南極記デジタル書籍紹介

南極記:第三章 陸上本隊の探檢(原文)

開南丸は、隊長以下七名の上陸隊員を氷岸に見殘して、先づ投錨地變更の爲めに汽走を開始した。

氷岸上の人も犬も名殘惜しげに母船の後姿を見送つて居るうち、船影は次第に遠ざかつて、殘烟一抹、雲と合して最早呼べど叫べど、答ふるものは物凄き氷塊と氷盤との相軋る奇響のみとなつた。

上陸員一同は、急に睡から覺めたやうに、各々活動を開始した。

先づ海岸に無造作に積上げられたる荷物全部を氷堤上に運搬し、絶崖に傾斜して架け渡されたる例の橋までも、苦心の末取收めた。

其材料に使用されてあつた上臺の橇、二本の角材、一枚の藁蒲團及び綱の類は、手を分つて漸く堤上に運搬された。

運搬が濟むと、早々犬橇を走らせて堤上より南方に向ひ、氷堤缺落の危險を怕るゝが爲め、能ふだけ氷堤の緣より距たりし箇所を卜して、根據地に定めることにした。

斯くて海岸より、約二哩の地點の處を、適當安全と認めた結果、其處に根據地築設の作業を起した。

此地點は宛も南緯七十八度參十參分、西經百六十四度二十二分に當つて居る。

一刻を爭ふ突進の場合であるから、根據地の天幕小舎築造作業は、氣象觀測の爲めに、殘留する、村松、吉野、の二隊員に一任し、一行は直にも進發する筈であつたが、何分肝腎の隊長は雪盲病に罹り居り、吉野隊員も山邊アイヌも同病に惱んで居る爲めに、他の一行の疲勞も其極に達して居る際とて、旁々今日一日は休養と決し、天幕小舎の築設に、總員手を借して作業することゝなつたのである。

一望千里の雪野とて、猛烈なる南風を避くるに物影のない場所であるから、天幕小舎を築設するにしても、地形は少なくも雪中四尺位は掘下げる必要がある。

そこで雪穿り役は武田部長、三井所部長、村松、吉野、兩隊員の四名之に當ることゝなり、花守、山邊の兩アイヌは、犬橇を以て、堤上に運搬されたる先きの荷物を、此根據地まで移搬する役目に就いた。

隊長は此等の仕事の總指揮役たるは云ふまでもない。

雪は掘るに從うて次第に堅きも、幸ひにスコープには掛かり易く、而も土よりは輕きと、土の如くに汚れないのとで、結句一同は氣持よしとばかりに、鼻唄さへ交へての作業、工事は案外に手早く進捗した。

縦横三間、深さ四尺の雪中の開鑿工事が程なく竣成すると、一方兩アイヌの運搬仕事も全部終了した。

輓犬は次第に慣れて、八十貫目位のものを容易に曳くやうになつたのは賴もしい。

犬群總數三十頭、其うち例の「まる」一頭は前記の如く行衞不明で、今以て所在が知れず、又た他の一頭、これは先頭犬であつたけれど、仲間喧嘩の末、脚部に負傷して、歩行困難で役立たぬから使用せぬことゝし、殘數都合二十八頭を二隊に分ち、内十五頭は花守組、内十三頭は山邊組としたが、此兩橇隊はナカナカの元氣に見受けられた。

先づ〱好都合である。

早朝からの勞働の爲めに、總員大に空腹を訴へ出した。

作業の一段落となつた處で、七人は車座となり、堀下げたる劃内を食堂として壯快涯り無き奇抜の會食が試みられた。

極地の太陽は何時しか白鉛色の雲に蔽はれて、雪片はパラ〱と降つて來る。

やがて、再び作業を續けたが、天幕の全く建設を終つたのは午前十一時であつた。

今其根據地小舎の説明をすると、先づ小舎の入口正面は北面して、遙かに母國に向ひ居り、天幕の頂上には、高く日章旗を極風に翻がへし、勇士の夢も今宵は暖かさうである。

内部中央の柱は、萬一を慮つて、雪中深く埋めたので、外部より望むと、如何にも背丈の低いやうに見えるが、内部はナカ〱廣く、四方共雪塊を以て、壘々として天幕の裾の風鎮としてあるから、大抵の烈風の襲來を受けても、大丈夫である。

先づ暖かき休養所が出來たので、一同は『マア一休みだ、跡は明日の事〱』と云ふので各々天幕内に這入り、疲勞の軀を雪床の上に横へた。

横臥して見上げると、天幕は何分シドニー滞在中半箇年間も使用した物であるから、淡黑色に變じて居る。

併し之れも客裏天涯の淋しく佗しい勇士の夢を護つて居た記念の品であると思へば、懐かしくもある。

天幕の此變色に引代へ、床上の綺麗なることは言語に絶して居る。

宛で白銀を張詰めたやうである。

又た四面に積んだ雪の間からは、氷の年層も見えて、光線が屈折して射し込み、紫色勝つた靑氣の現はるゝは、又なく美はしい。

云はば自然の壁畫である。

而も此世に絶對に無き一種神秘の繪具を以て、鬼神の描き成したる絶代の超人工の傑作である。

一同は驚異の眼を見張つて、四壁の美はしさに醉うて居る!。

さて天幕内では、入口よりの通路を中央にして、左に右に、三人四人と、各自茣座一枚づゝを下敷となし、毛皮の寐嚢に潜り込んで眠に入つた。

就寢の時氣溫を驗すると、攝氏零下十三度に下降して居た。

室の中央には、手製火鉢を置いてあるので、炭火の暖味は、稍や極地の雪中に臥する體軀を溫むるに足つたが、雪床は何分凹凸の甚しい爲めに、身體處々の痛みを感じ、まことに不快である。

併し疲勞した身の、何時しか各々深睡に落ちて、やがて鼾聲は太古以來人跡稀なる荒寥の地上に
起つた。

長時間酣睡を貪つたと思ふ頃、武田部長は大聲を出して。

『オイ最う十時だ、今日は出發しなきやならぬから、起きやう!』と云つたので、一同は元氣能く起床し、鯛味噌の味噌汁に暖を取りつゝ朝餐を終つた。

處が朝餐後に至つて何うも翌朝でないやうな氣がする。

結局夜のない時候とて午前と午後とを間違へたことが自記機械によつて解つたので、哄笑しながら、一同再び就寢した。

却々の奇寒で五體は凍結しさうである。

翌くれば二十日、今度こそ間違なしの朝である。

フト氣が附くと、犬が非常に鳴いて居る。

一頭ならず二頭ならず全部の犬が鳴くやうなので、天幕外に出てみると、彼等は皆跼んだ儘口を揃へ空を仰いて鳴いて居る。

其聲は如何にも悲しげな、長く續いた調であるので、アイヌに其事を尋ねた所、永年犬は扱つて居るが、未だ斯んな鳴聲は聽いた事がないと云ふ。

では寒いから早く出發さして呉れよとの催促だろうと、寢囊から跳ね起きたのは、午前七時であつた。

一同は雪で口を嗽ぎ、手を洗ひ朝餐を喫して武者振ひを爲し、スックとばかり立ち上つた。

所が武田部長三井所部長、村松隊員の外は皆雪盲病に罹つて居る。

今朝になりても未だ治癒せぬ。

併し一刻を爭ふ場合とて、是非突進を決行しやうと、山邊、花守の兩アイヌは、食後先づ橇への荷積に掛つた。

荷は多く、兩アイヌも初めてゞはあり、却々迅速には捗取らぬ。

のみならず何分極寒の地であるから、寸時と雖も手袋を脱ぐことが出來ぬ。

手袋を着けての積荷は却々骨の折れるものである。

併し鬼をも挫ぐ兩人の勞働とて、程なく全部豫定通りに進捗した。

正午十二時、愈よ出發することゝなつた。

陸上員七名中、突進隊とも云ふべき五名の陸上本隊員は、隊長以下頗る元氣能く、又た根據地に留まる村松吉野の兩隊員も、矢張元氣能く、此兩人は氣象觀測の重任を帶びて居るので、突進隊の出發から歸着までの間は、留守居の妻の役目である。

渺茫たる氷野閴として聲なく、南天眸を決すれば、孤雲飛ぶ。

壯士此時の別離誠に無限の感がある。

兩者は誠心の迸しれる眼に訣別の思を托し、握り交す手に熱烈の情を寄せ、『さらば』とばかり相別れたのである。

突進隊員の服裝は、上はシャツ二枚、下はズボン下一枚といふ元氣、わけて、武田部長は、一同の如く道中眼鏡を掛けた外に、手にコンパスを執り、胸にバロメーター、腰にホドメーター、といふ姿、天晴なる探檢家的服裝であつた。

犬橇は二隊に分れ、前隊は十五頭曳、花守の橇で、隊長と武田部長。

後隊は十三頭曳、山邊の橇で、三井所部長といふ順序。

處が出發に際し、前隊の元氣よく、アイヌの發する「トウ〱」の懸聲諸共曳出すに引代へ、後隊は輓犬の弱い爲めか、少しも進まないのである。

そこで、村松、吉野、の兩隊員は、橇の後押となつて五六町も押し出した。

而も其間に橇が三回も顚覆するといふ騷ぎであつた。

斯くて五六町後押しの後、もう走り出すだらうと思うても、押さぬと、矢張進まない。

仍て已むなく鱒一俵と副食物と、重量約十二貫目ばかりを卸し、漸つと徐進するやうになつたので、愈々此處に三井所山邊、村松、吉野の兩隊員四名の最後の握手となり、橇は前隊を追うて南東指して疾走を開始した。

橇の上から根據地の方を見返ると、殘留の兩隊員は、橇の影の見えずなるまではと、何時までも其處に佇立して名殘り惜しく見送つて居た。

進み行く雪原の雪は、五寸、八寸、乃至一尺の深さで、橇の進行なか〱、困難である。

やがて、三時間餘も進んだ後、凹凸ある箇所に達したので、一先づ休憩して、時計を見ると四時〇五分であるから、今少し進んだ後、露營せんものと、更に進むと、右方に小丘數個と、龜裂の一帶とを發見した、何分初日の事ではあり、人も犬も疲勞の極に達して居るので、此處に今宵は露營と決した。

