてん萬尺高ばんじやくたかてんき、壯觀無比さうくわんむひ南極地方なんきよくちはうならでは到底見とうていみられぬ絶景ぜつけいである。

陸影漸く展開す

 ふねすゝむにしたがひ、陸影漸りくえいやうや展開てんかいし、ロバートソン灣南岸ベイなんがん氷山ひやうざん雪野せつやこうとして、視界しかいり、層雲中そううんちうよりアデレーみさき高臺かうだいきつとしてあらはる。

 此邊このへんは一たい絶壁ぜつぺき三十30度乃至どないし四十40度の傾斜けいしやしめせる雪畦連亙ゆきあぜれんこうし、處々しよゝ氷雪ひやうせつ融解部ゆうかいぶ班々はんぱんたる黑點こくてんあらはしてる。

火山岩の露出

 こゝろみに十五15マイルおきから望遠鏡ぼうゑんきやうとほしてると、一たい丘陵きうれうこゝ〲氷岩ひやうがんよりつたもので、光線くわうせん反射はんしやめに岩石がんせきかのごとゆるので、融解部ゆうかいぶ黑色こくしよくていせる斑點はんてんは、まつた火山岩くわざんがん露出ろしゆつしたものであることがられた。

p101

鮮やかに眼前に立ちホエウエルの白姿

 きにえたる連峰れんぽうは、此半島このはんとう後方こうほう聳立しようりつし、白雲層中はくうんそうちう隠見出沒ゐんけんしゆつぼつしてたが、やがて午前ごぜん10時にいたるや、前年ぜんねんスコット大佐たいさ地理研究分隊ちりけんきうぶんたい上陸じやうりくしたる、アデレーみさきも、すで船尾せんび位置ゐち退しりぞき、針路しんろにはホエウエルの白姿愈はくしいよいあざやかに眼前がんぜんち、再逢さいほうのサビネざん次第しだい後方こうはうとほざかり、あわ積層雲中せきそううんちう其白頂そのはくちやうあらはしてる。

萬歳を三唱

 此風景このふうけい背景はいけいとして、午後ごゞ1時より學術室外上甲板がくじゆつしつぐわいハウスおいて、延期中えんきちうであつた元旦遙拜式ぐわんたんえうはいしき擧行きよかうされた。各員かくいん防寒服裝ぼうかんふくそうにて整列せいれつするや、隊長たいちやう北方ほくはうめんし、はるかに皇居くわうきよむかつて式辭しきじ朗讀らうどくし、をはつて陛下へいか萬歳ばんざいを三しやうした。

波間に出没せるペングイーン鳥の一隊

 此式このしきめにとく掲揚けいやうせられたる帆檣上マストじやう國旗こくき隊旗たいきは、やはらかき波風なみかぜひるがへりつ、一波動ぱうごかぬたゝみごと波間なみまには、まぐろ遊泳ゆうえいかとおもはるる態度やうすして、ペングインてうの一隊巧たいたくみに波間はかん出沒しゆつぼつし、又遠近またゑんきん岸邊きしべには、ペグイギンてう奇聲斷又續折きせいだんまたぞくおりしも舷上萬歳げんじやうばんざいを三しようこゑして、寂々せきゝたる天地てんち反響はんきやうしてる。

 やがて、夕陽斜せきやうなゝめに針路しんろてらすとともに、赤色せきしよく水平線上すいへいせんじやう帽子形ぼうしがた大小數箇だいせうすうこ島影しまかげは、點々てんゝとして視界しかいきたつた。

ボッセッション群島視界に入る

 れはペングインてう巣窟さうくつとして名高ながかき、ボッセッション群島ぐんとうである。

 ふね陸岸近りくがんちか航路こうろすゝんだが、ほどなくロッスかい突入とつにふせんとした時、水平線忽すいへいせんたちま起伏きふくし、見る〱無數むすう氷塊ひやうくわいは、ふね目蒐めがけて來襲らいしうする。

p103

流氷の群來益々多し 深藍色の海波

 こは大變たいへんと、ふね早々沖さうさうおきへ〱と轉進てんしんしたが、流氷りうひやう群來益々多ぐんらいますますおほく、いづれも解殘とけのこりとえて、あるひかなへごとく、あるひ釣鐘つりがねごとき、畸形狀きけいじやうのものも打交うちまじはり、深藍色しんらんしよく海波かいは隠見ゐんけんしつゝ漂流へうりうしてる。

 それが、時々船端ときゞふなばた衝突しようとつするごとに、れい不快ふくわいなる異響ゐきやうはつする。

靜穏なるロッス海

 ふね速力そくりよくはやめて東北とうほく轉針てんしんすること數刻すうこく後流氷漸のちりうひやうやうやげんじたので、ふたゝ平穏へいおんなるロッスかい碧波上へきはじやううかることが出來できた。

 このロッスかいなみは、まつた外洋ぐわいやう區別くべつせられて靜穏せいおんなることあぶらながせしごとく、海上かいじやうペングインてう繁殖頗はんしよくすこぶおほく、奇態きたいなる遊泳ゆうえいさまは、たしかに極海きよくかいの一けいとしてかぞへるけの價値ねうちがある。

 此日太陽このひたいやうは、午前零時ごぜんれいじ五十四54分に、南水平線みなみすいへいせん3三十30分まで沈下ちんかしたが、たゞちに旭日あさひとなりて東方とうほうより北方ほくはうにと上昇じやうしようした。

 しか夕陽ゆうひ朝陽あさひとの光線くわうせん強弱きやうじやくとか變化へんくわ模様等もやうなどは、普通ふつう日出ひので日沒時ひのいりどきのそれと、すこしの差異さゐいやうである。

 よく4日、右舷うげんにハースチエール、ピーコックとう諸峰しよほう聳立しようりつするをすゝむ。

 一たい海岸かいがんには斷岩起伏連亘だんがんきふくれんこうし、白雪はくせつめに斷續だんぞくとして處々しよゝ黑色こくしよくていしてる。

 流石さすがにロッスかいなみは、細波さいはてぬしづかさで、小流氷せうりうひやうきはめてまれ散在さんざいするあひだに、極鯨きよくげい悠然ゆうぜんとして潮柱しほばしらつらね、ペングインてう海燕うみつばめ海鴨等うみかもなど水禽みづどり縦横じうわう飛翔ひしようしてる。

p105

船は海流に乘じ居れり

 此邊海上このへんかいじやう海流かいりう存在そんざいすることは、シドニーにてデビッド教授けうじゆよりの注意ちういもあつたが、果然船くわぜんふね其海流そのかいりうじようじてたことがれた。

 海流かいりう速力そくりよく4浬強ノットきやうで、陸岸近りくがんちかくを通過つうくわして西北さいほくむかうてるがめ、逆航ぎやくこうせるふね當然たうぜんおほい速力そくりよく減殺げんさつせられた。

 げん今朝通過けさつうくわしたる、ダウンショーアみさき數刻すうこくのちなほふね右舷うげんるといふ始末しまつであつた。

 そこで船首せんしゆ東北とうほくてんじて、只管陸岸ひたすらりくがんはなれる工夫くふうをして、正午漸しやうごやうや二十20哩沖マイルおきめに海流かいりう範圍はんゐ脱出だつしゆつすることをた。

 おりしも陸影りくえいすで眼底がんていよりらんとし、連峰れんぽう絶巓ぜつてんのみが水平線上すいへいせんじやう林立りんりつしてえる。此時行手遙このときゆくてはるかに一てん黑子こくしみとめた。

 隊長たいちやうは、双眼鏡そうがんきやうにしながら、しまか、ふねかと、判斷はんだんくるしんでたが、やがて高川舵手たかがはだしゆ帆檣上マストじやう見張櫓みはりやぐらよりの展望てんぼうによつて、たしかかに一氷山ひやうざんなることがれた。

非常なる雲形美を現す

 午後ごゞ8太陽たいやうが、西南方水平線上せいなんぱうすいへいせんじやう竿かんたかさにいたつたとき卷層けんそう亂雲東北らんうんとうほくなが立罩たちこめ、非常ひじやうなる雲形美うんけいびあらはした。

 又月暈またつきかさの一部現ぶあらはれ、太陽たいようより右方うはう雲外うんぐわいより靑紫あをむらさきあかと、2尺許しやくばかり幅員ふくいんもつ6しやくばかり弧狀形こじやうけいあらはれ、光彩燦爛くわうさいさんらんたる美觀びくわんていしたが、三十30分の後消滅のちせうめつした。

銀山の倒影は長く海波に映ず

 午後ごゞ十一11時、右舷うげんにコールマンとう水天髣髴すいてんほうふつかんみとめたが、ときしも夕陽將せきやうまさに地平線ちへいせんちかづかんとし、銀山ぎんざん倒影とうえいなが海波かいはえいじつゝ、非常ひじやうなる壯觀さうくわんていした。

氷上に大海豹の横臥

 よく5日午前かごぜん8時、ふね進行中しんこうちう左舷約さげんやく1マイル沖合おきあひなが10けん方位はうくらゐおもふ一氷塊上ひやうくわいじやうに、大海豹だいかいへう横臥わうぐわしてるのをみとめた。

p106

海豹狩に出掛く

 柴田船員しばたせんいん山邊やまべ花守はなもりりやうアイヌとは、『こりや素敵すてき逸物いつぶつだ、前囘取迯ぜんくわいとりにがしたやつとはちがつて、くらゐやつになると、てきにしても手應てごたへがあるッ』とふので、早速船長さつそくせんちやう交渉かうしようしてふねめてもらひ、短艇ボート海上かいじやうをろすやいなや、1てう獵銃れうじう2ほんの六尺棒しやくぼうとを用意よういし、3人の勇士ゆうしオールいそがせつゝ流氷目蒐りうひやうめがけて一直線ちよくせんすゝんだ。

 くとはらぬ氷上ひやうじやう海豹かいへうは、春眠曉しゆんみんあかつきおぼえずぐらゐ心持こゝろもちで、グーゝ寢込ねこんでると急航きうこうした三勇士ゆうしのうち花守はなもり柴田しばた兩戰士りやうせんしは、ヒラリと氷上ひやうじやう飛乘とびのるやいなの六尺棒しやくぼう滿身まんしん力量りきりやう打籠うちこめ、バタゞゝとけて、一人は眞向まつかふから、の一人は横合よこあひから不意ふいに一ぼうづゝお見舞申みまひまをした。

 すると海豹かいへう先生せんせい、ムクリとくびもたげたがへんてき襲擊しゆうげきいさゝ狼狽らうばいし、水中すいちうもぐこまふとして、のたり〱と逃出にげださうとする、此方こなた勇士ゆうしは、なに小癪こしやくな!がしてたまるものかいと、柴田戰士しばたせんしが、一生懸命しやうけんめい腕力うでぢからあつめた第三のぼうを、「エーイッ」の懸聲かけごゑとも擊下うちおろした。

 と同時どうじに、をりこそきたれと銃口じうこうして山邊戰士やまべせんしは、いまだッ!とばかり、轟然ズドン1ぱつ!、また1ぱつ2だん連發命中れんぱつめいちうともに、さしも巨大きょだい海豹かいへうも、事往生仕ごとわうじやうつかまつつた。

 氷上ひやうじやうの三勇士ゆうしは、各々兩手おのゝりやうてたかくさしげて、ふね戰捷せんしよう信號しんがうをするとふねからは「萬歳々々ばんざいゝ」を連呼れんこして立騷たちさわぐ。

狩猟隊の萬歳

 やがてくろなが海豹かいへうは、氷塊側ひやうくわいがは短艇内ボートない運入はこびいれられ、艪音勇ろおといさましく、凱歌がいかそうして歸船きせんすると、ふねからは早速さつそくトモづな短艇ボートげ、太綱ふとつなにて滑車くわつしや利用りようしつゝ、エンヤ〱と五六5,6にんで、戰利品せんりひん引揚ひきあげをおこなふ。

 甲板デッキ引揚ひきあげてると、したゝ頭部とうぶ負傷ふしようして、すでにそれが致命傷ちめいしょう絶命ぜつめいり、鶏卵大けいらんだい大眼球おほめだまは、無慘むざんにも飛出とびだしてて、淋璃りんりたる鮮血せんけつ甲板デッキ唐紅からくれないした。

 此海豹このかいへうは、身長しんちやう7しゃくどうふと4しゃく重量ぢゆうりやう四十40くわん全身黄褐色ぜんしんくわうかつしよくび、牝性めすである。

 隊長たいちやう花守はなもり山邊やまべりやうアイヌに料理方れうりかためいずると、兩人りやうにん早速さつそく6すんばかりの小刀ナイフにし、多年鍛たねんきたへた海獸料理かいじゆうれうりうで工合ぐあひは、かくとほりでございとばかりに、海豹かいへう仰臥げいぐわせしめ、はらから文字もんじたうれて、かはにくとをはじめた。

 流石さすが極寒ごくかん氷海中ひやうかいちう棲息せいそくする動物どうぶつだけに脂肪しばうあつ1すん5たつしてる。

 指揮役さしづやく隊長たいちやうは、かね北洋ほくやう探檢たんけんおいて、十分の經驗けいけんあることとて却々精なかゝくはしいものである。

 其説明そのせつめいると、脂肪しぼう燃料ねんれうとなり、搾汁さくじうにすると燈油ともしあぶら代用だいようともなる。

 にくは一しゆ臭氣しうきいうするも、一湯出ゆだしてるとゆう食卓しよくたくのぼすことが出來できる。

 又其犬牙またそのけんがは、細工物さいくもの材料ざいれうてきしてると。

 切開せつかいされたにくると、其色紫黑色そのいろしこくしょくていし、體軀たいく割合わりあひ少量しようりやうである。

 すなは臟腑ぞうふ全身ぜんしん3ぶん2めてる。武田三井所たけだみゐしよ兩部長りやうぶちやうは、胃腑ゐのふ解剖研究かいぼうけんきうこゝろみたが、其結果食料そのけくくわしよくれうは、烏賊いかなど魚族ぎよぞくであることがれた。

 胃囊中ゐのふちうには、やく2吋大インチだい帶褐黄色たいかつくわうしよく寄生蟲約きせいちうやく100存在そんざいみとめた。

 1分乃至ぶないし12厘位りんぐわゐ無數むすう白球はくきうをもみとめたが、これくらへる魚類ぎよるゐ眼球めだまなることがれた。

 十二支膓周圍しちやうしうゐへきに一しゆ房狀ばうじやうし、其形狀そのけいじやうひる○○ごときもの五六十5,60、一くわいとなりて寄生きせいるを發見はつけんした。

 其鰭そのひれは、四そく退歩たいほしたものなることは明白めいはくである。

 すなは前後ぜんご扁平へんぺい角形かくけいひれ外面ぐわいめんには、あきらかに五つめいうし、陸上動物りくじやうどうぶつごとき、指骨しこつ蹠骨しよこつ合生がふせいしてる。

 やく2時間じかんのち料理れうりをはつた、4斗樽とだるぱい臟腑ぞうふ脂肪しばうとは、いぬ食料しよくれうにすることとし、最上肉さいじやうにく食卓用しよくたくようきやうし、かは鹽漬しほづけとなして標本へうほんの一に保存ほぞんし、甲板デッキ血汐ちしほは、洗流あらひながかはりに、綺麗きれいいぬすゝらせた。

水晶島上の點々たる黑影

 おな午後ごゞ2時頃じごろ、コールマンとうすで背後はいごぼつし、水天相接すいてんあひせつする處氷塊ところひやうくわい遠近えんきん浮遊ふゆうするをるのみなるときしも、突如右舷とつぢょうげんあたつてあらはれきたつた一めん流氷りうひやうはう1マイル水晶島上すいしようとうじやうに、點々てんゝたる黑影こくえいみとめた。

 見張船員みはりせんいんは。

 『アレ〱ペングインがるッ』とさけんだ。

ペングイン鳥狩

 其聲そのこゑおうじて滿船まんせん勇士ゆうし甲板上デッキじやう立現たちあらはれた、そして異口同音ゐくどうおんに。

 『ペングイン鳥狩てうがりをやらう』と、動議どうぎ決議けつぎとは同時どうじ成立せいりつした。

 朝來てうらい海豹狩かいへうがりいさたつをりとて、船長せんちやうこゝろよふたゝ停船命令ていせんめいれいくだした。

 やがて、短艇ボート洋上やうじやうをろされると同時どうじ乘込のりこんだ戰士せんし面々めんゝは、西川にしかわ渡邊わたなべちか)、渡邊わたなべおに)、花守はなもり4にん1てう鐵砲てつぽう艇内ていない準備よういし、欵乃勇ふなうたいさましく、水晶島指すいしようとうさして、した。

 此時甲板このときデッキには、隊長たいちやうはじ總員そういんどう結果けつくわ如何いかにと、片唾かたづんで監視かんししてると此方こなた短艇ボートはやがて氷面ひやうめん隆起部りうきぶ背後はいごせて、てきさとられない方略はうりやく作戰計畫さくせんけいくわく却々巧妙なかゝこうめうなものである。

 と數分後すうふんご高所かうしよ立居たちゐたる3のペングインてうは、ひとちかづいたのをつたとえ、つばさひろげていさゝ恐怖きやうふ態度たいどしめすかとた。

ペングイン鳥との活劇

 つぎ瞬間濁しゆんかんにごつたガア〱といふ鳴聲なきごゑてた。

 それと同時どうじに一ぽうこほりかげから、突如渡邊とつぢよわたなべおに戰士立現せんしたちあらはれ、素早すばやく一手捕てどりにし、おどろぐるやつを、追驅おつかまわしてるうちに花守戰士はなもりせんしあがきたり、大活劇だいくわつげき後漸のちやつと2とも小脇こわきにかいみ、こほりかげ姿すがたしたが、ほどなく短艇ボート二人ふたり收容しうようまどふてる、前方ぜんぽう2攻擊こうげきすべく急漕きうそうした。

 やがて短艇ボート氷塊ひやうくわいきしちかづくと、ふたゝ渡邊わたなべおに戰士せんしは、飛鳥ひてうごとくヒラリとおどらせて飛上とびあがり、手馴付てなづけるごと仕草しぐさもつて、近寄ちかよりかけたが、てきもさるもの何條沈默なんでうちんもくまもらうぞ。れいのガア〱を連呼れんこしながら、少々亂調子せうゝらんてうし飛廻とびまわり、跳廻はねまわり、容易ようい人手ひとでりさうもい。

 そのうち花守はなもりは、ふたゝ立現たちあらはれて助太刀すけだちくははつた。

二人に二羽の取組

 くて二人ふたり2好取組こうとりくみとりひとつたりころんだりの大立廻おほたちまわり、滑稽こつけいともなんとも形容けいよう出來でき活劇振くわつげきぶりには、見物役けんぶつやく甲板デッキ連中れんちうは、各々腹おのゝはらかゝへてわらたほれた。

 やがて、この2つひ捕虜ほりよとなつて短艇ボートせられ、凱歌高がいかたか母船ぼせんかへつたが、またもや前方ぜんぽう浮氷上ふひやうじやうに、數羽すうはてき發見はつけんしたので、短艇ボート其儘船そのまゝふねとも駢進へいしんし、やく二十20分後ぷんごだい二の活劇くわつげきまくひらかれた。

 今回こんくわい乘組戰士のりくみせんしは、村松むらまつ渡邊わたなべおに)、花守はなもり吉野よしの4にんいづれも輕裝けいさうしてすゝんだ。

 前回ぜんくわいには鐵砲てつぽう必要ひつえうかつたのにかんがみ、今回こんくわい携帶けいたいせずに出發しゆつぱつした。

 短艇ボートもなく浮氷ふひやうきしいた。

 るとさながらの一小島せうとうゆき結氷けつぴやうして、えず打寄うちよ波浪なみめに浸蝕しんしよくせられ、ほとん船蟲ふなむしがいかうむつた木材もくざいのやうになつてる。

 渡邊戰士わたなべせんし飛上とびあがると、つゞいて村松むらまつ吉野よしの花守はなもりといふじゆん氷上ひやうじやうつ。

 と氷面上ひやうめんじやう水鳥特有すいてうとういう惡臭あくしうは、プンと4にんはなく。

 そこで4にんは四はうから、4のペングインてうてきとして、包圍攻擊はうゐこうげき開始かいししたが、其結果難そのけつくわなんなく3生捕いけとられた。

 すなは2吉野戰士よしのせんし手中しゆちう1村松戰士むらまつせつし手中しゆちうおさめられた。とらはれたペングインてうは、ふとくてみじかくちばしけ、黄色きいろ口内こうないせ、くるしさうなこゑ張上はりあげていてる。

 こゝに殘念ざんねんなのは、いま1てき行衛ゆくゑ見失みうしなつたことである。

 なんとかしてさがし、是非ぜひとも其奴そやつ捕虜ほりよとし、此水晶島このすいしようとう全軍鏖滅ぜんぐんおうめつまつたふせねばならぬと、けてしきりに捜索そうさくしたが、見當みあたらぬ。

 するとふねから隊長たいちやうが、右方うはうの一かくして、『アッる〱、其處そこるッ』と注意呼ちうゐよばゝりしてるので、早々眼さうゝめてんじてると、たくみにげたペン先生せんせい、一たびは水中すいちうひそめたが、同志どうし面々めんゝ運命見届うんめいみとゞけのめとあつて、氷岸ひやうがんの一かくつて、此方こなたぢつる。

生擒の目的を達せり

 『ソレッ』とふので4にんせい立向たちむかはふとしたが、何分其位置なにぶんそのゐちは、けづつたごと危壁きへき彼方かなたとて、あせつても、あし踏場ふみば地勢ちせい

 そこで陸軍りくぐんはう斷念だんねんして、海軍かいぐんはうることゝし、村松渡邊むらまつわたなべ2戰士せんしは、短艇ボート其方そのはう出向でむかひ、ふもとから段々だんゝ高所かうしよ追上おひあげて、つと生擒せいきん目的もくてきたつした。

 一體此強敵たいこのきやうてきを、うしてたくみに捕虜ほりよ出來できたかとふに、ペングインてううさぎとは反對はんたいで、高所かうしよのぼこと拙劣まづ加減かげんは、なんとも形容けいよう出來でき不様ぶざま態度たいどである。

 其代そのかは低所ていしよむかときはやさは、却々侮なかゝあなどがた速力そくりよくである。

珍客を捕虜室に好遇す

 三十30ぷんわたつた此戰闘このせんとうのち短艇ボートふねへと引返ひきかへした。前後ぜんご2くわいたゝいひに、8捕虜ほりよたので、珍客ちんきやくとしてとく捕虜室ほりよしつをば學術室外側がくじゆつしつそとがはの一くわくまふ欵待至くわんたいいたらざる好遇こうぐうあたへた。

 是等これら珍客ちんきやくは、アデレー岬附近特産みさきふきんとくさんのアデレー、ペングインで、みなやうへんところたワイとでもおもつたが、最初さいしよ甲板上デッキじやう右方左方うはうさはうまわり、ひとげるかとおもふと、いぬてはれい駄聲だみごゑげて大喝たいかつ聲威嚇せいゐくわくするごと姿勢しせいしめすなど、滑稽至極こつけいしごくである。

 學術部がくじゆつぶでは是非健全ぜひけんぜんまゝ母國ぼこく携歸たづさへかへらうとふので、食物しよくもつつい種々いろゝ研究けんきうこゝろみた。

滑稽なるペングイン鳥の態度

 取敢とりあへずえびかにかい柱等はしらなどあたへてたが此文明このぶんめい食物しよくもつにはれず、時々滑稽ときゞこつけい態度たいどをして、仲間同志なかまどうし突合つきあひ、くちばしくちばしとで接吻せつぷんしては今日けふ不運ふうんかこがほなのも可笑おかしい。

 尾籠びらうはなしであるが、牛乳ミルクにココアをまじへたやうな脱糞だつぷんをして、船中せんちう人々ひとゞはなつまませた。

 かく此日このひ愉快ゆくわいな一じつであつた。

 こと此場所このばしやは、前回ぜんくわい航海こうかいに、惡戰苦闘わくせんくとうすへつひ退却たいきやくむなきにいたつた海上かいじやうである。

初獵の祝盞を酌む

 かる記念きねん場所ばしよおいて、偶然ぐうぜんにも海獣かいじゆう水鳥すいてうとの征服せいふく大捷たいしようめたことゝて幸先さいさきよしと一どうは、初獵祝はつれういはひとして隊長たいちやうからされたブランデーのさかづきげつゝ、てつしてわらきやうじたのである。

p119

 よく6日朝かあさ隊長たいちやう吉野臨時厨手よしのりんじコックめいじて、海豹かいへう料理れうり取掛とりかゝらせた。

隊長は海豹料理の指揮役

 前日ぜんじつ晩餐ばんさんに、海豹かいへうのスキやきこゝろみたが、惡臭あくしうつよくて一はしはれないので、今朝けさ隊長たいちやうみづか料理場れうりば出馬しゆつばして指揮しきすることになつたのである。

 海水かいすいにて丁寧ていねい2ばかり湯出ゆだし、脂肪しばうにてるのである。

 こゝろみにこれくらふと牛肉ぎうにくごとあじで、すこし臭氣しゆうきなく、却々なかゝ美味びみである。

 『此料理法このれうりはふは、砂糖さとう醤油しやうゆうらず、經濟的けいざいてきであつて、手數てすうかゝらぬ、しか美味びみであるから、理想的料理法りさうてきれうりはふしやうしてもよからう』と御自慢ごじまんであつた。