時に午後四時五十分であつた。

露營天幕は速座に張られたが、天幕内には雪上に、ヅツク二枚を敷き其上に各自の毛皮の胴着を布き、座の中央に石油焜爐を置いて、暖爐と厨爐との兼用に備へた。

一同は、例の鯛味噌の味噌汁に舌鼓を打ち、手輕な晝餐を終つた後、武田、三井所、兩部長は、花守の橇に乘つて、前きに發見した小丘の研究にと出發した。

處が往けども〱意外の遠距離で容易に到達しない。

之れは一白皚たる雪原、何等眼を遮る物無き處では、視界の標準が立たぬ爲めに、遠近の目測は兎角錯視に陷るものである。

漸つと一時間半餘を費した後、研究に十分なる箇所まで辿り着いたが、其結果件の小丘は、雪が吹寄せられて自然に作られた丘狀であつて、雪原の紆曲等より生ずる烈風の作用であらうとの結論を得、一先づ天幕に歸營したのは、午後九時頃であつた。

此夜一同の雪臥の夢を暖めたる天幕は、高さ五尺、上徑一寸二分、足五本、幕の上部は水色の麻布で、裾三尺ばかりカーキー布で作られたものであつて、天幕の入口は、特殊の設計に成れる帆木綿製の圖筒狀のものを裝置せられ出入の時は其墜道を潜るのである。

此第一日の突進行程は、三里十八町、針路は東南南を指さした。

寒き雪中露營第一夜の夢が覺めて、時計を見ると、早や翌二十一日の午前八時である。

武田部長は早速觀測に取かゝる、三井所部長は撮影をする、山邊、花守の兩アイヌは、炊事の傍ら頻りに輓犬の世話をする。

やがて、朝餐を終ると彼是十一時となつた。

隊長の眼症は追々と快方、何よりも結構である。

程なく出發した時は午前十一時十二分であつた。

相變らずの泥雪は、ズブ〱として脛を沒し、歩行頗る困難、橇曳く犬群も大に惱んで見える。

併し雪は南進と共に次第〱に堅くなるやうである。

兎も角輓犬の勞を少なうせんが爲めに、成るべく乘員は橇を下りて徒歩する事にした。

やがて、三時五十分となつたので、晝食の爲め進行を休めたが、空を仰ぐと雲の色は段々と險惡になり、雪片霏々として降り初めたが、天候の劇變著るしき極地の事とて見る〱雪は風伯に伴うて吹雪となり、次第〱に猛烈なる大風雪となつた。

全く咫尺をも辧ぜざる光景、迚も此中を前進することは不可能である。

そこで、已む無く露營と決し、匇慌と雪中に天幕を張つた。

此日輓犬は、前隊、後隊、各一頭づゝ隋氣を生じ、橇を曳かないので、列外に出して、一隊に隨はしめることにした。

列外に出された犬は、ヨボヨボして橇隊から兎角後れ勝に隨いて來るやうであつたが、さて休憩して見返ると、犬の姿は見えない。

何れも氣遣うて居ると、約一時間後トボ〱と歩いて來た。

夜九時一同就寢した。

此日の行程三里二十丁であつた。

露營の第二夜が明けると、二十二日である。

午前八時一同起床した。

『昨夕は非常な吹雪だつた』と隊長は語る。

他の連中はグッスリ寢込んで居たので、夜中の大風雪には夢を破られなかつたのである。

武田部長例により朝の觀測に從事する。

何うも吹雪襲來の模様があるので、出發を躊躇したが、幸に午前十時頃から天候恢復の兆を示して來た。

隊長の眼症は今朝は益々快方に向つたので、一同大に元氣を得。

『今日は大に奮發して進行を急がう』と、異口同音に勇み立つた。

輓犬も主人等の元氣にかぶれたものか何時になく元氣である。

今日までの經驗によつて、雪中露營に用ふる天幕に就いての智識を得た。

即ち天幕は色止めしたる靑色が最も良い。

シャツクルトン氏の探檢隊の用ゐた天幕は、靑色ではあつたが、色止めをしてなかつた爲めに天幕内の煖爐の火氣を受けて褪色した。

すべて天幕の色は、褪色すると非常に眼の爲めに不良である。

故に天幕は假令全部靑色でなくとも上方だけは、是非褪色の憂なき靑色を用ゐるに限るのである。

それから天幕の柱は竹材よりも木材の方が遙かに適當して居る。

又た天幕を出る際は、必ず眼鏡を用ゐねばならぬ。

是等は全く實地經驗上より得たる活智識である。

扨て愈よ出發したのは、午后一時であつた。

處が前夜の吹雪の爲めに、滑る箇處頗る多く、加ふるに荷の重量が輓犬の牽引力に對して稍や過重なので、兎角後隊は前隊に比して後れ勝となる。

そこで、二時間許り隊長と三井所部長とは、橇の後押を試みた。

斯く二里許を進んで處で、犬も人も疲勞を感じたので、臨時休憩をなし、評議の結果、前二日間の經驗に鑑み、荷物の大節減を行うことにした。

隊長は毛皮の防寒服、武田、三井所、兩部長並に山邊、花守、の兩アイヌは、互に寢囊を共同にするに決し、其他の防寒服と、九日間の食糧と、其重量約四十貫目許を橇より卸し、其處の雪中を直ちに貯藏所となし、目標の爲めに三角形の赤旗を樹てた。

之れで橇も餘程輕くなつたので、午后五時再び出發した。

併し輓犬の疲勞は相變らずで、元氣頗る沮喪して見えた。

進行中不圖氣が着くと磁針が時折變更するので、橇上の鐵器一切を取除くと、漸つと變化を受けなくなつた。

これが若し長時間氣が着かずに進んだら、意外の方角違ひを演じて居たに相違ない。

午後九時頃南西方に當り、山岳らしき物數點を目擊した。

『ソラ山が見える!』『イヤ彼れは山ぢやない、蜃氣樓だ!』と種々の議論が出る。

そこで、針路を變へて其方向に進むべく急いだが、南極は水氣多き地とて、遠近の度頗る不明である。

そこで、一先づ露營地を定めることゝし、午后十時、とある雪上に天幕を張つた。

武田部長は山邊花守等に命じて、其山の視察に向はせた。

やがて、是等アイヌの報告によると、其地點は雪原ではなくして灣である。

山の如き二百尺ばかりの氷堤が其處に聳へて居て灣内には野氷が張詰め處々に綠色の水も見えるとの事である。

先刻山岳と見たのは、此大氷堤であつたのだ。

此大氷堤は、宛ら火山噴出の痕の如く見える此日行程は六里十二町である。

雪原突進の第三夜(夜と云ふも無論當時太陽は沒せず、只時間の示す所により普通夜の時間に當る時を便宜上斯く云ふのみ以下之に同じ)は、過ぎて二十三日の朝となつた。

曉來武田部長は、前夕の花守アイヌの報告に基き、狀況視察の爲めに單身露營地を出發したが、果して彼の言の如く、此處に一つの灣が灣入して居て、其岸に大氷堤があつた。

此灣は鯨灣の灣口に於て見らるゝ最終點から東南に屈折して、三十里程も入込み居るやう見えた。

此灣の終點が東南に屈折して居る事に就いては、他の方面より見ても充分に證據立てられる。

それは最初開南丸が灣口に到着した時は薄い氷が灣内に漲り詰めて居たので、遙かに遙かなる此灣の終點は屈折して居るものか、居ない物か、充分には判らなかつたが、同船がエドワード七世州より歸還した時には、灣の終點が東南に屈折して居るやうに見られた。

此際には最早灣内の氷が解けて、靑々とした水が漫々と湛へて居たので、水面と氷堤との境等も明白に見られたが、灣の最終點の氷堤は東南に向つて居る事が明白に見られた。

尙村松、吉野兩隊員はアムンドセン一行の海岸天幕訪問の際同灣の最終點が東南に屈せる事を確かに目擊した軈て歸營すると、午前八時であつたので部長は日々の例に依り、天測に從事した。

天測は毎日午前八時と午後四時との二回に經度を測り、正午に緯度を測ることになつて居る。

此時人工地平儀を取扱はふとすると、水銀が全部酸化して居る。

寒帶地では却々酸化を防ぐことは困難である。

のみならず、豫て脱脂綿で拭いて置いた、其水銀が、デツキ、ウオツチ、に浸蝕して居るのをも發見したので、部長は其修覆を試みやうとすると、手はセキスタントの凍結せる鐡器に附着して、あわや、凍傷しやうとした。

此一例に見るも、如何に奇寒の烈しいかゞ知られる。

極地に於ける機械の取扱は、此くの如く、甚だ困難である。

午前十一時、露營地を出發し、南進の歩を急いだ。

進路は一里二里位に亘る緩漫の紆曲を成し、極軸に向ふに從ひ次第に高き傾斜を呈するが如く感ぜられた。

そは何故と云ふに、之を數里前方から見た時には、一の南走したる高原を明かに認め、互に之を指ざしつゝ橇を進めたのであつたが、さて二三時間の後に至り、其指したる位置に到達すると、案外にも平凡なる紆曲の小丘に過ぎぬことを發見したからである。

又た後隊の橇、後れて、其小丘が前後兩隊を隔てて、挾んだ時には、後隊が前隊の姿を見失ふことは屢次である。

兎に角眼界は茫々として際涯なき處へ、雪の反射の爲めに眼眩ゆくして前方を直視することが能きぬ。

それ故に、其紆曲傾斜の角度などは、眞に想像に苦む譯で、只進行の難易の比較や、橇の緩急から推して之を知るのみである。

輓犬も今日は餘程曳き馴れて來たと見え、頗る調子が良い。

此分ならば前途先づ安心であらう。

進行中橇の上に在る時は、シャツ一枚で十分な位の暖味を覺える。

併し寸時でも停止すると、奇寒は疾忽に肌を襲ふのは勿論である。

午後三時五十二分橇を停めて晝餐を喫し、小憩の上、再び出發したのは午後六時であつた。

此時雪片霏々として降り來り、前隊の先頭犬はともすると道に迷うて、一向用を爲さぬ。

そこで、三井所部長は橇を下り、犬に先んじて道先案内役となつた。

然るに間もなく小飛雪は大吹雪となり、烈風物凄きが中に、雪霧四面も掩ひ、全く三間先すら見えずなり、呼吸も出來ぬ位となつた。

三井所衞生部長は左右の手にコンパスを携へつゝ進路を測つて進むのであるが、折々行路を誤り、後方のコンパスから注意を受けること屢次である。

此道先案内は、假令晴天の時でも、一木一草なき雪原であるのみならず、一分間前に目標とした紆曲の丘頂や、遙方の雲形などは、進むと共に變化するから甚だ困難である。

却々實驗者以外の者では想像も及ばぬ程である。

今日は、午後十時まで、強行の筈であつたが、輓犬へは前日荷物減少の際に少し許り糧食を與へたのみであつたから、流石の犬群も大に疲勞し盡して居るのと、吹雪の何時歇むべしとも見えないのとで、午後八時四十五分、第四の露營天幕を張ることにした。