海豹脂肪の燃料

 海豹かいへう脂肪しばうは、餅切大もちきれだい1わかすにり、拳大こぶしだいつてもちふると、機罐きくわん焚料ねんれう好適こうてきしてる。

 ペングインてうは、其後食そのごくひもせず又飲またのみもせず只昨日たゞきのふよりは餘程落着よほどおちつ氣味ぎみである。

 同時どうじ疲勞ひらうくははつたらしく、くびちゞめ、しろふちあるぢて、三十30といふ角度かくどにまで兩翼りやうよくひろおも身體からだ平衡バランスりつゝ、時々坐睡ときゞいねむりていである。

 が大體だいたいおい別狀べつじやうはない。

 相變あひかはらず惡臭あくしゆうちかづくものはなつことはなはだしい。

 此朝このあさ1は、高川舵手たかがはだしゆにより、本剝製ほんはくせいとすべく絞殺かうさつし、かはいでにく早々料理さうゝれうりせられた。

 味噌煮みそにめか一寸賞味ちよつとしようみあたひした。

ペングイン鳥の胃中より小石を得

 從來じうらい探檢家たんけんかは、海豹並かいへうならびにペングインてうにくは、到底食用たうていしよくようあたひせぬとつてるのはまつた料理法れうりはふ不適當ふてきとうなのにことあきらかにした。

 解剖かいぼう結果けつくわ胃嚢中ゐのうちう小石こいし二三2,3けい2分位ぶぐらゐ)をた。

 これ消化せうくわたすくるめにんだものだらう。

 ペングインてう食料しよくれう研究けんきん結果けつくわける小魚こうをであることわかつたが、到底其等たうていそれら食餌しよくじきふすること不可能ふかのうなので、全部絞殺ぜんぶかうさつけつし、コロヽホルムをもちふることにしたが、却々絶命なかゝぜつめいしなかつた。

 海豹かいへう臟腑及ぞうふおよ脂肪しぼうしよくした。

 輓犬ひきいぬ5日夜かよ6とにわたつて、激烈げきれつなる吐瀉下痢としやげりもよふしたが、これ食中しよくあたりのめか、あるひ過食くわしよくめか、今猶いまな不明ふめいである。

 10ふねはロッスかい碧波へきはつて、東南とうなん航路こうろすゝんでる。

 朝來前方てうらいぜんはう水平線すいへいせんこほり反射はんしやにより、朦朧もうらうとしてしろかゞやいてる。

甲板は頬を裂かんばかりの寒氣

 これ氷堤アイスバリア視界しかいることのちか時間内じかんないるをしょうするもので、きた寒風かんぷう凛烈りんれつとして、甲板デッキものほうかんばかりである。

二百尺の大氷堤眼界に入る

 午後ごゞ2檣頭見張櫓マストみはりやぐらより高川舵手たかがはだしゆは、『氷堤バリキえます!』と當直船員たうちよくせんいん報告ほうこくもたらしたので、總員そういん舷端ぜんたん立並たちならんでいまか〱とけてると、やがて、水平線すいへいせん朦朧もうらうたる白輝はくき次第しだい其光度そのくわうどし、午後ごゞ4いたつて、目測もくそく二百200尺位しやくぐらゐの一大氷堤だいひやうていは、やうや眼界がんかいきたつた。

p122

 見亘みわたせば船首せんしゆより右舷うげん水平線すいへいせん沿うて、やく三十30マイル延長えんちやういうする氷堤ひやうていは、あたかも一長白幕ちやうしろまく張聯はりつらねたるがごと連亘れんこうし、光線くわうせん反射はんしや白雲はくうんえい碧波へきはじつ莊嚴雄大さうごんゆうだい景致けいちしめした。

ペングイン鳥の聲に征旅の夢を亂さる

 風位ふうゐじゆんざるめ、ふね此氷堤このひやうてい沿うてやく10マイルおき東東北とうゝほくこうし、はペングインてうこゑ夢幾度ゆめいくたびみだされつゝすゝんだが、よく十一11日朝にちあさいたれば、氷堤ひやうていちか右舷うげん3マイルあたり連亘れんこうり、をりしも油凪あぶらなぎの海上かいじやうには、鯨群げいぐん潮柱林しほばしらはやしごと立並たちならび、ぐる遠近えんきんうしほひゞきは、せきたる天地てんちゆめやぶつてる。

氷堤は恰も萬里の長城を望む如し

 夜中風位やちうふうゐ西轉さいてんせるよりふね氷堤ひやうてい沿うて東航とうこういそいだが、氷堤ひやうてい次第しだい其延長線そのえんちやうせんながうし、見亘みわた前後ぜんご水平線すいへいせん連亘れんこうし、あたか雪霽ゆきはれしあした月白つきしろゆうべはるかに萬里ばんり長城ちやうぢやうのぞむがごとくである。

幻日現はる

 午後ごゞ十一11時頃じごろ夕陽西せきやうにしなゝめにして其周圍そのしうゐ白雲はくうんいとゞみつなるをりしもあれ、太陽たいやう中心ちうしんとして各々直角おのゝちょくかくなる箇所かしよ4幻日ハローあらはした。

 其幻日そのハロー目測もくそく3げんばかりのけいもつて、にじかとおもはるゝゑんえがくのであるが、其光輪そのくわうりん色彩しきさいは、外部ぐわいぶより靑黄紫赤あをきむらさきあか順序じゆんじよで、却々なかゝ美觀びくわんである。

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 卷層雲けんそううんしきたわむれも、四十40分間ぷんかん後消滅のちせうめつすると同時どうじに、ふね何時いつしか流氷海りうひやうかい突入とつにふしたので、たゞちに針路しんろ北々西ほくほくせいてんじ、二百200尺許しやくばかり氷堤ひやうてい沿うて退しりぞいた。

 途上流氷とじやうりうひやういたゞきには、ペングインてうあり、海豹かいへうあり、甲板デッキ勇士ゆうしは、これ曩日さきのひ勇壯痛快ゆうさうつうくわいなりし狩獵しゆうれう光景くわうけい思泛おもひうかべ、脾肉ひにくたんへなかつたが、前途ぜんといそいま場合ばあいとておくりてはむかへ、むかへてはおく次第しだい氷圍ひやうゐはなれゆく。

ペン先のインキ氷結す

 今日けふ日誌につししたゝむるにさいし、ペンさきにインキ氷結ひやうけつしてまかせぬ。

 氣溫きおんいちじるしき下降かかうこれによつてもらるゝ。

 あくれば十二12にち上陸地點じやうりくちてん鯨灣ホエール、ベイ次第しだい右舷うげんちかづいた。

 しか其中間そのちうかんに一大浮集氷だいふしうひやう遊漂ゆうへうすると、大小無數だいせうむすう氷山ひやうざん群立ぐんりつとのめにふね右曲又左折うきよくまたさせつれい縫航ほうこうもつ血路けつろひらくべく苦心くしんしたが、帆走はんさう汽走きそうとの緩急くわんきうさいはひよろしきをたので、一しん退たい後辛のちからふじて氷塊ひやうくわい稀少きしようなる海上かいじやうた。

p120

 深藍色しんらんしよくていする右舷海上うげんかいじやう水平線すいへいせん氷群ひやうぐんにて白色はくしよくの一せんし、其上部そのじやうぶ連峯れんほう峨々がゞとして聳立しやうりつしてる。

南極特有の幻嶽

 此上部このじやうぶ連峯れんぽう實物じつぶつでなく、これぞ一しゆ蜃氣楼しんきらう南極特有なんきよくとくいう幻嶽げんがくである。

 一旦減少たんげんしようした氷塊ひやうくわいは、午後ごゞいたつてふたゝ針路しんろさへぎらうとした。

 ふね幾度いくたび阻遮そしやせられては、際限さいげんもないので、すゝめるけはすゝまんものと、前進ぜんしん主力しゆりよくつくしたが、氷塊ひやうくわいすゝむにしたが益々厚ますゝあつく、みつなる開南丸かいなんまる小馬力せうばりきでは、到底突破たうていとつぱすることの絶望ぜつぼうなるより、遺憾いかんながら又々退却またまたたいきやくけつして轉針てんしんした。

 さる9日以來日夜かいらいにちやすこしのおこたりなく上陸準備じやうりくじゆんびとゝのへつゝあつた隊員連たいいんれんは、またもや退却たいきやくいて非常ひじやうなる落膽らくたんをした。

 一どう心中しんちうまことこそとさつせられる。

一隊の鯱群悠々舷側に來襲

 退却たいきやく途上とじやう午后零時ごゞれいじ三十30分頃ぷんごろ二十20餘尾よびよりる一たい鯱群ちやちぐんふね鯨敵げいてきとやおもひけん、ふと各々おのゝじやうなが2けん頭部とうぶより背部はいぶはゞ六七6,7すん白斑紋しろはんもんいうするこのたいは、各々おのゝ3尺許じやくばかりつるぎごとひれ水上すいじやうあらはしつゝ、悠々ゆうゝふね舷側近げんそくちかくに來襲らいしゆうした。

 最初さいしよ隊中たいちう二三2,3右舷うげん三四3,4けん近距離きんきよりまでせまきたり、ともより左舷さげんへとまわつて、斥候せきこう任務にんむまつたふしたが正體しやうたいれたとえて、斥候せきこうが一たいがつするとともに、つひ落膽らくたんせるものゝごと南方なんぱうさして逸走いつそうつた。

アイヌの鯱群禮拝

 此時花守このときはねもり山邊やまべりやうアイヌは海上かいじやう鯱群しやちぐん禮拝れいはいし、しきりに祈願きぐわんむる様子やうすであつた。

 あとにてけばしやちといふうをは、うみ神使かんづかひで、かみ同様どうやう尊崇そんすうすべきものである。

 樺太かばふとおいては古來こらい習慣しふくわんで、毎年まいねん2回鯨くわいくじら捕獲ほくわくして、濱邊はまへつなしやちかみ御供ごくうとしてさゝげるのである。

 りやうアイヌは説明せつめいしてのち

 『我開南丸わがかいなんまるしやちかみ守護しゆごされて以上いじやう前途ぜんとかなら大丈夫だいじやうぶである、』とつてほも海上かいじやういくたゝび禮拜らいはいした。

 十三13日午前にちごぜん2又々群氷來襲またゝぐんぴやうらいしゆうし、どう4いたつてもつとおほかつたが、どう7三十五35ふんやうや氷圍ぴやうゐだつして漫々まんゝたる碧波上へきはじやうた。

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忽然山岳の如き大氷山現る

 其時忽然山岳そのときこつぜんさんがくごと大氷山右舷だいひやうざんうげんあらはれで、不意ふいこととておほい乘員じやういんたんさむからしめたが、しか船首せんしゆてんじて危險きけんのがところで、こゝろみに舷頭げんとうよりこれのぞむと、其絶景實そのぜつけいじつ筆紙ひつしつくがたく、そゞろに畫筆ぐわひつざいなきをたんぜしめた。

南極の崇高なる自然美

 氷山ひやうざんたかさはすう100しやくたつし、周圍しうゐ八九8,9マイルおよび、大小だいせう群氷之ぐんひやうこれ圍繞ゐねうし、海燕うみつばめ點々てんゝとして其前後そのぜんご群翔ぐんしようし、またなき雄大ゆうだいけいなるさへあるに、をりしも一こん半月はんげつあは檣頭しよとうかゝくはふるに幻日出現ハローしゆつげんしてくもえいなみえいじ、氷山ひやうざん反映はんえいして、ひとをして南極なんきよく自然美しぜんびくまでに崇高すうかうなるかに驚嘆きやうたんせしめ、恍惚くわうこつたらしめた。

p127

 此天下このてんか絶景ぜつけいたいし、總員そういんしばし航路難こうろなんわすれつゝあつたうち、ふねまたもや大氷群だいひやうぐん襲擊しゆうげきせられ、一しん退たい轉針定てんしんさだめなき難航なんこうおちゐつた。

 一望皚ぼうがいたる浮氷ふひやうは、針路しんろ海上かいじやうよりとほ水平線すいへいせんつらなり、廣漠くわうばくたる一大氷野だいひやうや展開てんかいしてる。

 ふね其緣邊そのえんぺん沿うて東方とうはうに、一大迂航だいうこうするのほこなきも、さりとて其緣邊そのえんぺん那所いづくいたつてくるかをらず。

 これには流石勇悍老練さすがゆうかんらうれん船長せんちやう長大息ちやうだいそくはつし、隊長たいちやうまゆひそめて航路難こうろなんたんじた。

 此時隊長このときたいちやうは、船長せんちやう討議とうぎすゑ取敢とりあえず東方とうはう迂航うこうのことにけつしたが、ふね碎氷力さいひやうりよく薄弱はくじやくなるの一は、かへすゞも總員さういん遺憾ゐかんとするところであつた。

 そこで隊長たいちやう決心けつしんは、迂航うこううえあた上陸地點最近じやうりくちてんさいきん位置ゐちまでふねすゝめたるうへ不幸ふかうにも以上いじやう突進とつしん不可能ふかのうけつしたあかつきは、上陸隊じやうりくたいはこゝに短艇ボートし、氷上行軍ひやうじやうかうぐん決行けつこう身命しんめいして上陸じやうりく目的もくてきたつしやうとふのであつた。隊長たいちやう此決心このけつしん最早動もはやうごかすべからざるものなので、上陸準備じやうりくじゆんびさら完全くわんぜんすることゝなつた。

 船長せんちやう隊長たいちやう此賭世このとせい大決心だいけつしんいて感激かんげきし。

人事の最善を盡して已まん 目的の氷堤まで三四十哩

 『船長不肖せんちやうふせういへども「人事じんじ最善さいぜんつくしてまん』とちかうた。

 ふね豫定よてい航路こうろいてすゝむにしたがひ、氷堤ひやうていつひ視界しかいだつしたが、測量そくりやうによれば、目的もくてき氷堤ひやうていまでは三十30哩乃至マイルないし四十40マイル距離きよりである。

 よく十四14むかふるも、前面ぜんめん依然いぜんたる氷塊ひやうくわいうみであつたが、極力縫航きよくりよくほうこうつとめた結果けつくわやうや南進なんしんの一航路こうろ發見はつけんし、長時間ちやうじかんいさゝ愁眉しうびひらくをたのは、てんまつた決死的けつしてきこうせつなる至情しじやうりやうとしためでもあらう

 くて南進又南進なんしんまたなんしんこうしゆく海上かいじやう處々しよゝ流氷上りうひやうじやうには、ペングインてう海豹かいへうぐんすものおびたゞしく、滿船まんせん勇士ゆうしうでやくして。

 『りたいなァ、りたいなァ』

 午前ごぜん6右舷數うげんす10ながるゝ氷塊上ひやうくわいじやうに、ゆめまどかにねむれる1とう海豹かいへう發見はつけんしたので、もうたてたまらなくなつた連中れんぢうは。

六尺棒を振翳して大海豹狩

 『ソリャ海豹かいへうだ、らう〱』と、早々短艇さうゝボート海上かいじやうおろし、柴田しばた花守はなもりの二戰士せんしは、これ打乘うちのり、れいの六尺棒しやくぼう眞向まつかふ振翳ふりかざして、なんなく數擊すうげきもと捕獲ほくわくした。

 すると、またもや一頭他とうた氷上ひやうじやうよこたはつてるので、『ついでにやつゝけろ』とばかり、これやく二十20ぷんもつ捕獲ほくわくする。

 いで、また1頭左舷とうさげんきたり、つゞいて2頭又とうまた3とうと、いくつでもこほりつてながれてる。

海豹討伐隊の好成績

 一體海豹たいかいへうは、氷上ひやうじやうでは活動甚くわつどうはなは遅鈍ちどんなるめ、發見はつけんするにしたがうて此方こなた手中しゆちうものとなる。

 さながちたるをひらふにことならぬ。

 くて前後數回ぜんごすうくわい討伐隊とうばつたいは、成績何せいせきいづれも良好りやうこうで、つひ夕刻ゆうこくまでに十二12とう捕獲ほくわくした。

 物資補充ぶつしほじうには此上このうへなき天與てんよ賜物たまもの拜領はいりようせねばかへつて天罰てんばつおそろしいくらゐである。

 三井所部長みゐしよぶちやう高川船員たかゞはせんいん、の兩名りやうめいは、こゝろみに中帆檣ちうはんしよう物見櫓ものみやぐらのぼつて沖合おきあいると、しろ流氷上りうひやうじやうくろ海豹かいへうすうは、一寸數ちよつとかぞへたゞけで三十三33とうにも上つた。

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 よく十五15にちは、捕獲ほくわくした海豹かいへう料理れうりで、却々賑なかゝにぎはつた。

 しかふねほうは、またもや氷圍ひやうゐおちゐつたので、れい右回左轉うくわいさてん努力どりよくし、苦心慘憺くしんさんたん末辛すへからふじて、一でう血路けつろたが、此日このひ氷群ひやうぐんいづれも蝙蝠かほもり羽翼狀うよくじやうし、其上そのうへにはすう十の海豹點々かいへうてんゝとしてよこたはつてる。

 前日ぜんじつ大獵たいれう當分たうぶんは十ぶんなのでべつ捕獲ほくわくはしなかつた。

三十餘頭の海豹を乘せし氷塊

 海豹かいへうせた氷塊ひやうくわいの、舷側げんそく通過つうくわするとき折々甲板上おりゝデッキじやうから高聲かうせいはつすると、海豹かいへう先生訝せんせいいぶかしげに、くびげて四方あたり見廻みまはす、其態度そのたいど悠々迫ゆうゝせまらざるところ、たしかに大英雄だいえいゆう面影おもかげがある。

 十六16にち、一たび减少げんしようした群氷ぐんぴやう又々船またゝふね包圍はうゐして、前進ぜんしん阻止そしすること幾度いくたびかにおよんだが、百方難航ぱうなんこうすゑやうやく一ぱう血路けつろひらいて突破とつぱした。

 午前ごぜん2時左舷じさげん水平線上すいへいせんじやうに、くもやまかとおもはるゝ一まつ淡灰色たんくわいしよくみとめたが、やがて、どう4二十20ぷんいたつて、それは氷堤ひやうてい連亘れんこうせるものとれた。

半月形を爲せる氷堤

 ふねちかづくとともいよいあざやかで一望半月形はうはんげつけいしめせる目測もくそく百五十150尺位しやくぐらゐ氷堤ひやうていは、白屏風しろびやうぶならべたるがごとく、大白蛇だいはくじや横臥わうぐわせるにもる。

 見渡みわた海上かいじやう流氷りうひやうさいはひ片影へんえいなく、ロツスかい特徴とくちやうともふべき細波さゞなみは、一碧油ぺきあぶらごとくである。其上そのうへふね今帆汽兩走いまはんきりやうそうもつて、全力ぜんりよくつひやしつゝはしつてる。

 此地點このちてん鯨灣ホエールベイ東方とうはう三十30マイル海上かいじやうであるそころから上陸じやうりくはエドワード七世州せいランド變更へんかうするかた得策とくさくならんとの提議ていぎもあつたので、結局けつきよくそれに一けつし、氷堤ひやうていまで1マイルといふ近距離きんきよりふねすゝめ、それより氷堤ひやうてい並行へいかうして上陸地點じやうりくちてん探査たんさをなしつゝ東航とうこうした。

氷堤の處々に洞穴及び龜裂あり

 右舷うげんると、氷堤ひやうていには、洞穴及どうけつおよ龜裂處々きれつしよゝつて、其近そのちかきものは海水かいすいえいじて深藍色しんらんしよくてい其遠そのとほきものは點々てんゝとして墨痕ぼくこんていしてる。

硝子棒を吊下げし如き氷柱

 とつたる斷層だんさうからは、あたか硝子棒がらすぼう無數むすうに、吊下吊下げしがごと氷柱垂つらゝたさがり、堤下ていかはし潮流てうりう瑠璃るりごとく、其氷柱そのつらゝ反映はんえいしてる。

氷堤試験の實弾一發

 此時このとき突如前甲板上とつぢよぜんデッキじやうに一ぱつ銃聲轟じうせいとゞろわたつた。

 これ武田學術部長たけだがくじゅつぶちやうさにおちんとせる、氷堤ひやうてい强弱きやうじやくらんがめに、射擊しやげきこゝろみたのであつた。

 其結果件そのけつくわくだん氷柱つゝらは、すこぶ堅固けんごなる氷結物ひやうけつぶつであることを確證かくしようした。

希くは十二珊砲あれ

 じうつゑにした武田部長たけだぶちやうは、『十二12珊砲インチはうぱうあれば、ズドンと氷堤氷堤あなけて、随意ずゐい箇所かしよ上陸じやうりく出來できるになァ』と長大息ちやうだいそく!。

 午前ごぜん7三十30ぷんふね氷堤ひやうていの一突角とつかく沿うてまわると、其處そこには一小灣せうわん東西約とうざいやく2哩奥行約マイルおくゆきやく1マイル展開てんかいされてるのを發見はつけんした。

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上陸し得べく見ゆる一灣あり

 群峰ぐんぽうわんおく聳立しようりつし、岸邊きしべ氷堤斷絶ひやうていだんぜつして、波打際なみうちぎは棧橋さんばしごとひくたひらかである。

 角上陸かくじやうりくには適當てきたうらしいので、ふね灣内わんないすゝめることにした。

灣上實地蹈査の爲め端艇派遣

 ふね停止ていしとも武田學術部長たけだがくじゆつぶちやう土屋一等運轉士つちやとううんてんし渡邊船員わたなべせんいん花守隊員はなもりたいいん4めいは、船尾せんびおろされたる短艇ボート移乘いじようし、隊長たいちやうめいふくんで灣上わんじやう實地蹈査じつちたふさこゝろみるべくすゝんだ。

 をりしも太陽たいやう雲間くもまて、左右さいう銀堤ぎんてい燦然さんぜんとして碧波へきはえいじてる。

 短艇ボート赤旗高あかはたたかひるがへして、次第しだい灣岸わんがんちかづくと、ふねおもむろに艇尾ていびうてすゝみゆく。

大海豹と格鬪の三十分間

 とくしも、みぎは右方深藍色うはうしんらんしよくていせる大氷洞だいひやうどう外邊ぐわいへんに、一大海豹だいかいへうよこたはれるをるや、ふねから短艇ボート注意ちういすると艇上ていじやう4にん坐氷ざひやうの一かくともづなつなぎ、一せいに「好敵御參こうてきござんなれ!」とむかうた。

 4にんにせる4ほんの六尺棒しやくぼうは、いくたびか打下うちおろされたが、てきもさる者頻ものしきりにきばいからせて應戰おうせんする。

 其開そのひらいたくちは、あだか大蛇だいじや紅舌こうぜついたやうである。

 やがて、遂に四はうから包圍攻擊はうゐこうげきすへ滅多毆めつたうちに打据うちすゑ、つとのことてき仕止しとめた。

 格鬪正かくとうまささに三十30分間ぷんかん戰士せんしいづれもあせまみれた。

 激戰後げきせんごたゞちに4戰士せんしは、萬歳ばんざいとなへつゝたゞちに、傾斜急けいしやきうなる、峻坂しゆんぱんぢて其背後そのはいごり、左方さはう堤上ていじやうむかふべく中腹ちうふくあらはれ、一列縦隊れつじうたいもつころびつきつ益々前進ますゝぜんしんして、ほどなく堤上ていじやうたつしたが、なほも4にん前進ぜんしんつゞけて、堤上奥深ていじやうおくふか進入しんにふした。

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四人の影高き氷堤上に現はる

 船上せんしやうでは4にん消息せうそく待詫まちわびてると、やがて、四十40分後ぷんご4にんかげたか氷堤上ひやうていじやうあらはれ、おしてし赤旗あかはたもと整列せいれつ上幽うえかすかに「萬歳ばんざい!」を三しやうし、8ほんたかひく3たびうごいた。

海豹蘇生して頭を擡ぐ

 をはつて、一かう歸路きろいたが、此時先このときさきの海豹かいへうは、俄然蘇生がぜんそせいし、ムクリとかしらもたげつゝしづかに四圍あたり見廻みまわしてたが、敵影無てきえいなしとるや、ノソリ〱と岸邊きしべしてはじめた。

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 甲板上デッキじやうからは、『ソラ海豹かいへう生返いきかへつた!、アッ〱げてしまふぞ!』と口々くちゞさけんで、さむまわつたが、歸路きろきつゝある戰士せんしは、まだきうには現場げんぢやう歸着きちやくしない。

 『無念むねんだッ、殘念ざんねんだッ』と地段太蹈ぢだんだふんでいたづらに口惜くやしがるのみで、うすることも出來できぬ。

水底に沈みし海豹

 そのうち海豹かいへう岸邊近きしべちかくにつて、いまさに水中すいちうらんとする途端とたん村松隊員堪むらまつたいいんたまね、銃口じうこうけて一發射擊ぱつしやげきこゝろみたが、不幸ふかうにして命中めいちうせぬ。