此日の行程八里三十町天幕内で、今日の進行の困難を語りつゝ、一同打揃うて晩餐を喫したが、鯛味噌の溫い味噌汁は、雪中露營者に如何ばかりの體溫を與へたことであらう、殊に其美味は終生一行の忘るゝ能はざる所で、他國探檢家の未だ曾て味ふことの出來ぬ、日本探檢隊のみへ天與された美味であつたことを特記して置く。

明くれば二十四日、午前八時三十五分、一同起床した。

前日來の吹雪の爲めか、天幕内の敷物に濕氣を生じて、其不快涯りない。

前後四晝夜の露營生活の經驗により、陸軍用の毛皮胴着か、探檢用として最も適當品であることを知つた。

朝來一天搔き曇つて居るので、天測不可能の爲め、その代りに三井所部長露營地の撮影をなし、而る後、人も犬も元氣よく南進の途に就いた。

時正に午前十一時二十七分である。

一望萬里、眸底に收まる一白の世界は、實に莊嚴無比の絶景である。

併し橇の進行につれて、氷骨の處々に横はつて居ることを知つた。

次第に進むうち、それが段々と多くなる。

此氷骨は、降りたる積雪が、極の猛風に吹寄せられて、出來たもの宛も海豹の横はりたる程の大きさである。

それが凍結して氷骨となり、橇が其上に乘上げると滑る、滑つて橇が顚覆する、全く橇と氷骨との戰ひである。

出發以來顚覆既に四五回に及ぶといふ騷ぎである。

斯く橇は氷骨の爲めに劇しき上下動を起すので、遂にコンパスの安全枠が外れて終つた。

武田部長は。

『大變だ〱、コンパスが破れては、それこそ盲目者が杖を失つたやうなものだ、』と云つて、早速修繕に取掛つた。

だが何分氷點下十八度といふ寒氣であるから、橇を停めての修繕は、迚も形容の出來ぬ苦痛である。

宛ど其時は午後三時半であつたから、修繕の終ると共に晝餐を喫し、小憩の後、正五時再び出發した。

然るに、午後七時三十分に至り、矢張氷骨の與ふる激烈なる上下動の爲めに、磁針器に故障を生じた。

此時の溫度は前回よりも降下して、氷點下二十二度といふのであるから、少許の油斷によりて武田部長は滋針器修覆中に凍傷を受けた。

實に危險なことである。

やがて、更に南進を續けたが、餘りの寒さに辟易し、遂に午后九時五十分を以て、第五夜の露營天幕を張ることにした。

其前、午后九時頃、後列の輓犬一頭、右足凍傷に罹り、歩行に堪へ兼ねて打臥し、曳摺られつヽ悲鳴を揚げるやうになつたので、列外に離して橇の跡から從はしめた。

此日の行程九里半、空は終日曇り勝であつたが、吹雪の來襲を受けなかつたのは先づ〱幸ひであつた。

翌二十五日、白瀬隊長から喚起されて起床したのは午前八時である。

毎朝〱、連日の疲勞で、ともすると寢過さうとする、曰く觀測、曰く出發準備、それ〲の任務を終つたのは午前十一時であつたが、空模様次第に曇色を增して來たので、暫らく進發を躊躇して居るうち正午となつた。

『今日の天候は怪しさうだが、進める丈け進まう』と云ふので、正午露營地を出發した。

處が輓犬先生は、段々ズルクなつて、人間が前方に居るとか、或は鳥でも居るとかでないと、何うも進まない、背後から指揮した位では、歩まなくなつた。

そこで隊長や武田部長や三井所部長は、代る〲橇の前方に立つて、道先案内になることにしたが、何分滿地の氷骨は壘々として、一歩に一滑といふ有様、滑つては轉ぶ、仆れる。

就中武田部長が最も多く滑轉げるといふのは、背丈の高い爲めだといふ三井所氏の説は科學的でないが、結局、學術部長だけに、重量なる機械を身に帶びて居る爲めであるといふ部長自身の説明の方が合理的である。

恁んな騷ぎで、少々疲勞したので、小憩したのは午後二時半であつた。

輓犬も、段々慣れて來たし、それに橇の前方へ立つて、案内してくれるのもよいが、歩むよりも顚覆の方が多いといふ工合では、却つて橇の進行の邪魔になるといふ山邊、花守、兩アイヌの言に、傘屋の丁稚と同様骨折つて怒られた連中、それでは乘らうと云ふので、何れも橇上の人となり、午後三時出發を始めた。

斯くて進むうち、見る〱氣壓計の針は下降し始め、前方を見亘すと、雪は降るのでなく舞うて居る。

之は無論大吹雪襲來の兆候なので、一同警戒怠らず、雪中の強行を續けて居ると、果して大吹雪!。

ドーッ〱といふ猛風、猛雪、極地の寂寥々を破つて、物凄きこと限りなく、午後五時頃に至ると益々猛烈を極め、疾風さへ其度を加へて、全く咫尺を辧ぜずといふ光景。

實際極地の大吹雪は、内地人の想像だも及ばぬ猛烈無比のものである。

此大吹雪は、端なくも一行に、大椿事を與へやうとした、といふのは他でもない。

前隊後隊の聯絡が絶え様とした事である。

ドーッと一時に猛烈に吹雪の來た時、呎尺濛々となつたが、間もなく前隊の方で見返つて見ると、直ぐ數間の背後に在るべき筈の後隊の橇の影が見えないのである。

『サア大變だ、後の橇が見えないぞッ、荷物が分乘してあるから、若し此儘で長時間に亘ると、双方とも飢死だ』と叫ぶ。

恁ふ騷いで居るうちに、髭は凍り初める。

寒暖計は零下二十五度を示し、竦々と肌に逼る寒威は、五體を凍結して終ひさうである。

此時隊長は、流石多年北方の寒境を探檢した經驗家だけに、一同が來し方を眺めて立騷いで居る隙に、素早く三四本の竹杖を雪上に立てゝ之にカンバスを張り、應急の防寒準備を繕らへ、一同を其中に招いて。

『何うだ、恁ふすれば少しは凌げるだらう』と云ふ。

這入つて見ると、ナル程多少は暖かい。

隊長の此新案法のお蔭で、一同は幸に凍死の憂目を免かれることが出來た。

暖まつたのはよいが、默つて待受けて居るのも能ではないと、呼笛を取出して吹かうとすると、笛が凍つて居るので、口に凍着して、ともすると唇邊に凍傷を受ける、全く始末が惡い。

氣は揉める、寒さは肌を襲ふ、加るに著るしく空腹を感じて來る。

全く八寒地獄と餓鬼道とへ一所に陷つたやうな境遇、流石の花守アイヌも髯面を皺めて泣出しさうに爲つて居る。

さて待てども〱一向後隊の姿が見えぬ、一同聲を揃へて『オーイッ〱』と呼ぶのであるが、口を開けると、氷の如き寒氣が口中へ流込んで、咽喉の奥までも知覺を失ひさうに寒い。

併し寸秒も油斷の出來ぬ大切な場合であるから更に大聾打揃へて。

『オーイッ〱』と叫んだ。

斯くて氣を揉むこと、約三十分間に亘つたが、一向應答がない。

脚元を見ると輓犬共は、吹雪の中に全身を埋め、寒さの爲めに嗅覺が鈍つて居るので、身動きもせずに各々悄然と蹲まつて居る。

人も犬も、心細さに於ては同一である。

さても後隊の橇は何處の雪中に踏迷うて居るのであらう?。

一方後隊の橇の消息を述べると、例の午後五時頃の不意に襲來した猛烈なる大吹雪の際、先頭犬は吹雪の寒さの爲めに嗅覺の鈍つた處へ、前隊の橇跡を、重い雪で消されて終つたので、突然方向に迷うて歩を停めた。

山邊アイヌは驚いて、三井所部長を呼び。

『前隊の橇跡が消えて、大變だッと叫んだ。

三井所部長は直ちに橇を飛下り、毛布をスポリと羽織り、鏡眼を外して、右方十間許り半圓形に探索を試み非常の苦心の末、漸くとある氷骨の上に一條の痕跡を留めあるを發見したので、同時に其方向に向かつて大聲を揚げ。