 すると海豹かいへうはう益々驚ますゝおどろいていそがせつひ水底深すいていふか姿すがたぼつしてしまつた。

 海豹かいへう如何いか陸上りくじやう負傷ふしやうしても海水中かいすいちうると、たちま平癒へいゆするものである。

 さて〱命冥加いのちめうがやつだ。

 午前ごぜん9二十20分頃ぷんごろ4にんせた短艇ボート歸船きせんした。

 武田部長たけだぶちやう討査とうさ狀況じやうきやう詳細つまびらか隊長たいちやう報告ほうこくした。

龜裂散在して突進不可能 花守アイヌの龜裂陷落 名刺を氷底に埋め歸航

 それはとほりである。

 『上陸じやうりくには如何いかにも適當てきたうではあるが、見亘みわたごとく、小山こやまたる氷峰ひやうほう集合しうがうしてるのは、なんといふ延長えんちやういうする大氷河だいひやうが終端しうたんであるから、突進とつしんほとん不可能ふかのうである。こと兩岸りやうがん急傾斜きうけいしやうえに、龜裂きれつはう散在さんざいし、薄氷之はくひやうこれおほうてて、一見平地けんへいちごとく、まこと危險きけんである。げん先陣せんぢんつた花守隊員はなもりたいいんは、一あやまりてみなみよりきたわたり、幾里いくりともはからぬはゞ3尺程じやくほど龜裂中きれつちう陷落かんらくした。さいは土屋一等運轉士つちやとううんてんしたすげたからめい無事ぶじであつたが、角危險かくきけんである。そこで、吾等われら上陸じやうりく斷念だんねんし、隊長たいちやう名刺めいし氷底ひやうていうづめて歸航きこうしたのである』とべた。

 隊長始たいちやうはじめ一どうおほい落膽らくたんした。

 武田部長たけだぶちやうは一どうなぐさめ、『しか此灣上このわんじやう探檢たんけんは、けつして徒勞とらうではなかつた。象牙ぞうげごと氷柱つらゝ研究けんきうきたつたゞけでも、十ぶん價値かちはあつた』といて、しきりに氷界ひやうかい莊嚴そうごんたゝへた。

『四人氷河』と命名 『開南灣』と命名

 くて隊長たいちやうは、其踏査そのとうさしたる大氷河だいひやうがに『四人氷河にんひやうが』と命名めいゝし、又此灣またこのわんには、『開南灣かいなんわん』のめいじた。

 位置ゐち西經さいけい百六十二162五十50分南緯ぷんなんゐ七十八78十七17ふんである、命名めいゝをはると、ふねふたゝ灣外わんぐわいた。

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 上陸地點じやうりくちてんくわんし、一同協議どうけうぎうえ突進隊とつしんたいだけは鯨灣ホエル、ベイ上陸じやうりくし、ふね沿岸隊えんがんたいせて、七世州せいランド探檢たんけんむかふことに決議けつぎし、午前ごぜん10時針路じしんろ逆轉ぎやくてんして西方せいはう滊走きそう開始かいしした。

 午后ごゞるや、一天次第てんしだいくもり、暗風益々寒威あんぷうますゝかんゐび、雪片せつぺん霏々ひゝとして甲板デッキつ。

氷界無人の境に不思議の船影

 此時針路このときしんろ二十20マイル彼方かなたに、一せき船影せんえいみとめた。

 船員せんいんは、をりしも來合きあはせた吉野隊員よしのたいいんに。

 『海賊船かいぞくせんだ―』とげたので、サア大變たいへんだ。

 吉野隊員驚愕よしのたいいんきやうがくあまり、船内せんない觸廻ふれまわつたので、一どう眞逆まさかとはおもへど、ドヤ〱と甲板デッキ馳付はせつけた。

 やがて、進航しんこうするにつれ、一せき帆船はんせん氷海中ひやうかいちう碇泊ていはくせるをたしかたが、はたして何處いづこふねなるやは、もとより不明ふめいである。

 開南丸かいなんまるからは早速日章旗さつそくにつしようき檣頭高しようとうたか揭揚けいやうすると、かれた一かゝげたが、距離遠きよりとほめと、をりしもの曇天どんてんとで、十ぶん其旗標そのはたじるしみとめることが出來できぬ。

近づけば其れ諾威探檢船フラム號

 くてふねすゝむるうち、彼我約ひがやく5マイル距離きよりたつしたときやうや旗標はたじるしあきらかにするをた。

 すなははた赤地あかぢあをである。

 こゝおい其船そのふねは、諾威ノールエー南極探檢船なんきよくたんけんせんフラムがうなることを確知かくちした。

 ほどなくふね目指めざ鯨灣ホエール、ベイ入港にふこうしたが、灣内わんない以前いぜんの『開南灣かいなんわん』とはちが結氷夥けつぴやうおびたゞしくしてふか突入とつにふすることが出來できぬ。

鯨灣の野氷上に投錨

 そこで、むをず、灣口わんこうなる野氷やひやう東隅西とうぐうにし1哩半マイルはんに、フラムがうへだて、氷中ひやうちうふね突入つきいれて碇泊ていはくした。

 とき午后ごゞ10であつた。

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灣内は一望廣濶

 一ぼう氷堤ひやうてい此處こゝ灣入わんにふり、灣頭わんとうあた氷堤ひやうていあひだやく十五15マイルもあるごと目測もくそくせられ、灣内わんないは一望廣濶ぼうくわうくわつとして視界只渺茫しかいたゞびやうぼうたるをおぼえ、灣口わんこうを一直線ちよくせん東西とうざい氷堤ひやうてい連絡れんらくせる堅氷けんぴやうは、たんとしてひくく、滿目皚々まんもくがいゝたるうへには、海豹かいへう、ペングインてう點々てんゝとして散在さんざいし、南極鷹なんきよくだか雪鳥スノーバーズひく左右さいう飛翔ひしようしてる。

極鯨幾群となく現はる

 又波靜またなみしづかなる深碧しんぺき海上かいじやうには、極鯨きよくげい幾群いくむれ此處彼處こゝかしこおよまわり、舷邊近げんぺんちかあらはれては、猛烈もうれつなる音響おんきやうはつしてれい潮柱しほばしらてる。

 一雪模様ゆきもやうも、やがて、暗雲あんうんの四さんとも陽光赫やうくわうかくとしてかゞやでた。時刻じこく夜半やはんちかきも、南極なんきよく太陽たいやう終日終夜しうじつしうやめぐみあるひかりねつとを地上ちじやうあたへてくれるので、百ぱん行動かうどうさいはひにして理想りさうごと進捗しんせうする。

 隊長たいちやうふね碇泊ていはく同時どうじに、隊員全部たいいんぜんぶれいして、陸上踏査りくじやうたふさにんかしめた。

 總員そういんは一勇躍ゆうやくし、準備じゆんび嚴重げんじゆうとゝのへ、ふねくだつて出發しゆつぱつしたのは午后ごゞ十一11である。

 ふねより眞直まつすぐ氷堤ひやうていまでやく2マイルあひだは、廣漠くわうばくたる一めん野氷やひやうで、其厚そのあつ3尺乃至じやくないし4しやく水面上すいめんじやうにはわづかに五六5,6すんあらはしてる。

氷の流出季節?

 一たい平盤へいばんとて、行進かうしんにはもつと適當てきたうであるが、目下もくか野氷やひやう流出季りうしゆつきちかづきつゝありとえ、數條すうでう龜裂きれつ畔疇はんちうごとく四はうはしり、南風なんぷう陣驀然ぢんばくぜんとしていたれば、たゞちに流出りうしゆつせんず形勢けいせいである。

目高の如き魚の樓息

 其龜裂そのきれつ間隙かんげき七八7,8寸位すんぐらゐ箇所かしよには、ふか海水かいすい碧色へきしよくたゝへ、目高めだかるゐするうを樓息夥せいそくおびたゞしきをる。

 かく危險此上きけんこのうへなく行進かうしんには多大ただい注意ちういえうするので、一かうしん薄氷はくひやうむの心地こゝちである。

 くて、一たい凍結氣味たうけつぎみなる雪路せつろに一歩々々ぽゝギュー〱と氣味惡きみあしきおとてつゝ文字もんじ前方氷堤ぜんぱうひやうていにとむかつたが、途中とちうおい二三2,3海豹かいへうた。

 其海豹そのかいへう斑紋はんもんあるうるしごと深黑色しんこくしよく皮膚ひふ艶々つやゝしく肥滿ひまんせるよりさつして、此邊海中このへんかいちう魚族ぎょぞく棲息せいそくおびたゞしきをぼくするにる。

 しかして其等それら海豹かいへうは、北洋ほくやう産若さんもしくは從來捕獲じうらいほくわくしたるものと、多少其種類たせうそのしゆるゐことにしてるらしくおもはれた。

探検隊一行の服装 流汗淋漓として全身を濕ほす

 一たい服裝ふくそうは、各々おのゝシャツ三まい股引もゝひきまい其上そのうへ隊服たいふく着用ちやくようし、防寒頭巾ぼうかんづきんかぶり、雪眼鏡ゆきめがね耳袋みゝぶくろには手袋てぶくろあしにはカンジキつき絨靴じゆうくわ穿き、六尺杖しやくづゑたづさへてるのであるが、益々前進ますゝぜんしんするうち、次第しだい照付てりつ太陽たいやうねつゆき反射はんやとで、すくなからぬ高溫かうおんかんじ、流汗淋漓りうかんりんりとして全身ぜんしんうるほす、それ故外套着用者ゆゑぐわいたうちやくようしやは、いでそれを背上はいじやうひ、あへぎ〱すゝむのである。

 雪盲病豫防せつもうびやうよぼうめの薄黑うすぐろ眼鏡めがねたまは、皮膚ひふよりはつする湯氣ゆげが、時々水蒸汽ときゞみゐじやうきとなつて附着ふちやくするので、はなはだしき鬱陶うつとうしさをかんぜしめる。

 とつてはづすこともならぬから、時々鏡面ときゞきやうめんぬぐうては、からふじて不快ふくわいなる前進ぜんしんつゞける。

二百尺以上の氷の峭壁

 やがて野氷上やひやうじやう行進約かうしんやく1時間じかんのち、一たい氷堤下ひやうていかたつした。あほれば二百200尺以上しゃくいじやうこほり峭壁せうへきは、峨々がゞとして聳立しやうりつし、紫靑せいしほのほごとちて慄然肌上りつぜんきじやうあはしやうぜしめる。

 こと其絶壁そのぜつぺきめんは、猛風もうふうきたごと缺落けつらくするとえて、突角とつかくすあり、雪崩なだれしめせるあり、あやうく落下らくかせんとする怪氷くわいひやうありとれば、磨立みがきたてし白堊はくあごと奇氷きひやうありといふ有様ありさまで、野氷やひやうえず落下らくかきた氷塊ひやうくわいめに破砕はさいせられ、海水かいすいさへえつゝ、群氷重疊ぐんぴやうちやうでふし、それが底部ていぶあら波濤はとうめに、ファ〱と緩漫くわんまんなる上下動じやうげどうおこながら、せきたる天地てんちに、ギーッ〱と絹裂きぬさごと奇音きおんはつしてる。

極地ならでは見られぬ凄壯の光景

 しかして氷面ひやうめん氷面ひやうめんとの間隙かんげきよりは、時々海豹其頭部じゞかいへうそのとうぶあらはしおそろしき齒牙しがをむきして深呼吸しんこきうをなすなど、其等それら光景くわうけいは、極地きよくちならでは到底とうているべからざる凄壯せいさう活畫くわつぐわである。

 前項ぜんこうごと光景ありさまであるから氷堤上ひやうていじやうたつせんには、其攀登そのはんとう困難こんなんなるは勿論もちろんすで堤下ていか野氷面徒渉やひやうめんとしやう危險きけんをもをかさねばならぬのである。

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辛ふじて一大氷塊に這ひ上る

 そこで、一たいは、3わかれてすゝむことゝなりだい村松むらまつ吉野よしの花守はなもり、の三人組にんぐみ分隊ぶんたい先鋒せんぽうとなつてすゝした。凍結とうけつして野氷上やひやうじやうの六尺杖しやくづゑちからに、注意深ちういぶか打渡うちわたり、からふじて一大氷塊だいひやうくわいあがり、溪間たにま飛越とびこえて右曲左折うきよくさせつながら、次第しだい〱に前進ぜんしんし、つと堤腹ていふくにまでたつした。

 すると前方ぜんぱうには一大雪崩だいゆきくづれあつて、如何いかにも物凄ものすご光景くわうけいていしてる。

 いよいれより作業さげふまくとなるのであるが、此處こゝ何分滑氷なにぶんくわつぴやう傾斜面けいしやめんで、すゝむにはうしても其處そこよこたはれる、ふか龜裂きれつ中間ちうかんぎらねばならぬ。

頭上を仰げば氷堤の一部將さに落下せんとす

 頭上づじやうあうぐと、傾斜けいしやせる氷堤ひやうていの一は、さに落下らくかせんずいきほひしめしてり、其危險そのきけんじやうまつた言語けんごぜつしてる。

氷塊に壓せらるゝか深溪に陷るかの二途

 すなはさい一寸ちよつと注意ちういおこたつたならば、氷塊ひやうくわいあつせられるか、もしくは深溪しんけいおちゐるかの二その一の運命うんめいせねばならぬ。

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命綱を曳き乍ら通む

 しか此難關このなんくわん通過つうくわせぬ以上いじやうとて前進ぜんしんみちがないので、もとより睹生決死とせいけつし面々めんゝとて、各々大勇猛心おのゝだいゆうもうしんおこして、にスコープを振上ふりあげ〱、奮闘ふんとうかぎりをつくした。其作業そのさげふ順序じゅんじょは、一人ひとりづスコープをもつゆきけ、通路つうろひらくと、後方こうはうしたが二人ふたりは、萬一まんいつをもんぱかつて、先頭せんとうものばくした命綱ライフ、ロツプながら、守護しゆごしつゝすゝむといふふうくて高聲かうせいはつするさへはゞかつて、所謂深淵いはゆるしんえんのぞむがごとく、薄氷はくひやうむがごと心地こゝちもつて、交代かうたい作業さげふにんいた。