『オーイッ〱』と呼んで見た。

然るに何の返辭もない。

答ふるものは刄の如き寒風の猛雪と戰つて荒ぶる音ばかり。

サア心配になつて來た。

若し前隊と接續が出來ぬと大變である。

此隊にはコンパスがない、又た天幕の脚もない、只だ糧餐と石油とは此方に持つて居るが、それでは何れにしても双方とも大困難である。

そこで、三井所部長は、心窃かに。

『いよ〱橇跡が不明となれば、徐ろに現場に露營し、一日でも二日でも、天候の恢復を待つの外はない』とまで決心したのである。

併し之は神祐とでも云ふべきものか、三井所部長の心頭に、チラリと一點の光明が閃めいた。

神の導きとでも云ふべきものであらう。

早速部長は歩み出した。

足の向くまゝに歩み出した。

橇も部長の先頭に信賴して走り出した。

すると果して、前隊の輓犬が印した凍傷の血痕やら、糞尿などの痕跡が處々に見える。

之には三井所部長は大に意を強ふし、道先案内となつて橇隊を導いた。

斯くて三十分間も進んで行くと前方幽かに暗影の一列を認めたので、部長は山邊アイヌと相看て微笑、覺えず「萬歳」を叫んだ。

そして走りながら。

『オーイッ〱』と連呼した。

一方前隊の方では、待てど暮せど後隊の姿が見えぬ。

隊長も武田部長も殆ど絶望の極に達して、評定區々の處へ、何處からとも知らず、幽かに遠方から。

『オーイッ〱』といふ聲!。

『ソリヤ來たッ、オーイッ〱〱』と、此方は一齊に聲を揃へて答へた。

併し生憎の逆風なので、後隊へは其聲が達しないやうだから、立上り伸上つて、狂氣の如く打叫んだ。

すると程なく一點の黑影が視界に現はれ來り、次第に近づいて來る。

双方からは互に呼び交し〱、漸くこゝに再會することが出來た。

あゝ此時の嬉しさ!筆にも言葉にも盡せない。

唯だ讀む人の想像に一任するの外はない。

兩隊無事に相合すると間もなく、天候險惡の度は、層一層に加はつて來た。

そこで、露營と決し、隊長の例の新案防寒壁の下へ、天幕を張つた。

其時の寒さつたらない、手足の指は殆ど切れむばかりであつた。

さて天幕の張られた處で、一同其中にもぐり入り、人間の方は一先づ安全になつたが、輓犬の消息如何にと、雪上を見亘しても、一匹の姿も見えぬ。

試みに雪に向つて呼と、雪中の其處、此處から、黑い鼻先をヒョコリ〱と現はした。

一同も之には驚いたが、犬は斯る極寒の地へ來ては全身を雪中に埋めて頭丈出して眠るものと見える。

そこで、考へた、兎に角、極地の探檢用としては犬は最も便利である。

犬は人間一人の糧食で、一人半の量を曳くと云ふのだから之を馬匹に比すると、其輕便同日の談ではない。

一行の此突進の成功も全く犬のお蔭であるのだ。

天幕を張つたのはよいが、吹雪の烈しい時には、天幕を持つて往かれる。

それから用便に立つ者があると、天幕を突上げるので、殘る者は天幕無しに我慢をせねばならぬ、のみならず、出て用便をして歸ると、雪片を附着して來る、そこで。

『若しも雪を入れたら、天幕から、三間の退却を命ずる』と云ふ規約が成立つた。

その結果、用便は天幕内の其場で用達しをする事になつた。

すると尾籠な話であるが、一人が一方の雪上で、ヂャー〱と小便をすると、他の一人は其雪に隣つた雪を掬つて湯を沸かすといふ始末、一寸聞くと穢いやうであるが、併し塵つ氣一つない天地だから先づは淸淨極まるものとして置かねばならぬ。

夜の更くると共に吹雪は益々烈しくなり、疾風物凄く、ともすると天幕を吹き飛ばすので、糧食箱を天幕内に入れ、天幕の頂上から繩をかけて、件の箱に結び付け、更に各自の身體を其箱に結び付けた。

人間も天幕吹飛ばし豫防の道具と化しては中々骨が折れる。

此夜武田部長は、コンパスの修繕をなし、他は翌朝突進の準備を整へて、就寢したのは夜の十二時であつた。

攝氏零點下二十二度の寒氣は、毛皮の寢嚢を襲うて、寢ても當座は、非常に寒冷を覺へたが、やがて、暖まつて來ると、漸く凌げるやうになつた。

夜半過ぎ眼を覺すと、針の如き最も微細なる雪粉は天幕を通して幕内に入り、各自の寢嚢の上に白く降り積つて居た。

四圍皆雪の銀世界中に、一同は此の如き有様で露營第六夜の夢路を辿つたのである。

此日行程八里半!。

翌二十六日、午前五時、一同眼覺めたが、天候依然として險惡、吹雪は益々烈い。

依つて何れも起床を躊躇し、寢嚢から顏だけ出して眺めると天幕を通して、入り來つた粉雪は寢嚢を白綸子の夜具の如くにして眞白く、嚢内から吐く呼吸は、顏の邊りの毛皮に凍結して、霜の如く、天幕の裾の一大部は、一尺ばかり雪に埋もれ、宛ら雪山のやうである。

午前十時、氣壓示度十五度、風は南南西で、吹く毎に肌を刺すやうに感ぜられる。

午後二時、氣壓示度十八度、やがて、吹雪は漸く衰へたので、起き出たのが夕刻の五時頃であつた。

空を見ると太陽の位置が餘程變つて居る。

直ちに食事を喫めたが、何分二十六時間に亘つた大吹雪で、其間飮まず食はずであつたので、一同は腹の減つた事夥しい。

丁度繪に書いた餓鬼のやうに貪食した。

やがて、一同出發の仕度に取掛つたが、天幕の内部に焜爐を焚くと、天幕内面に附着した居た雪が融けて、ポトリ〱と雫して落ちるには少なからず閉口した。

糧食を調べて見るとソロ〱缺乏を告げさうなので、協議の末。

茲に『今、明兩日間出來得る丈進んだ後、引返さう』と云ふことに決し。

其豫定で、天候の恢復を待つて進發したのは、午後九時三十分であつた。

途上は相變らず氷骨壘々として雪中に横はり、橇旅行には頗る困難である。

かくて、約三十分許り進行して來た時、これまで最も能く働きし斑犬、前右足に凍傷を受け、悲鳴して打臥し、曳摺られゆく故、三井所氏診察の末、列外に離してやると、背後より鳴きながら從いて走つて來たが、見るうち〱中に十五六町も後れた。

實に愍然の至りであつた。

『何れ橇跡を見て、次の露營地へ來着するであらうから』と、其儘見棄てゝ進行した。

此日夜半までの行程五里二十二町である。

翌二十七日、午前二時半、一先づ休憩して、食事を取つた。

食事中果して病犬はびつこ曳き〱到着した。

やがて、再び出發したのは午前五時半であつた。

今曉二時頃から東方に當つて、島か山か、四箇の峰頭を認めたので、針路を其方に取つて二時間餘も進んだが、少しの變化もない。

距離にして十里餘を進んでも少しの變化を見ない。

全く不得要領に終つた。

そこで、之れは多分蜃氣樓であらうと云ふので、其方向に進むことの徒勞を悟つて、午前八時半、一先づ天幕を張つた。

輓犬も今日は餘程疲勞して居るので、日中は休憩することゝし。

各々寢嚢に親しんだが、夕刻に至つて、曩きの蜃氣樓を見ると、何時の間にか位置を更へて居る。

之が所謂幻岳と稱せらるゝものであらう。

前夜午前零時以後の行程十二里十四町。

午后六時半、再び出發することになつた。

又素との正南針路に轉じて進行したが、輓犬の疲勞益々甚しいので、總員交代て、徒歩するに如かずと、雪上を、トボ〱と辿つたが、例の氷骨は相變らず一同を苦めた。

此時溫度、攝氏零下十二度であつた。

軈て、進行を續けたが、氷骨壘々として橇の進行を妨ぐること甚しく、殊に坂路のこととて、兎もすれば顛倒しさうになる。

喘ぎに喘いで、前進を強行した末、橇の進行を止めたのは、翌二十八日の午前零時三十分であつた。

昨二十七日午後六時半より同日夜半までの行程十一里夜半より二十八日午前零時半迄の行程壹里である。

此地點が即ち我が突進隊員一行が到達したる、最終の所である。

氣溫を驗すると正に攝氏零下十九度半、なか〱の嚴寒であつた。

晩餐の後、隊長は寢に就いたが、三井所部長は尙ほ眠らず毛皮の胴着の綻びを縫ひつゝ、花守、山邊、兩アイヌに犬の世話などに就き何呉となく話して居た。

斯くて、三井所部長並びに兩アイヌの寢に就いたのは午前二時である。

唯、武田部長のみは夜を徹して觀測に從事して居た。

經度は毎日午前八時に測定する筈であるから、武田部長は、時針の午前八時を報ずると共に觀測を遂げた結果。

此地點は西經百五十六度三十七分であることを知つた。

然し緯度は正午にならなければ分らぬのである。

軈て、一同起床したのは、午前十一時であつた。

程なく朝餐の後、時針の正午を指すのを待つて、武田部長は緯度の觀測を遂げた結果、南緯八十度五分なるを知つた。

一行は此處まで來つて、此地點を最終點とした。

それは此隊の主たる目的なる學理上の觀察を略ぼ爲し得たと考へたからである。

是に於て先づ天幕の傍に穴を掘り、携へ來れる芳名簿を入れし銅製の箱を埋め。

其傍に一間許りの竹竿を樹て、其上に豫て用意の大國旗を翻へし、更らに之に隣つて赤ペンキを塗つたる三角形ブリキ製の回轉旗を樹て、其等の旗の下に突進隊員全部整列した。

此時、白瀬隊長は國旗の下に嚴かに一般同情者諸士に感謝する旨の式辭を述べ、謹んで陛下の萬歳を三唱し奉つた。

一同は之に和して續いて萬歳を三唱したが、それが終ると、隊長は此露營地を中心として、目の届く限り、渺茫際なき大雪原に『大和雪原』と命名した。

時正に午後零時二十分であつた。

其間三井所部長は、此莊嚴なる光景の撮影を爲した。

小憩の御、此記念すべき、最終點を出發したのは午後二時三十分であつた。

途すがら橇の上から幾度となく記念の最終點を振向いて見ると、漠々たる此雪原の中央に樹てられたる國旗は、翻翻として極風に翻へり、其眞紅の色は皚々たる千古不滅の氷雪に映發して壯觀無比であつた。

嗚呼大和雪原よ!。

今より以後千歳、萬歳、地球の存續せん限り、永遠に我が國の領土として榮えよ。

今は無人の陸として知らるゝ此の南極の大陸も、幾千歳の後には必らずや、人烟揚り車馬來往するの街衢と化せん。

希くは光榮あれよと、感慨は誠に無量であつた。

さて、前方の橇には隊長と武田部長とが搭乘し、花守アイヌ馭者となつて、犬を急ぎ立て歸途に就いたが進む時に骨の折れたる反對に、歸途は一般の地勢が傾斜して下り坂と爲つてるので、犬の歩が非常に早く、午後五時三十分頃には既に前夜の露營地に到達して居た。

三井所部長は後方の橇に乘り、山邊アイヌ馭者となり前隊を追うて歸路を急いで居たが、絶えず背後を振回つて見ると、懐しき國旗の影は、軈て、雪か空か、白雲漠々たる地平線下に沒して終つた。

最早眼に見ゆる物は雪の野原のみ、耳に聽ゆるものは、風の音のみ。

悄然として歸路を急いだ。

斯くて、午後七時二十分、後れ勝ちの後隊は前夜の露營地に休憩中の先隊と合したが、今日は是非共次の露營地まで強行を繼續しようと云ふので、間もなく兩橇共進行を始めた。

所が雪霧が烈しく程なく之れが吹雪となつて襲來せんず徴候を呈したので、橇は眞一文字に一生懸命!烟の如く吹き送る粉雪を突いて進行した。

全速力の結果夜半十二時には貳捨里七町を進んだので、天幕を張つて其處に休泊した。

翌くれば、二十九日である。

午前九時、一同起床、同十一時三十分出發した。

徐行の後更らに午後二時三十分から大強行で進んだが、第一番に疲れたのは犬である。

一度休憩して更に出發と云ふ時になると、先頭の犬を始めとして全群容易に立上らない。

依て一同掛聲勇ましく、彼等を勵ましたが、中々立上らない。

是に於て出發時間は大に延引したが偖其後犬の機嫌も少しく回復し、イザ出發と云ふ時になると、四方俄かに暗憺として、密雲低く垂れ、西方より風に伴ふて雪片が頻々と襲ふて來た。

其雪を衝いて、此邊特有の下り氣味なる平原を進行し、午後零時五十分第五露營地を後に見て、小時間進行の後、一ト先づ休憩することゝした。

玆に氣の毒なのは、輓犬の糧食缺乏である。

犬奉行たる花守、山邊、兩アイヌは何よりも是を心配し、流石、犬奉行だけに密かに自分の糧食たる、ビスケット、を割愛し、彼等が食料の不足を補ふたのであるが、情は却つとなり、之れが爲め輓犬は頻りに下痢を催ふした。

然し後橇は前橇の犬の下痢の爲めに案外道標目を得たので、此點から言へば好都合であり、又滑稽であつたと言はねばならぬ。

程なく、又前進を継續し、午後六時十分再び休憩、餓をビスケットに凌ぎつゝ二十分の後進行を始めたが、午後八時より前隊の輓犬は非常に疲勞した。

そこで山邊、花守、兩アイヌは橇を下りて前方に進み隊長と三井所部長とは橇の馭者となり、武田部長は折々兩人の交代を勤めつゝ進んだが、其進行中輓犬の吐瀉が甚しいので、一頭又一頭と次第に病犬を列外に離し、橇の後から從はしめねばならなかつた。

所が病犬共は後には血を吐き始めたので、其血痕が斑々として雪上に印し、誠に憫然に堪へなかつた。

午後十時三十分に至り案内者たる花守アイヌも疲勞したと見えて一語も發せず、橇に腰を掛けた儘、如何に勵ましても動かなくなつた。

三井所衛生部長は、此體を見るより直に焜爐を橇から下して、雪上で湯を沸し、それを花守、其他に與へ、暫らく休憩と決したのは午後十一時三十分であつた。

此日の行程貳十四里十一丁である。

晩餐の後出發したのは翌三十日午前零時三十分てある。

途中何事もなく割合に早く進行したが、露營したのは同四時三十分であつた。

斯くて、午後四時迄休憩したが、軈て疲勞も幾分休まつたので、正五時露營地を出發した。

花守アイヌと三井所部長とは道先案内者である。

交代に之を勤めて進行すると、午後十時頃に至り右方約二三十間の所に當り、霧を通して鷹の如きもの二三を認めた。

其物は右方、左方に飛んで居るので、一同は偖こそ何者か現はれたり!未だ甞て人間界に知られざる、怪鳥にてもあらば早速に捕へ呉れんと現場へ馳けつけ見るに、こは如何に、それは新聞紙の風に舞ふて居るのであつた。

最初、突進隊の一行が途中で棄てし新聞紙は、如何なる風の吹ぎ廻しか飛び來つて此處に舞つて居たのである。

之は〱とばかり尙も進行を續けて一時間程往くと、前面の少し左方に當り一個の氷堤を發見した。

そこで、一同考ふるに、最早根據地迄一里内外の地點には相違ないが、左りとて外洋に面する氷堤としては、少しく早きに失する感がある。

けれども高原性の氷原を滑りつゝ歸つたのだから道は案外に進捗つたには違いない。

今は濃霧だから充分の判別も着かぬが、兎も角研究して見やうと、天幕を立て小憩の後、氷堤の上に立つて眺むるに、鯨灣の内灣か外灣かは知れないが、兎も角一つの灣があつて、其灣内から物悽き音が聞へて居る。

寂々寥々たる此天地も其物悽き音の爲めに寂寞を破られつゝある。

耳を傾けて之を聽けば幾多の鯨群が潮を吹揚ぐる音なのだ!。

萬里人影を絶する、此南極大陸に來つて、然も幾分道を失したる危懼心に捕はれつゝ、白濛々たる濃霧の中にあつて、此異様なる音響を聽く一行は、唯々悽惨と壯大との感に打たれて居たが、兎も角、氷堤に沿ふて進まうと、西方に向ひ約十四町程も進んで見た。

所が、少しも得る所がない。

霧の幾分晴れた場所より見るに、外灣としては、餘りに波が靜かである。

内灣としては少しも對岸が見えない。

勿論遠距離は霧の爲めに雲か對岸か、判然せぬのであるが、兎に角、此地點は一行の記憶になき地點たるは疑ひなき所である。

一同は大に失望して居ると、武田部長は聲を高め『僕が今少し西方へ往つて見届けて來るから待つて居玉へ』と云つて、ズン〱西の方へ進んで往つた。

此時又も濃霧が襲來して、五六間先きも見えない程となつたので、根據地の研究は武田部長一人に任せて置き、隊長と三井所氏は、一先づ此處に天幕を張り霧の晴るゝを待つ事とした。

そこで、前に天幕を建て置きし場所に花守を遣り、山邊アイヌと犬群とを此方へ連れ來るやう命じたが、出發後、相當の時間を經ても歸り來らぬので、其方面に向ひ花守ィ!〱と呼んだが、中々やつて來ない。

只遠方の霧の中に犬の聲が微に聽へるのみである。

そこで、又も絶叫を續けて居たが、すると二十分ばかりの後に漸く到着した。

雙方は大に喜んで天幕の前で握手した。

此後暫くを經ると地獄の底からでも呼んで居るやうな、最も微かな呼聲が傳はつて來た。

何かと思つて能く聽くと、之は武田部長が濃霧に包まれつゝ一行の所在を發見せん爲めに呼んだ聲なる事が知れた。

そこで、オーイ〱と答へると、先方でもオーイ〱と呼ぶ。

漸々其聲が接近すると、竟に霧の中から朧氣なから部長の姿が見えるやうに爲つた。

「やア〱大變〱」と言ひつゝ天幕に入來りし武田部長の姿を見れば全身は全然汗に濡れ、頭からは盛に湯氣が立つて居る。

其話も途切れ〱で呼吸が急しい。

濃霧中の搜索が如何に困難であつたかは、之に因つても推察せられる。

所が結果は依然として居る、根據地の所在は少しも判らない。

そこで、其儘露營と決したのは翌三十壹日午前二時十分である。

斯て何時晴べしとも見えなかつた、濃霧は午前四時頃に至つて、名殘なく晴れた。

悦んで天幕外に出て見ると、嬉しや前方に氷堤が現はれて居る。

是に於て一行が露營した地點は疑ひもなく、鯨灣口に於ける一地點である事が知れた。

それと同時に眸を凝すと遙に西方に一個の黑點が見える。

望遠鏡を取出して、之を眺めるに、何うも己等が根據地に建てし小屋らしいのである。

是に於て武田、三井所の兩人は花守アイヌを先導として、急ぎ其方向へ探究に往つた所、果して然り!果して然り!、己等が前夜來尋ねに、尋ねた小屋なのである。

萬歳!萬歳!と聲を揚げつゝ、三井所氏は歸つて此事を隊長に報告すると、今や眼病に惱まされて居た隊長も喜び勇んでニコ〱顏、山邊アイヌをして直に天幕の取片附を爲さしめ、ヘコタレたれども、歸途を急ぐ輓犬に鞭を加へて、其方向に向つて橇を馳せた。

隊長と山邊は前橇に、三井所氏は後橇に乘りつゝ、進んで往くと、軈て、午前五時五十分根據地の前へ來た。

留守を預り居たる村松書記は、之を認めて迎へて呉れた。

吉野隊員も雪下駄を穿きつ、愴惶走り出でゝ迎へて呉れた。

噫、此時の喜び!生涯忘るゝを得ざる喜びであつたとは、一同の語る所である。

斯くて、一行は隊長の命に因つて、根據地の前に整列し、紀念の爲めに撮影した。

歡喜の情に充ちて、手を携へて躍らんばかりである。

けれども、此時まで忘れて居た事がある。

それは何ぞと云へば犬の事である。

今までは嘻しい餘りに話のみして、夢中に爲つて居たが、此旅行で非常に骨折つた輓犬の事は全然忘れて居た。

そこで、山邊花守に命じて殘存せる二十六頭の輓犬に馳走さす事とした。

幸に殘し置きたる鱒があつたので、それを與へる事とした。

所が犬も久しぶりの御馳走に尾を振り、鼻をクン〱言はせて喜んで居た。

所で、人間の方は何うかと云ふと、村松吉野の兩人が何呉れとなく世話して呉れ、溫情實に掬するばかりである。

先づ一行の爲めに溫い柔かな雑炊を煑て呉れた。

其美味さは又特別である。

八百膳植半の料理も物かはである。

久しく、此様な物に有りつかなかつた一同は腹も張り裂けんばかり詰込んだが、偖其後は如何と云へば、睡くなつた事である。

晝夜の別なく、雪や氷と奮戰すること十二晝夜であつた一同は、今や食事を終ると共に、其疲勞が一時に發し『何れ話は後刻として少こしく睡らして呉れ給へ』とて小屋内へ横になつた。