 しか遅々ちゝたる作業さげふも、歩提上ぽていじやうちかづき、もなく平坦へいたん氷面上ひやうめんじやうたつして見返みかへると羊膓やうちやうたる隘路あいろは、雪中せつちう蜿蜒えんえんとして、ひらかれ、四顧しこすれば堤上ていじやうひとである。

萬歳萬歳の連發

 ホッと一ト息吐いきつくとともに、滿身まんしん流汗拭りうかんぬぐひもあえず、三人各々双手にんおのゝもろてたかくさしげて。

 『萬歳ばんざい!』と大呼たいこすると、だい二、だい三の分隊ぶんたい脚下あしもとより『萬歳ばんざい!』としつゝ續々堤上ぞくゝていじやう辿たどいた。

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 時計とけいると丁度ちやうど午后ごゞ十二12であつた。

 やがて1ぷんのちは、よく十七17にち午前ごぜん零時れいじである。

墨繪の如き開南丸とフラム號

 氷堤ひやうてい頂上ちやうじやうつて、はるかに沖合おきあひ瞰下みおろすと、碧波平へきはたいらかにして流氷處々りうひやうしよゝしろ點在てんざいし、灣内わんないめん野氷盡やひやうつくる處開南丸ところかいなんまる、フラムがうの二せきは、寂然せきねんとして墨繪すみゑごとうかんで開南丸附近かいなんまるふきん氷上ひやうじやうには、くろ人影點々じんえいてんゝとして右方左方うはうさはううごまわり、時々銃聲ときゞじうせいきこえてる。

 これ船員連せんいんれん長途ちやうと航海こうかいらうなぐさめんがかごでたる小鳥ことりごとく、野氷上やひやうじやうあるまわつては、ペングインてう海豹かいへうたぐひ狩獵しゆれうしてるものとさつした。

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 こうべめぐらして背後うしろ見亙みわたすと、一白無涯ぱくむがいなる氷原ひやうげんは、茫漠ぼうばくとして碧空へきくうあひつらな幾多いくた秘密ひみつ其奧そのおくぞうせるかのごとおもはしめるほかなに一つのかげらぬ。

 ことかゞく太陽たいやう白雪はくせつえいじて、一種莊嚴しゅさうごんかんは、一たい胸宇きやううふかく〱つた。

無人の淸淨界を踏破せんとする鐡脚

 先鋒隊せんぽうたいは、武田たけだ三井所みゐしよ西川にしかわ山邊やまべだい分隊ぶんたいがつして、皚々がいゝたる無人むにん淸淨界しやうじやうかい南進なんしんはじめた。

 大和男兒やまとをのこ鐡脚てつきやくは、いまよりおもうがまゝ此別乾坤このべつけんこん縦横じゆうわう踏破たふはすることが出來できるとおもふと、各員共かくいんとも心躍こゝろおどり、痛快此上つうくわいこのうへなしだ。

 くて、すゝむことなく南進なんしんすることやくマイル其途上氷質そのとじやうひやうしつ研究けんきうこゝろみた結果けつくわかく突進とつしん適當てきたう地點ちてんなるをみとたので、一歸船きせんせんときびすめぐらした。

西方に凸起する雪丘

 折柄をりから平坦へいたんなる西方地平線せいはうちへいせんあたり、岡陵こうりようごと凸起とつきする雪丘せつきうのぞんだ。

 『雪丘ゆきやま多分たぶんアムンドセン大佐たいさ根據地こんきよちであらう』などゝ取汰沙とりざたしつゝ、もと足跡あしあとんで以前いぜん氷堤上ひやうていじやう歸還きくわんした。

 此時隊長このときたいちやうは、防寒ぼうかんシヤツに毛皮けがはのチヨツキをけて氷堤上ひやうていじやうきたり、づ一白無涯ぱくむがい乾坤けんこん俯仰ふげふして非常ひじやう滿足まんぞくらしき微笑ほゝえみもららしたが、南進なんしんから歸還きくわんした一たいむかへて後徐のちおもむろに東方とうほうゆびさながら。

適當なる登攀地點

 『此處こゝよりもさら適當てきたうなる登攀地點とうはんちてん發見はんけんしたから、かく、一旦船たんふね引揚ひきあ暫時休養ざんじきうやう上午前うへごぜん9時頃じごろから大活動だいくわつどう開始かいしすることにしやう』とふ。

 そこで一どうは、峻坂しゆんぱんくだ野氷やひやう徒渉としやうして歸船きせんいた。

 歸船きせんしてると甲板上デツキじやうには卓子テーブル用意既よういすでとゝのへられ、入港祝にふかういはひのウヰスキーびんは、一たい勇士ゆうし待受顏まちうけがほならんでる。時正ときまさに午前ごぜん2であつた。

 午前ごぜん9より活動くわうどう開始かいしするはづであつたが、てつした疲勞ひらうめに隊員たいいん起出おきでたのは午前ごぜん10時頃じごろであつた。

 甲板デツキると一めん野氷やひやう何時いつしか風波ふうはめに幾分いくぶん流出りうしゆつしめし、めにふね餘程深よほどふか進入しんにふしていかり野氷上やひやうじやうげて碇泊中ていはくちうである。

 前日來野氷上ぜんじつらいやひやうじやう曳出ひきいだされた三十30とう輓犬ひきいぬますごと住家すみかからひろ自由じゆう氷上ひやうじやうたので久々ひさびさ樺太かばふと故郷こきやう歸省きせいした心地こゝちで、嬉々きゝとしてみぎまわひだりくるつてさも愉快ゆくわいへぬといふ有様ありさま

 えずゆきめてははならしてる。

 船員連せんいんれんは、今朝けさおもひ〱に狩獵しゆれうしたがうてる。

 前日來ぜんじつらい獲物えもの大海豹だいかいひやう7とう、アデレー、ペングイン鳥數てうすうのぼり、いづれも意外いぐわい大獵たいれうに、益々調子付ますゝてうしづいてる。

 やがて、隊員たいいんどうは、船員せんいん手傅てつだいけて、ふねから氷上ひやうじやう大小だいせう四十40荷物にもつおろした。

 れは陸上隊員即りくじやうたいいんすなはち、隊長たいちやう武田たけだ三井所みゐしよ兩部長りやうぶちやう山邊やまべ花守はなもりりやうアイヌの5にん突進隊員とつしんたいいん外氷堤上根據地觀測掛員ほかひやうていじやうこんきよちくわんそくかかりいん吉野よしの村松むらまつ兩員以上都合りやういんいじやうつごふ7名分めいぶん被服及ひふくおよ糧食りやうしよくである。

荷物の犬橇運搬

 氷上ひやうじやうおろされた是等これら貨物くわもつ山邊やまべ花守はなもり兩人りやうにんにて、氷堤下ひやうていしたまで犬橇及いぬそりおよ手橇てそり運搬うんぱんされるのである。

 この荷卸におろしの事業開始じげふかいし同時どうじに、隊長並たいちやうならび武田部長たけだぶちやう花守はなもりぎよする十五15頭立とうだて犬橇いぬそり搭乘たふじようし、道路開鑿豫定地點だうろかいさくよていちてんなる氷堤下ひやうていかいたり、實地踏査じつちたふさうえ荷物置場等にもつおきばなど指定していをなすべくおもむくと、つゞいて道路掛だうろかゝりたる吉野よしの村松むらまつ兩員りやういんは、山邊やまべぎょする十三13頭立とうだて犬橇いぬそり搭乘たふじょうし、雪搔用ゆきかきようのスコツプや命索等ライフ、ロツプなど準備抜ようゐぬかり出發しゅつぱつする。

 「トウ〱カイ〱」と、アイヌ犬追いぬおこゑいさましく、兩橇隊りやうそりたいやく三十30ぷん後氷堤下のちひやうていか到達たうたつした。

 一どうそりり、甲乙かうおつの二たいわかれ、甲隊こうたい坂路はんろぢて堤上ていじやうたつ龜裂きれつけつゝ四十40分間ぷんかんばかり東方とうほうすゝむ。

 一方指揮役ぽうさしづやく隊長たいちやう乙隊おつたいがつすべく提下ていかきた昨日選定さくじつせんてい開鑿地點かいさくちてん指示しじする。

 るとけはしい絶壁ぜつぺきではあるが、一丈許ぢやうばかさがつたところからは雪崩ゆきくづれになつてるので、道路開鑿上だうろかいさくじやうには比較的容易ひかくてきようゐ箇所かしよである。

 こと其下そのした野氷やひやうきはめてあつとざしてるので、少々迂廻せうゝうくわいながら工事こうじ案外易々あんぐわいいゝたるものらしくおもはれる。

氷提道路の開鑿工事

 開鑿地點かいさくちてん確定かくていとも大體だいたい計畫けいくわくをもて、乙隊おつたい堤上ていじやう嶮崕けんがいより六尺許しやくばか後方こうはうから工事こうじ取掛とりかゝることゝし、れい順序じゆんじよゆきこほり打碎うちくだき、掘下ほりさかた全力ぜんりょくつくす。

 此隊このたいはつまり上方じやうはうから下方かはうむかつて開鑿かいさくするのである。

 一ぽう甲隊こうたい提下ていか起點きてんとして乙隊おつたいとは反對はんたい下方かはうから次第しだい〱に上方じやうはう開鑿かいさくしつゝすゝむので、隊長たいちやう其隊伍そのたいごの一にんで、武田部長たけだぶちやう西川隊員等にしかわたいいんら助手ぢよしゆとして、れい順序じゅんじょ交代作業かうたいさげふ取掛とりかゝる。

 垂下たれさがりたる氷角ひやうかく打落うちおともの提路ていろ缺隙けつげき雪塊せつくわいうづめるものあるひ斷崖だんがいけづもの、スコープでゆき者等ものなど各々命索おのゝライフ、ロツプ取交とりかはしつゝ、奮闘數時間ふんとうすうじかんわたつた後漸のちやうやくにして兩隊半途りやうたいはんと相會あひくわいし、こゝに三尺幅じゃくはゞ崎嶇きくたる坂路はんろ氷堤ひやうてい上下じやうかつうぜられた。

大龜裂に架する手橇橋

 野氷やひやうあひだなる大龜裂だいきれつには、手橇てぞり2だいけてはしとなし、通路つうろだけは、くてとほりは出來上できあがつた。とき午後ごゞ10

 くがごと太陽たいやうひかり過激くわげきなる勞働らうどうしたがうた一どう眞向まつかふから寒天乍かんてんながらもおほいときならぬ苦熱くねつかんぜしめた。

黑きこと漆の如き容貌

 ことに一どう顏色がんしよく雪燒ゆきやけのめに、くろきことうるしごとく、目齒めはのみしろゆるさまは、亞非利加土人其アフリカどじんそのまゝなので。

 『れならば、雪中せつちう迷兒まいごになつても、大丈夫だいぢやうぶだ』と一同互どうたがひ打笑うちわらふ。

 道路開鑿作業だうろかいさくさげふ竣成しゆんせい同時どうじふねからおろした荷物全部にもつぜんぶ2だい犬橇いぬそりすで氷堤下ひやうていか荷物置場にもつおきばはこつくされてあつたので。

 殘務ざんむ明日あすことにしやうといふので、一どうふねかへり、翌朝よくてうまで休養きうやうすることにした。

船長のフラム號訪問

 今朝こんてう野村船長のむらせんちやうは、隊長たいちやうめいび、三宅通譯みやけつうやくともなうて、氷上ひやうじやうからフラムがう訪問はうもんし、正午頃歸船しやうごごろきせんした。

 同船どうせん以前北極探檢いぜんほくきよくたんけん令名れいめいはくせるナンセン博士はかせ用船ようせんであつて、建造費けんざうひ十九19萬圓餘まんゑんよのぼり、氷海航行ひやうかいこうかうには理想的りさうてきふねである。

 總噸數さうとんすう三百五十五355とん二十五25馬力ばりき石油汽罐付帆船せきゆうエンヂンつきはんせん内部ないぶ構造かうぞうすこぶ完備くわんびしてる。

 なほ其堅牢そのけんらう今日こんにちまでの經驗けいけんちやうするも明白めいはくである。

 船長せんちやうニイルソン氏(三十七37歳以下船員さいいかせんいん十一11めいいづれも豪傑揃がうけつぞろひで、氣焰却々高きえんなかゝたかい。

 昨年さくねん105南米なんべいアルゼンチンこくブエノス、アイレスこう出帆しゅつぱんし、此地このちへは10日前かぜん到着とうちゃくし、いま此灣口このわんこう碇泊ていはくして、只管ひたすらアムンドセン大佐たいさかう歸來きらいちつゝあるのである。