吉野、村松の兩人は、寢嚢の世話までして呉れる。

隊長を始め一同グッスリと寢込んで終つた。

其後折々食事の時に起されて夢現で箸を執り、食つては寢ね、寢ねては食ひ、又起されては箸を執ると云ふ風に、何時迄寢られるか寢飽くまで寢續けやうと、遂に五人は一日半の睡眠を繼續した。

然し未だ一行の疲勞は止まなかつた。

五人の睡眠中、吉野、村松、兩隊員は相變らず、八時間交代で觀測を勤めて居る。

然して交代で非番になつた方が湯を沸かしたり、食事の支度などもするのである。

突進隊員が、根據地へ歸來して、グッスリと寢て居る隙を利用して、少しく爰に根據地に留まり居たる、測量部員の生活を述べて見やう。

曩に一行の出發したる日、卽ち一月二十日の午後、村松、吉野の二測量部員は無限の感慨に打たれつゝ寂とした天幕内に休憩して居たが、吉野隊員は尙ほ眼が惡く、今日は特に甚しいので、凍つた眼藥を解かして點眼の後、寢嚢に這入つて寢て終つた。

後に殘つたのは、村松隊員のみである。

獨り鑵詰を溫め、ビスケットを噛みつゝ、兎も角形ばかりの中食を濟まし。

それから氣象觀測用の箱を建てる事に取掛つた。

高さが七尺もあるので、土臺は是非共埋めなくてはならぬ。

そこで、スコップを以て雪堀を始めた。

傍らを見れば、之も取殘されたる犬一頭、自分の體溫の爲めに少しく窪みし雪の中に、頻りに負傷したる足を甞めて、悄然として居る。

偖村松隊員は柱を建て桁を入れて、釘を打つ段と爲つたが、其釘が見附からない。

百方搜したが見つからない。

多分運搬の際、氷堤上に置忘れたに相違ないと、其方に足を運んだ所、其序に何となく開南丸の消息が知りたくなつた。

同船は最早出帆したに相違ないとは思つて居たが、そう思つても若しやと考へるのは人情である。

で眸を凝らしめて眺めた所それらしい物は少しも見えない。

多分昨夕か今朝頃、目的地に向けて出帆したのに相違ない。

フラム號は如何と見渡すに、同船も居ないやうである。

灣内の野氷が風の爲めに殆んど流れ去つたので、多分奥の方へ這入つて碇泊したのだらう。

此時、凝と海面を見て居ると、所々に水柱が立つて、それから悽しい響きが聽える。

何であるかと注視すると、驚くべし、之は幾十となき鯨群が彼方にも此方にも居て、波を蹴立てゝ其背より潮を吐いて居るのであつた。

鯨灣の名は誠に偶然でない事が知られる。

此時、又空中で雪鳥の鳴く聲を聽いた。

其聲は丁度蝉の兒の鳴くやうな聲で、それが斷續しては聽えるのみである。

斯る閑寂な地で、斯る異禽の聲を聽くと、寂さは益々增して來る。

其時又も釘の事を思ひ出した。

そこで心當りの場所を搜した所、又少しも見當らない、非常に困つて居たが、フト薪として用ゐんと毀した鑵詰の箱の事に心附き、根據地に歸つて其釘を抜き始めた。

すると漸く釘も出來、氣象觀測の箱も建てられた。

箱の内には最低寒暖計、普通寒暖計が置かれ、屋根にはロビンソン風力計が据ゑられた。

斯くて此日は臥床に入つた。

翌日は一月廿一日である。

午前七時頃、村松、吉野の兩人は、一齊に眼を覺した。

前夜の爐火は早や消え果てゝ火鉢は元のブリキ罐となり、其寒さは一方でない。

殊に吐く息は眞白く、液體は直ぐ凍ると云う風であるから、兩人の五體以外の物に熱氣のあらう筈がない。

觸るゝ所皆氷で、其冷さは格別である。

二人の會話は『何うも寒いね』から始まつて、話は動もすると、突進隊一行の噂となる。

豫定は今日一日で、天幕内外の整頓を濟さうと云ふのであるから、早く火を燃き炭を起し、朝飯を終り、八時半より防寒の仕度に身を固め、兩人各々分擔の作業に就いた。

金城鐵壁と賴む天幕も、時々吹く風にバタリ〱と叩かれるので、南極特有の猛烈なる朝風が何時お見舞に來るも知れずと、先づ天幕の支柱も云ふべき、十八本の小綱を引締めた。

それから周圍五尺高の所に標目旗の棒を繼合はせた。

それより天幕一パイの竹の輪を作つて、内側より取付け、緩みのなき迄張合せて、要所要所に同じく竹の筋違ひを入れ、頗る丈夫に出來上らせた。

勿論地下は一様に、四尺程の深さに掘下げてあるが、これで天幕内は先づ五坪ばかりの住居となつたのである。

入口から左手に寢室、書齊、食堂勝手、兼帶の室と云ふ順序にそれ〱整頓する事と爲つた。

其三方は胸高に蓆の圍を作つた。

仕切の方は菰を吊して出入口となせる外、竹骨に麻布を張つて戸の代用とした。

寢床の上は、六尺の高さへ麻布を用ゐて吊天井を造つた。

先づ和洋、折衷最新式の建築と謂ふべきである。

奥の一坪餘の所には、何人が運び來りけん、幸にも一枚の藁蒲團が轉がつて居たので、其中の藁を取出して、地上に蒔き散した。

其上に筵二枚を敷いて寢嚢二個を並べて見ると立派な床が出來上つた。

尙傍らに、衣類箱二個を並べて見ると、それで、新式輕便の卓子も出來上つた。

これで寢室及書齊の體裁は先づ備はつたと謂ふべきだ。

入口の一坪には鑵詰、ビスケット、炭、米袋、味噌其他の雜品を積み重ね、中央には例のブリキ箱の火鉢が置いてある。

これにて兩人が畢生の知慧を絞り、有らん限りの材料を利用して造り上げた苦心の氷上小屋は、出來上つた譯である。

此日は朝から曇であつたが、午後四時頃より降雪霏々として襲ひ來り。

軈て八時に至つて霰となつた。

それが天幕に當つて碎くる音は、芭蕉葉に雨の訪ふよりも、悽ごく轉々極地風物の荒凉たるに驚いたが、軈て、程なく雪も晴れて、日現はれ、續いて南風吹起り、稍々好天氣の徴を示した。

去れど、之も瞬間、又々一天暗黑の雲に鎖され、風は飇々として吹起つた。

灣内に見えたフラム號も、此雲に恐れをなしてか、何時の間にやら沖に出動して、程なく姿を消したのである。

此空模様は軈て雪を降らしたので、天幕外の物品取込は明日の事となし、二人は一切の作業を中止して、晩餐を喫し、例の火鉢を取圍んで雜談に耽つた。

昨日送り出した、突進隊の安否などを氣遣ひながら、愉快に寢嚢に潜り込んだのは午後十時である。

明くれば、廿二日である。

前日の作業で大體の取片付を終つたので、愈々本職の氣象觀測を始めた。

其觀測の條項は、天候、氣溫、風位、風力、晴曇等であるが、之は二時間毎に測量することに極め、兩隊員は八時間交代とし、先づ午前八時より午後四時までの當直は村松隊員より始めることにした。

今日は月曜日であるから、天幕内に据ゑある、自記寒暖計、同濕度計、晴雨計等の用紙を受換へ、又經緯儀の螺旋卷をなした。

白皚々たる雪野には、旭光鮮やかに風も收まり、四邊寂寞として南極としては、甚だ閑かなる天候である。

昨日の南風に、灣内一面の野氷も大部分は流失し盡し、フラム號の檣は氷堤近く見えた。

午後に至り、雪曇りの氣味を呈し、北西の和風は西に轉じ、更に又南東に轉じ、程なく又北方に轉じた。

其翌二十三日午前四時より濃霧深く、全く咫尺を辧せざるに至り、氣溫は氷點下十度に下降し、天幕の張綱は杉の葉の如き垂氷一面に附着したが、午前八時より、霧晴れ、凍れる雲も漸く動き始むると共に薄き日光も時々漏れ射した。

露營以來時間の早きことは、實に驚くばかりで、八時間の當直も八時間の休憩も空々裡に去來する如く感ずる。

遠く世塵を離れたる、深山幽谷の仙者も斯くやと思はるゝ程である。

晴天なれば、沿岸探檢を行はんものと豫期せしも、晴雨計の徴候面白からざるに躊躇し居るうち、果して午後二時より雪模様となり、雪片霏々として降り、やがて吹雪にも變化せんずる狀態を呈した。

兩員は今は雪中行軍中なる突進隊の勞苦も左こそと推しつゝ、當直交代の時間を利用して各々睡眠に就いて居た。

二十四日は前日と同じく曇つて居て、氣溫も氷點下十度より十一度に上下して居た。

然るに午前十時頃より晴天となり、空に一點の雲もなく晴れ渡つた。

元來今は永日の時期なれば、交代に喫する食事も常に晝餐の如き心地がせられ兎もすれば、晝夜の界を忘れて時日を誤まらうとすることが屡々である。

此日の暮方に至り南極鷹が珍らしくも此天幕を見舞ふて來た。

村松隊員は手早く村田銃を持出し、實彈一發美事射止めたが、南極に始終住み慣れた黑鷹も、今日の寒氣の爲めに腹部の毛は硬く氷結して居た。

突進隊出發の際負傷の爲め留守居を仰付けた黑犬は此時まで天幕外に繋であつたが、今日は如何にも寒さうなので此日から天幕内に同居せしむることゝした。

犬を天幕に入れてから、食事時間後は吉野隊員の睡眠中であるので、相手なきまゝ村松隊員はコト〱と時を刻む時計の音の高さを聽つつ出帆の際有志者から贈られた雑書を繙いて居たが、不思議や此時天幕の外に微かに人の話聲らしいのを聞いた。

此無人の極地に人聲のするは、不思議の事よと四邊を見廻し、尙も耳を澄して居ると、又もや人の話聲!さては、フラム號の船員でも無聊の餘り、來訪したのであらうと天幕の外に出やうとすると、何のことだ、馬鹿々々しい。

先程の黑犬が炭俵の側で頻りに咽喉を鳴して居たのであつた。

村松隊員は獨り苦笑したが、一時は飛出して見やうとまで思つたのである。

二十五日午前二時氣溫は零下二十三度に達し、猛烈なる寒氣である。

吉野隊員は此の日沿岸視察に出掛けて往つたが、程なく天幕に歸り來たつた。

午後六時晴雨計七百四十九示度に下り、濕度計百以上に昇つて居る。

猛烈なる北風吹雪を催し、天地は暗瞻凄愴なる光景を呈したが、此際北方に入口を設けある此天幕は少なからず風雪の襲擊を受けた。

是に於て、種々防禦の策を講じたが、此日は中々の大雪で、降雪は天幕外に小山を築き、天幕内も隙間よりの粉雪の爲めに、白色と化した、果ては寢室迄も雪中に埋もれんとしたので、二人は大騷で活動した。

外套を擴げるやら、風呂敷を張るやら、漸くにして事無きを得た。

軈て防禦法も終へて、觀測の爲めに出やうとすると、入口外の積雪は堆く行路を妨げて居る。

スコップを以て搔き退け〱、漸くにして幕外に出た。

幕外に出て見れば、吹く風も餘り強くは感じないが、天幕は廣原に於ける唯一の障害物なので、盛んに吹付けられるのである。

此日一日は吹雪に鎖されたが、二十六日朝になると一天カラリと晴れ渡り、稀なる好晴である。

けれども、寒冷なる南風は肌を刺し、氣溫は氷點下十六度に下つて居る。

フト海岸を見るに、昨日迄は灣口一體に靑波より外眼に入らなかつたが、今朝は小島の如き氷山が二三個屹然として沖に流れて居る。

多分昨日の大荒れの爲めに、海岸の氷が壊れて流れ出でたのであらう。

今日は二十四時間一片の雲だに起らない。

太陽は常に嚇々として輝いて居る。

觀測には此上もない天氣である。

先づ大體の目測では今日此頃の太陽は、正午より午後二時に北方四十五度許を昇り、それから、西を過ぎて南に至り、午前一時より同二時の間は最も低く凡十五度許り下り、又東に向つて環狀運動をなすので、恰も此天幕の十二通りの縫目を二十四時間に一週する都合である。

必竟縫目の間一間の巾を二時間を費して運動する譯なのだから、此天體時計さへ見て居れば、夜の無い此南方の世界(但し冬は殆ど夜ばかり)に居ても、午前午後を間違ふやうな事はないのである。

翌二十七日は天候依然として快晴である、豫てより宿望の灣内探檢を試みんと、兩人打連れて天幕を出た。

各自の肩には散彈を裝塡した

銃が懸つて居る。

先海に沿ふて西南方に歩みを運んだ。

旭日は靑空に懸つて滿目の風光皆白く、時々何處かの氷堤の缺落する音であらう、遠雷の如く悽ごく響いて來る。

又強き南風が常に雪野を荒れ狂ふものと見え、種々な模様が雪上に印してある、恰も洪水に押流されし砂地を水の去つた後眺むるやうな感がある。

二人は過日一行の登攀したる地點を眺めつゝ三哩程も進みしに、朧氣ながら橇の跡、板カンジキの跡、犬の足跡等が己等の進路を横切りて海岸よりS字形に走るを見た。

孰れアムンドセン大佐一行の何者かゞ遺した跡に相違ない。

二人は己等の天幕を見返り〱軈て日章旗を視圜外に遺して、灣内へ突出する氷堤上へと出た。

灣内の氷堤は龜裂が多いので、其縁に迄は進めないが、目測に依ると高さは確かに百五十尺以上である。

對岸一體の氷堤は之よりも餘程低く、北より南に走つて居り、兩岸の距離は漸く五哩位のものである。

今や灣内の野氷流失し盡して碧波動き、兩人の立てる直ぐ左方の灣口から十哩を隔てゝ、其正面に立つ氷堤の東端は低く陷沒して、海水も餘程深く浸入して居る。

灣内水面の形は丁度長靴のやうに見える。

數日前吉野隊員は此氷堤まで來り、沿岸を視察して歸りしが、其際、長靴形の灣の踵に當れる地點に、一大氷山の存在せし事を語つて居た。

然るに今來つて之を見れば、既に跡方も無く消え失せて居る。

思ふに變化多き南極氷海の事とて、沖に向つて流れ出でたのに相違ない。

試に雙眼鏡を取つて眺むると、其氷山ありしと云へる地點の後方に空高く黑き物が見える。

或は是れ諾威探檢隊の旗にてはなきや、兩人の好奇心は大に動いた。

若し然りとすれば是非共之を視察せんければならぬと、足は直に之に向つた。

往く〱氷上を注視するに五寸乃至一尺位の龜裂は幾條となく前程を遮り、然も雪が之を掩ふて居るので危險言ふばかりなしである。

携ふる所の竹杖を以て安全なるや否やを確めつゝ進む光景は宛然按摩の橋渡りである。

注視するに此龜裂の大動脈とも云ふべきものは、大なる環圓を爲して、東方より來り、而して南西に奔るものゝ如くである。

其衝路に當つた雪は、異様に隆起し又は缺落ちて裂目を生じて居る。

兩人は此動脈の中心に向つて進むのだから、其危險は言ふばかりもないが、進むに隨つて雪野は次第に高まり漸く安全の地點へ出た。

斯くて氷堤を右に沿ひて曲り、灣口を正面に見た地點まで往くと、今まで見えざりしフラム號は、遙か沖より灣内に向つて進行して來る。

是れ必竟風も和いだので、灣内で氷山に衝突する惧れもないから入來つて碇泊するものに相違なしと考へた。

斯くて又前進を續けて居ると、一度見失つた彼の黑き物は確に飜々たる旗である事が知れた。

それと同時に後方に更に一個の黑い物のある事も知れた。

是に於て兩人は愈々アムンドセン一行の露營地なるに相違なしと、勇を鼓して突進すると軈て、諾威の國旗が立ち天幕の建てられてある地點まで着いた。

其天幕は樺色の褪せたキャラコ地の如き麻布製の天幕で、中央に柱一本を立て、細き多數の控綱を以て龜甲形に張られてある。

入口は矢張北向きで袋式に造られ、頗る携帶に便なものである。

我が根據地を距ること七哩なる此地點に同一研究に從事する人間が住んで居ると思へば、誠に心強い感がある。

英語を以て『今日は〱』とやるが、誰も出て來ない。

能く〱注視するに何うも一人も居ないらしい。

多分海岸へでも用があつて往つたに相違ない。

此樣子で見ると、之は諾威隊の根據地ではない。

只見張所位に過ぎぬものだ。

此處より見るに、海は靴の踵と見し處を頂點として更に三角形の如く東西に擴がり、今日も尚ほ氷解けずして一望漠々只氷堤の聳ゆるを見て海かと思ふ位である。

尚ほ思ふに、此氷の解けずして東に入込みし地點は或は前見し龜裂と連絡し、今兩人の立てる地點の如きは日ならずして漸次缺けて流出し、灣内は頭なき瓢の形を爲さずやと推察せられた。

斯くて尙ほ此地點にあつて、眺望を擅まにして居ると、三十分ばかりの後、此灣内に向つて諾威探檢船は突進して來た。

それと共に、此海の東岸を沿ふて來る人のあるのを見た。

是に於て此天幕は陸上隊と船との連絡を取る爲めの物である事が推察せられた。

待つ間程なく一個の壯
漢が現はれた。

ジャケットを以て身を固め、頭には防寒頭巾を冠り雪眼鏡を懸けた探檢家らしい男である。

諾威式の六尺もあらうと云ふ細長き板カンジキにて雪上を滑走しつゝ目前に現はれた。

知らぬ外國の人ながら斯る無人の境に於て面會するは、雙方共無限の感あり、熱情籠れる握手を交換して後、彼は船中に於て白瀬隊長の肖像を見たりし事など喜ばしげに語り、尙ほ昨年冬營中には寒暖計非常に降り、犬も爲めに凍死して甚しき危險に陷りたりし事、己れは他の一人と共に目下此天幕の留守居を爲し居るが、先日來二個月に八百哩を踏破して此地に歸り來りし事、及此カンジキを以てすれば、一日に四十哩乃至五十哩の旅行は爲し得べき事など語つた。