 ほア大佐たいさかう突進隊とつしんたい冬營地とうゑいちは、フラムがう所在地しよざいちからやく5マイル南方氷原上なんぱうひやうげんじやうにあるといふことだ。

稀有の好晴續き

 本年ほんねん氣候きかう昨年さくねんしてあたゝかく、ことこの二三2,3にちは、此地方稀有このちはうけう好晴續こうせいつゞきであるとは、フラム號船員がうせんいんかたつたところであつた。

 十八18日午前にちごぜん4前日來ぜんじつらい疲勞ひらうで、隊員たいいんどうグッスリ寢込ねこんで最中さいちう

荷物を置きて野氷流失せんとす

 『大變たいへんだッ〱、荷物にもつこほり一所いつしよながれてしまふぞッ』といふこえが、次第しだい船房せんぼうちかづいてる。

 一どう我先われさきにとまくらつて甲板デツキると、大切たいせつ荷物にもつかれてある箇所かしよ野氷やひやうは、いましも一ぱん浮氷ふひやうとなつて、ユラ〱となみうかさうとしてる。

猛烈なる雪塵の飛揚

 今朝天候こんてうてんこう相變あひかはらず快晴くわいせいであるが、南風頗なんぷうすこぶはげしく氷堤ひやうていたいから吹立ふきた雪塵ゆきちりは、かゞや太陽たいやうえいじて物凄ものすごく、ふね帆檣マストはピュー〱とうなりをてゝさむさはらむばかりである。

 突進隊用貨物とつしんたいようかもつは、昨日犬橇きのふいぬそり都合上成つがふじやうなるべく輕減けいげんし、陸揚りくあげはしたものゝ當座不用とうざふようぶん淘汰とうたしてふねから二十20間許けんばかりの距離きよりなる氷上ひやうじやう積置つみおいたのであつたが、何分時期なにぶんじき時期じきとて、強風きやうふうのまに〱野氷やひやう流出甚りうしゆつはなはだしく、したがつて貨物くわもつ箇所かしよすでうかる〱おくこほりはなれ、1すん2すんと、次第しだい距離きよりしてる。

p159

危機一髪の氷上貨物取除作業

 そこで隊員連たいいんれんは、當直船員たうちょくせんいん加勢かせいけ、敏捷びんしょうなる活動くわつどう末漸すゑやうや全部ぜんぶをばあやうふき氷上ひやうじやうから船内せんない收容しうようしたが、此活動このくわつどう終るをはいなや、貨物くわもつ取除とりのけられてかるくなつた氷盤ひやうばんは、忽然こつぜんとして速力そくりょくはやめ、見守みまもるうちにおきへ〱とながつた。

 其間眞そのかんしん危機きゝぱつであつた。

 野氷やひやう流出りうしゆつともに、ふね又更またさら前進ぜんしんして、おく氷端ひやうたんにとく。

p160

寒風を冐してペングイン鳥の捕獲に向ふ

 ときおほいなる2のペングインてう突然氷上とつぢよひやうじやう立現たちあらはれ、れい鷹揚おうようなる羽叩はばたきをなしつゝ、いとむつまじげに悠歩ゆうほはこぶ。

 これ發見はつけんした、吉野よしの渡邊わたなべ安田やすだ柴田しばた、の4勇士ゆうしは、雄心勃々禁ゆうしんぼつゝきんずるあたはず、ふねおりるとぐ、すさ寒風かんぷうおかしつゝ捕獲ほくわくむかうた。

 くて現場げんぢゃういたるや、4勇士ゆうし二手ぶたてわか1二人ふたりづゝの手配てくばりで、なんなく生擒せいきん目的もくてきたつし、早々繩さうゝなわにてはぐし、それを氷上ひやうじやうてられたる棒杭ぼうぐひくゝけ、凱歌がいかそうして歸船きせんした。

 るとその2は、初見參うひけんざん帝王エンペロアペングインてうで、身長みのたけ3じやく5すん重量ぢゆうりやう6貫餘くわんよもあらうといふ逸物いつぶつである。

 力量りきりやう絶大驚ぜつだいおどろくべく、麻繩あさなはにて八文字もんじばくされながらも、とがつたくちばしにて四邊あたりつゝまわそれめ一どうは、まんでもかれては一大事だいじ迂潤うくわつ寄付よりつかず、いづれも遠卷とほまきでワイ〱とはやしてた。田泉技師たいづみぎし早速活動寫眞さつそくくわつどうしやしん撮影さつえいしたが、活動寫眞助手兼務くわつどうしやしんぢよしゆけんむ池田農學士いけだのうがくしは、舷頭げんとう鐵綱てつづなから氷上ひやうじやう飛下とびおりやうとしてあやまつてすべらし、したゝ背骨せぼね撲付うちつけて氣絶きぜつした。

 『池田氏いけだし氣絶きぜつしたッ』といふこゑに、一どうはペングインてうどころでないから、早速現場さつそくげんぢやうあつまり、大勢おほぜい船内せんないかつんで、みづくすりよと立騷たちさわいだが、さいわひにして息吹いきふかへしたものゝ一却々なかゝさわぎであつた。

フラム號士官の開南丸訪問 此の如き船にては来り得ず

 其處そこへ、フラムがう士官しくわん2めいが、我開南丸わがかいなんまる來訪らいほうしたので、早速船内さつそくせんないともなひ、茶菓ちやくわきやうして種々談話いろゝだんわまじへ、ひにおうじて船内せんないを一順案内じゆんあんないしてせたところ彼等かれらは、『んなふねでは我等われら到底此處とうていこゝまでは扨置さておき、途中とちうまでもることが出來できぬ』とつて、すこぶ驚愕きやうがくいろしめした。

 烈風れつぷう却々吹なかゝふまないが大切たいせつ場合ばあひとあつて、隊長始たいちやうはじ隊員たいいんどう絶大ぜつだい勇氣ゆうきして、昨日きのふ引續ひきつゞ事業じげふたる、貨物くわもつ運搬うんぱん死力しりよくつくした。

 今日けふ前日來ぜんじつらい經驗上けいけんじやう絨靴ぢうくわあまりにおもくして、到底勞働用とうていらうどうようとして不適當ふてきたうなのをみとめ、總員藁靴さういんわらぐつ穿用せんようすることとし、眼鏡めがね黑絽くろろ掩布おほひもちゐることとした。

 一かう2だい犬橇いぬそり分乘ぶんじようし、野氷やひやうはしつて荷物置場にもつおきばると、無念むねん殘念ざんねん!折角昨日苦心せつかくきのふくしんして開鑿かいさくした新道路しんどうろも、粉々ふんゝたる飛雪ひせつめに諸所埋沒しよしよまいぼつし、交通かうつうはここに遮斷しやだんされてる。

 そこで其箇所そのかしよふたゝ開通かいつうせねばならぬので、隊長並たいちやうならび武田部長たけだぶちやう其任そのにんあたることゝし、荷物にもつ運搬方うんぱんかたとなつて、れより氷堤ひやうてい上下じやうかする困難こんなんなる役割やくわりあたつた。

 猛烈益々威力もうれつますゝゐりよくきた南風なんぷう眞正面ましやうめんけて、運搬うんぱんにんあたつた各員かくいんは、エッサ〱と峻坂しゆんぱんのぼるのであるが、其困難そのこんなんまつた名狀めいじやうすべからざるものである。

六尺棒を杖として登攀す

 只身體たゞからだ一つでさへ、一に一ぜんといふ稀有けう峻路しゆんろであるうえに、各員かくいん背上はいじやうおも貨物くわもつをば、一々つなにてながら、六尺棒しやくぼうつゑとし、富士ふじ強力ごうりきといふ姿すがた辿たどのぼるのであるから、いづれもへそ緒切をきつて以來いらい難行苦役なんぎやうくえきであつたに相違さうゐない。

 こと烈風れつぷうまじつて吹雪ふゞきは、あえいでひらくちあたつていまにもいきとまりさう、まだそのうえ足場あしばわるめに、もつと險峻けんしゆん箇所かしよでは、5しやく身體からだ吹飛ふきとばされんとあやぶくらゐで、到底とうてい2本足ほんあしでの歩行ほかう出來できぬ。

 そのやう場合ばあひには、いづれも双手もろていてむまとなり、わづかにこれ結付むすびつけたるかねのカンヂキをちからとしてのぼるのである。

 其困難そのこんなんさまは、とて形容けいよう出來できはなしではない。

蟻の如く氷堤を上下す

 くて、10にん輸送隊ゆそうたいありごと氷堤ひやうていきつもどりつして、必死ひつし立働たちはたらく。

 た一方道路方ぱうだうろかたは、絶間たえまなくゆきけて、間斷かんだんなくスコープをうごかしてる。

 くのごと總員そういん絶大ぜつだい奮闘ふんとう繼續けいぞくした結果早けつくわはやくも午後ごゞ2には、貨物全部くわもつぜんぶ無事ぶじ堤上ていじやう運搬うんぱんつくし、一てい場所ばしよ整然せいぜん山積さんせきさるゝにいたつた。

 これにて最難さいなん事業じげふたる氷堤上ひやうていじやう荷物運搬にもつうんぱんの一でうは、からふじて一段落だんらくげたので、氷堤ひやうていくだつてふねへとむかふ。

 ふみゆく野氷やひやう數刻前すうこくぜんとはまった其形態そのけいたいへん強風きゃうふうぢんぢんきたごとに、野氷やひやうの一其結氷そのけつぴやう薄弱はくじゃくなる部分ぶぶんからけて氷盤ひやうばんとなり、次第しだい〱に流出りうしゆつする。開南丸かいなんまる流氷りうひやうおほめに、危險きけんけておきで、フラムがう東方とうはう徐航じょこうしつゝある。

浮模様の如く見ゆる氷片の流出光景

 ひくたいらかなる氷片ひやうへんは、波立なみだ碧海へきかい浮模様うきもやうごとく、おきへ〱とつらなつて流出りうしゆつる。

 何氣なにげなく見亘みわたした流氷群りうひやうぐんなかの一ぺん氷岸ひやうがんからやく二十20けんはなれたる、一氷片ひやうへんうへ取入とりいれ、のこりの不用貨物ふようくわもつえる。

荷物の一部見るみる流失

 『アレゝ荷物にもつが・・・・』と一同指どうゆびざしてさわまはつたが、さて救助きうぢよみちがない、ながして、段々遠だんゝとほざかるのを、す〱抛棄ほうきするのむをざる無念むねんさ!。

 其貨物そのくわもつ手橇てぞり3だい罐詰くわんづめばこ大工道具だいくだうぐの一部等ぶなどであつたが、やがて、とほおきへ一てん黑子こくしとなつて流去ながれさつてしまつた。

 此灣このわん到着とうちゃくした當日たうじつには、投錨地點とうびやうちてんから氷堤ひやうていまで3哩以上マイルいじやうもあつた野氷やひやうが、いま其過半そのくわはん流出りうしゆつり、のこ部分ぶゞん次第しだい流出りうしゆつしやうとしてる。

 それ見亘みわた海面かいめん非常ひじやう浮氷ふひやうかずである。

 しかさいはひにも一ぱう海路かいろひらけてるから、一どう最端さいたん氷角ひやうかくつて大聲おほごゑそろへつゝ。

 『開南丸かいなんまるーッ〱』とさけんだ、が雪針せつしんふくんだ南風強なんぷうつよ吹付ふきつけるので、應答おうたふこえきこへてるが、短艇ボートうかべることの危險きけんおもんぱかつてか、容易よういむかへに様子やうすがない。

 勞働中らうどうちう流汗淋漓りうかんりんりとしてたが、少時しばらくでも休息きうそくすると其汗そのあせたちまちにこほつてしまふ。

防寒服上の雪片銀の鎧の如し

 防寒服上ぼうかんふくじやうには雪片せつぺん流汗りうかんとが、とも凍結とうけつして、いづれもしろがねよろひ着用ちやくようしてるやうで、其寒そのさむさつたらい。

 で、いづれも端艇待ボートま足踏あしふみしてわづかに寒威かんゐ抵抗ていこうして始末しまつである。

 そのうちに、現在佇立げんざいちょりつしてこほりも、忽焉こつえんとして流出りうしゆつしやうとするので、おどろくまいことか、一どうは「大變々々たいへんゝ」を連呼れんこして、からふじて氷上ひやうじやう退却たいきゃくしたが、其間實そのかんじつ危機きゝぱついまべう相違さうゐで一どうんだ俊寛しゆんくわんの二代目だいめえんじるところであつた。

足元の氷頻に流れ出す

 『じつ危險きけんだなア、此調子このてうしでは寸時しばし油斷ゆだん出來できないぞッ』などゝたがひ警戒けいかいしてると、はたしてふたゝ足許あしもとこほりが、グラ〱と動搖どうえうおこして、ながさうとする。

 『ソラ又流またながすぞッ』とさけんで『げろ〱で』退却たいきゃくしやうとすると前方ぜんぱうゆる8寸許すんばかりひらがり、海水かいすゐへて、なみられてうごいてる。

 一どうしたが、る〱其裂そのさはゞ3尺餘じゃくよたつし、しゅん瞬海水しゅんかいすい幅廣はゞひろあらはれてる。こほりながれてるのだ。

 一どうおどらせて他氷たひやううつつた。途端氷とたんこほりこほりとの距離きょり六七6,7しやくたつし、かんぱつあやふき場合ばあひであつた。

九死に一生を得たる危険

 るとそのこほりは、東端とうたんよりながはじめて、一どう他氷たひやううつつたときは、わづかに西部せいぶに一かくだけ連絡れんらくたもつて刹那せつなであつたので、まったく九に一しやうひろわけなのであつた。

 すると又他またたの一はうに、やく三十30けんはうの、一氷盤ひやうぱん流出ながれださうとしてる。

山邊アイヌと輓犬三十頭を乗せし氷流出せんとす

 其氷上そのひやうじやうには、山邊やまべアイヌと三十30とう輓犬ひきいぬとがつてて、山邊やまべいま如何いかにして犬群けんぐんとも無事他氷ぶじたひやううつつたものであらうか」と、あまりの急場きうばに、救助きうぢよもとむるこえ得立えたてず、こゝろ周章狼狽しうしょうらうばいきよくたつながら、右往左往うわうさわうして最中さいちうなので、これ逸早いちはやみとめた吉野隊員よしのたいいんは、咄嗟とっさ其氷盤上そのひやうばんじやう飛移とびうつるやいな犬群けんぐんを六尺棒しやくぼう無闇矢鱈むやみやたら安全あんぜんなる方面はうめん追立おひたてた。

 山邊やまべ今少いますこしでその尺棒しゃくぼうのお見舞みまひけるところであつた。

 しか吉野隊員よしのたいいん此過激このくわげきなる方法はうはふもつと機宜きぎてきしたるもので、さいはいにも山邊やまべアイヌと犬群けんぐんとの生命せいめいまつたふせしめることがきた。

 くだん氷盤ひやうばんこれ前同様ぜんどうやう最後さいご吉野隊員よしのたいいんが一やくして他氷たひやううつるとほとん同時どうじに、急迅きうじんなる速力そくりよくもつ沖合おきあひながした。

最初から最後まで二分間

 此大活劇このだいくわつげき最初さいしよから最後さいごまでは、やく2分間ふんかんであつた。

 こゝおいて一どう益々野氷ますゝやひやう危險きけんなるをつて、佇立ちょりつせる箇所かしょからやく2丁餘ちやうよなる、荷物置場にもつおきばへと退却たいきゃくした。

 吉野隊員よしのたいいん早速有合さつそくありあくひ打込うちこみ、菰蓆こもむしろ半月形はんげつけいりてゆきにてうづめ、其前面そのぜんめんはこむしろたぐひきた寒地かんち旅人たびびとが、吹雪ふゞきける專賣特許せんばいとくきょの「雪除小屋ゆきよけごや」といふのをしつらへた。

氷塊の缺墜する大音響

 一どう角其中かくそのなかにもぐりんで、むかへのふねまで待合まちあはすことにしたが、ゆきこそ直接ちよくせつかゝらね、寒氣かんき依然いぜんとして激烈げきれつわたるのみならず背後はいご氷堤ひやうていは、時々ときゞ100らいの一つるがごと大音響だいおんきやうてる。

 これふまでもなく氷塊ひやうくわい缺墜けつつゐするのであるが、其度毎そのたびごと雪除小屋ゆきよけごやの一どういまにも頭上づじやう大氷塊だいひやうくわい落下らくかして、一卜しにつぶされるのではあるまいかと、そゞろに凄愴せいさうかんもよふしつゝふるえてた。

 くてあるうち、一時間じかん後開南丸のちかいなんまるは、全力ぜんりよくもつ汽走きそうしつゝ、最端さいたん氷岸ひやうがんへと横付よこづけになつた。

 雪除小屋ゆきよけごや連中れんぢうは、「お待兼まちかね」とばかり、舷梯げんていぢてやうや入船にふせんしたが、甲板デッキ時計とけいると午後正ごゞしゃう4であつた。

 今日けふ上來じやうらい作業さげふほかに、氷堤上ひやうてうじやう天幕建設テントけんせつ着手ちやくしゆ豫定よていであつたが、風力猛烈加ふうりよくもうれつくはふるに海潮急迅かいてうきうじんめに今日けふ作業さげふこれ切上きりあげとし、いづれも船内せんない休養きうやうすることにした。山邊やまべ花守はなもりりやうアイヌけは、輓犬保護ひきいぬほごといふ役目やくめがあるので、荷物置場附近にもつおきばふきん露營ろえいけつしたから、ふねたゞちに流氷りうひやう衝突しやうとつけつゝ再度沖合さいどおきあひたが、午後ごゞ十一11潮流てうりう工合ぐあひで、氷堤ひやうていちかづいて徐航ぢよこうした。

濶然たる鏡面巍峨たる白壁を宿す

 くれば十九19にち灣内わんない見亘みわたすと、野氷やひやうほとんまつた流出りうしゆつつて、深碧しんぺき海水かいすい氷堤ひやうてい直下ちよくかにまでたつし、巍峨ぎがたる白壁はくへき濶然くわつぜんたる一大鏡面だいきやうめんうつして、ごと倒影とうえいえがいてる。

 小流氷せうりうひやう處々しょゝ點々浮遊てんゝふゆうするも、其數極そのかずきはめて稀少まれである。

魚鱗の如き卷層雲

 そらあほげば卷層雲けんそうぐも魚鱗ぎよりんごとく、又昨日またきのふ烈風れつぷう何時いつもかんで、上陸じやうりくには申分まをしぶん誂向あつらへむき好晴こうせいである。

 陸上突進隊りくじやうとつしんたい5めい根據地觀測掛員こんきよちくわんそくかゝりいん2めい都合つがふ7めいの一たいは、いよい今日けふもつ開南丸かいなんまる暫時ざんじ訣別わかれげ、氷雪界ひやうせつかい探檢たんけんくのであるから、朝來何てうらいいづれも其準備そのじゅんび忙殺ぼうさつせられてる。

 やがて、準備じゅんびをはつたとき隊員船員たいいんせんいんどうは、船艙せんさう蓋板ふたうへにて、こゝろばかりの祝盃しゅくはいげた。

 又隊長またたいちやう船長せんちやうとは、今後こんご打合うちあはせをした。

 其結果そのけつくわ開南丸かいなんまる今日けふより上記じやうき7めい上陸じやうりくせしめるとぐ、エドワード七世洲せいランドむかつて解纜かいらんし、沿岸隊員えんがんたいいん上陸探檢じやうりくたんけんへてのち近海きんかい測量そくりやうげ、豫定よてい日子につしつひやしたるうへふたゝ此鯨灣このホエール、ベイ引返ひきかへすことにけつした。

突進隊と沿革との袂別

 くて午前ごぜん7ふね氷堤近ひやうていちか進入しんにふした。

 7めいいさんでふねしたが、分袂ぶんべいのぞ各員かくいん握手あくしゆまじへつ。

 『しつかりたのむぞッ』

 『ウム大丈夫だいぢやうぶ!』などのいさましき會話くわいわ交換かうくわんされた。

p171

 野氷やひやう流出りつしゆつ同時どうじに、前日來ぜんじつらい苦心開鑿くしんかいさくしたる道路だうろも、幾分いくぶん缺落けつらくしてるので、さら上陸地點搜索じやうりくちてんさうさく必要ひつえうしやうじた。

 そこで上陸隊員じやうりくたいいん出發しゆつぱつさきだち、短艇ボートおろされるととも村松むらまつ西川にしかわ高川たかゞは柴田しばた4めいは、下調査したしらべめに氷堤ひやうていむかうた。

 オール時々氷片ときゞひやうへんあたつて水中すいちうらず、へさきてる西川隊員にしかわたいいんは、フックにて氷塊ひやうくわい推分おしわからふじてきしいた。

 昨日來吹さくじつらいふすさんだ強烈きやうれつなる南風なんぷうは、たゞに一たい野氷やひやういておきながつたのみならず、氷堤下ひやうていか大龜裂だいきれつの一がんから全部ぜんぶ流出りうしゆつせしめたのである。

 めに折角開鑿せつかくかいさくしたる道路だうろの一氷山ひやうざんとなつて、堤下ていかたゞよひ、其頂上そのちやうじやうには足跡猶そくせきなえやらず、あざやかにしるされてるといふ始末しまつ桑田碧海さうでんへきかい譬喩たとへ道理ことわりや、形勢全けいせいまつたく一ぺんして、昨日きのふ名殘なごりとしてはわづか2だいそり藁蒲團わらぶとんとを材料ざいれうとして、臨時りんじしたるはしの、むなしくちんとせるをるのみである。

 此橋このはしからやく三十30けん東方とうはうに、ひくきしえる。

 早々之さうゝこれむかふと、てう胸高位むなだかぐらゐであるから、やうや氷上ひやうじやうつことをた。

 そこで、短艇ボート西川にしかわ村松むらまつ兩隊員りやうたいいん氷上ひやうじやうのこし、いよ〱上陸隊員じやうりくたいいん上陸じやうりくせしむべくふねへと引返ひきかへした。

 其間そのま西川隊員にしかわたいいん氷岸ひやうがん上陸足場じやうりくあしばつくり、村松隊員むらまつたいいんは、上陸地點じやうりくちてんから氷堤道路ひやうていどうろまでの順路じゅんろ探査たんさしつゝすゝむ。

昨日の堅氷今日の龜裂

 傾斜けいしゃ稍ゝ緩やゝゆるやかなるところ辿たどつて、以前開鑿いぜんかいさくしたる道路だうろ中途ちうとたつしたので、村松隊員むらまつたいいん堤腹ていふくぢて、荷物置場にもつおきばいたり、露營中ろゑいちう山邊やまべ花守兩はなもりりやうアイヌをおこさんものと堤上ていじやうのぼり、やく10すゝむと、昨日きのふまでは平氣へいき歩行ほかうしつゝあつた一尺許しゃくばかりの處は雪橋落ゆきはしおちてふか龜裂きれつあらはし、こゝろみに其内部そのないぶうかゞへば、紫色ししょくびたる龜裂特有きれつとくいう靑氣せいきほのほごと立罩たちこめて物凄ものすごく、處々しよゝ雪棚ゆきだなけて、そこられぬが其危險名狀そのきけんめいじやうすべからざるものである。

 つて早々竹棒さうゝたけのぼうてゝ危險きけん目標めじるしとなし。

アイヌ式の睡眠法

 さらすゝんで荷物置場にもつおきばいたつた。ると、りやうアイヌは、アイヌしき4ほんたけ組合くみあはせ、南方なんぽう麻布あさぬのつてむしろならべ、其中そのなか寢袋ねぶくろくるまりつゝ、夢路安ゆめぢやすらけく睡眠中すいみんちうである。

 村松隊員むらまつたいいん早々兩人さうゝりやうにん呼覺よびさまして作業さげふ從事じうじせしめた。

 けば前航海ぜんこうかいときゆい生存犬せいぞんいぬたる「マル」の行衞ゆくゑが、昨夜不明さくやふめいとなつたので、花守はなもりアイヌは八方搜索ぱうさうさくしたが、つひ發見はつけつすることが出來できなかつたさうである。

 『多分龜裂たぶんきれつ陷沒かんぼつして、非業ひげふ最後さいごげたのだらう』と、悄然せうぜんとしてかたる。

上陸隊と母船との聯絡は斷たる

 ふね氷岸ひやうがんとのあひだでは、短艇ボート數回すうくわい往復わうふくをして、隊長以下豫定員たいちやういかよていいんどう上陸じやうりくし、寢具しんぐ學術器械等全部がくじゅつきかいとうぜんぶ運搬うんぱんれうし、いよ〱母船ぼせん上陸隊じやうりくたいとの聯絡れんらくたれやうとした。

 隊長以下たいちやういか7めい輓犬ひきいぬ三十30とうは、わた日光につくわうびて氷堤上ひやうていじやう並立へいりつし、開南丸かいなんまる甲板デッキの一どう相和あいわして元氣げんきなる「萬歳ばんざい!」をさけはした。

 とき午前ごぜん8であつた。

 やがて、開南丸かいなんまるは、悠々灣岸ゆうゝわんがんはなれ、灣口わんこうて、一でう黑烟こくえん、一せい汽笛きてきのこしてつひ其姿そのすがたえずなつた。

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