村松、吉野の二人は尙ほも語り續けんとしたが、折しも附近に來るフラム號と信號交換の用事ありとの事に、再會を期して立別れた。

歸路に雪とも思はるゝ程白き雪鳥及海燕等を獵り、緩慢なる波のウネリの如き高低ある雪野を辿り無事我が根據地へと歸つて來た。

翌二十八日は引續いて晴天で、氣溫も十度乃至十一度を示し、見渡す空は拭ふが如く、唯北西水平線とも思ふ邊り、墨を流したる如き低き層雲の棚曳くのが見ゆるのみである。

其黑雲の東方面の氷堤は以前より一行に危險を豫測せしめた脆きものであつたが、今朝見れば最早諸所缺落して、新らしき斷壁が一層目立つて見えた。

午後四時から暗雲空を蔽ふて雪催ひとなり、氣溫八度許り上昇したが、これも暫時にして濃霧となり、やがて、又晴れた。

二十九日、午前八時、自記器械の用紙取換をした時、其示す所に依ると前週最低溫度は二十五日午前二時の氷點下二十三度である。

濕度は二十五日の午後六時より、二十六日の午前十時の間に渉る百以上、又同氣壓は二十七日の正子の七五八粁を最低として居る。

風位は重に南風にて二十五日の一六九六〇を最強風力とする。

先づ概して平穏の天候である。

さて今日は朝から曇天で氣溫高く風無く、午前十時頃より濃霧を生じた。

間もなく晴れて北方に卷雲が現れたが、其雲より洩る日光が海を照す爲め、海上一面金色を呈し、驚くばかりの近距離に見えた。

尙又水平線上には、南極特有の暗黑なる卷層雲長く棚曳きて、其頂きと思ふ所は、矢張光線を受けて白く見える。

言はゞ一條の瀑布を遠望すると云ふ狀態であつたが、それが程なく消えると、今度は白鉛色の雪曇となつた。

極地天候の變化は實に此の如くである。

此日午前四時頃寒暖計は氷點下三度まで昇つた。

翌三十日氣溫は依然として溫かく、根據地に留守役の身に取つては何よりの幸福である。

然し何分にも變化激しき極地の空とて、或は此反動は慘憺たる荒れの天候を生ずるにあらずやと危ぶましむる。

突進隊も出發以來大分に、時を要したが、目出度目的を達して歸つて呉れゝば善いがと、兩人は祈つて居る。

午前十時頃より空は一様に灰色を帶びた雲に蔽はれ、午後に入り寒暖計が稍や下ると濛々たる霧、此白大陸を包み、四顧暗憺風力計も一時停止した。

翌三十一日氣溫は氷點下十度を示し、空は相變らず薄暗く、風は珍らしく東南方より吹き來り、天幕の旭旗を弄んで居る。

午前四時の交代時刻に觀測所より天幕内に入り來つた村松隊員は頻りに味噌汁の料理中、天幕外に人の來つた氣色がした。

近來黑(犬の名)も餘程快い方で頻りに天幕内に出入し得るのである。

最初は犬であらうと思つて居たが、雪を踏む音が犬よりも高く勇ましいので、何うも今度は人らしい、それにしても、吉野隊員の足音にしては早過ぎると思つたので、試みに『吉野君!』と云つて天幕の外を見ると、彼方からまだ容易に歸るまいと思つた花守アイヌが黑い顏の眞中に兩眼を光らかして『ホー〱』とアイヌ流の挨拶をしてやつて來た。

全く夢では無いかと思つたが、そうでもない。

すると其處へ、吉野隊員も飛んで來た、で二人揃つて花守を捉へ一行の消息如何にと聽いて居ると、程なく、黑ジャケットの武田部長が兩手にコンパスを抱へた儘、雪を踏鳴らかして急ぎ駆付け來た。

白瀬隊長三井所衛生部長も喜ばしげに橇に乘つてやつて來た。

かくて突進隊の五人と殘留隊の二人とは、茲に十有二日目に無事根據地に於て顏を合はする事と爲つた。

其悦びは到底筆紙の盡すべき所でない。

午後より北風烈しく、一天搔曇り程なく吹雪と變じて來た。

突進隊一行は長き疲勞に、二三談話の後、忽ち夢路の人と爲つた。

二月一日、隊長以下突進隊一同の高き鼾きの間に村松、吉野、兩隊員は相變らず交代に觀測をなし、又小屋内の世話に從事した。

午後六時頃より雪片霏々として、降り南風吹荒むと共に、軈て、猛烈なる吹雪となり、凄愴なる光景を呈した。

然し風位が惡くないので、天幕内は左程にない、只出入口を雪で鎖された丈であるが、天幕の外は非常なる光景である。

二列に繋がれたる犬群は、雪中に深く身を沒し、體を縮めて吹雪の中に熟睡して居る。

其状は白銀世界の黑一點で、僅に毛の一部分を外に現はして居るのみである。

餘程の疲勞と見えて、打つも蹴ると平氣にて、殆ど死せるが如き深き睡眠に耽つて居る。

僅に一頭の頭を擡げしを見れば頭より背部に至るまで、宛然銀の鎧を着けたやうである。

寒國の犬でなければ、斯の如き寒氣に堪え得ないであらうと感心した。

午後八時頃より、空幾分晴れ、雲間より太陽を見ると同時に、日暈が現はれた。

吹雪は尙ほ時々來つたが、風位が西に轉ずると同時にハタと止んだ。

此日の晩餐は隊長初め總員七名久方振りにて食卓を圍んだ。

此夜一同は今後の行動に就いて、協議した結果、先づ天候の定まると共に第二根據地を去つて、アムンドセン大佐の根據地を訪問し、鯨灣沿岸の探檢等を試むる事となつた。

又一方には我開南丸の着船も今數日の内と見て、それ迄に是非共全部設計し、然る後能ふ丈迅速に乘船を了し、豫定の如く、コールマン島に向はんと決した。

曇れる空も漸く二日午前八時頃より晴れ渡り、天候全く恢復したらしいので、天候甚しく變らぬ内にと、第二露營地より三哩計り先きに殘留せる突進隊の荷物の收容の爲めに橇二臺を仕立てた。

其同勢は四人である。

前橇には武田部長と花守アイヌと乘りて十三頭の犬に曳かせ、後橇には村松、吉野兩人乘り犬十五頭をして曳かせ、午後三時二十五分に出發した。

方向は武田氏の示す所に随つて、南少東に取り「トウトウ」「カイ〱」の懸聲勇ましく馳せて往く。

所が前橇の犬は後橇のよりも強しと見えて稍々ともすれば距離を生ずる。

村松、吉野兩人は憤激に堪へず、頻に勵まし責き立つれど犬には格別の効もない。

此時二羽の南極鷹あり、後方より飛び來つて後橇の上を過ぎたが、犬群は之を見て追往かんとでも思ひしか、疾風の如くに駈け出した。

橇上の二人は振落されんばかりである。

けれども頗る得意である。

根據地の留守居のみした勞も今一時に償はれたやうな顏して乘つて往く。

前程は只茫々たる雪野である。

けれども處々に高低もある。

恰も海上の濤畔の如き狀の高低がある。

犬は此間を馳せて往く。

一時間ばかりの後砂丘に似たる雪の吹き寄せを右方三哩ばかりの地點に見た。

又同方面の地平線上に氷堤の聳え立つのを見た。

此氷堤は鯨灣と連續し居る物に違いない。

犬は頻に突進する。

軈て午後八時三十分、首尾能く十七哩の道を走つて荷物の殘留しある地點に着いた。

或は屡々此邊の氷野を掠むる吹雪の爲めに埋沒せらるゝ事なきやと心配したが、荷物は何等の異變なく立て置きし赤旗さへ依然として翻つて居た。

けれども外面は總て厚い氷に纒はれて居た。

荷物は全部で十二個である。

之を二臺の橇に載せて走るに其重量は總計四十貫、來りし時よりも重量多きに係らず、犬は根據地に向ふ嬉さに疾風の如くに駆け出した。

軈て寒氣は氷點下十五度に下降し、雪を捲く雄風飇々として吹起りしに拘はらず、犬は驀直に馳せて、午後十一時五十分根據地へは歸還した。

行程は往返三十四哩、一時間の速力四哩餘である。

輓犬の速力は實に侮るべからざるものである。

吉野、村松等の不在中、氣象の觀測は三井所部長其任に當つた。

すると微に汽笛の音を聽たので、若しや開南丸が目的を達し、エドワード七世州の方から歸着したのではあるまいかと、山邊アイヌを連れて視察に往つたか、何うも其姿は見えなかつた。

若しや氷堤の蔭に碇泊して居るのではないかと眺めたが、船らしい影は更に視界に入らぬ。

併し尙ほも一哩許り奥に進んだが結局要領を得ずして引返した。

途中犬の鳴聲を聞き、其方を見ると今しも荷物收容の橇隊は、將に根據地に達せんとする時であつた。

此時、太陽は漸く南西の空に低く懸り、氣溫も大に下降した。

其夜は開南丸の姿は見えず、汽笛のみ聞へると云ふ事が話題となり。

今は一刻も早く乘船せんと思ふ故、今日の汽笛も我母船にてあれかしと心々に祈らぬはな無かつた。

翌三日午前二時半より南々東の吹雪盛んに來襲した、天幕入口は風雪防禦工事の爲めに、吉野隊員と三井所部長と力を併せ、必死と爲つて働いた。

やがてそれも一時にて收まり、午前七時には一天曇りながら雪を見なかつた。

朝餐の最中花守アイヌは慌たゞしく天幕に入來り『船が見えた開南丸らしい!』との御注進である。

偖は、昨日の汽笛も空耳ではなかつたかと、早々双眼鏡を取出して見た。

遙か沖や空なる彼方に南風に船旗を輕く翻へし、海上に浮んだる姿は疑もなく懐しき我開南丸で恰も氷堤より十哩許りの沖合に浮んで居る。

そこで、兎に角、海陸相互の連絡を附けるに如かずと、一同は氷堤に赴いた。

然し風波荒き爲めか、船は一向灣内に入來らず、見渡すと船は非常に傾斜動搖して居る様子、何分相互の距離が遠いので、定規信號もならず、唯徒らに外套を振るやら、二三の發砲をして相圖をするやら思ひ思ひの信號を試みた。

所が船では汽笛一聲微かに此方に應えた、斯くて氷堤上に待つ事一時間に及んだが容易に船の入來る様子もないので一ト先づ根據地に歸る事にした。

途中雪鳥、南極鷹を狩り、二三羽の戰利品を獲つゝ天幕に歸つたのは、午前十一時であつた。

折しも、空晴れ渡り風止み、小春日和とも云ふべき日光と氣溫とになつたので濡れ物を乾すやら、其他各自部署を定めて根據地引揚げの準備を整へた。

午後十一時頃船は氷堤に沿いつゝ灣内に突入した。

そこで四日午前一時、武田部長、村松隊員、山邊、花守兩アイヌの四人は、橇に乘り船とも連絡を取り乘船地點の搜索に從事した。

橇隊が乘船箇所の仕度を終へた結果、何分にも一刻も早く乘船せんければならぬ、寧ろ瞬時を爭ふ此地の狀態であるから迅速に乘移らねばならぬと一同荷造りに着手した。

全く火事場騷ぎである。

斯くて準備を終ると共に、橇は幾度か氷上を往還しつゝある隙に、或は荷物を運ぶ者、寫眞を撮る者など、各々必死となつて活動した。

又船の方よりは土屋運轉士の外、渡邊、柴田、西川の三船員を應援隊として上陸助勢せしめたので、爰に上下相和し、荷物運搬の道付けを終つた。

斯くて午前六時二十分に入船を初め八時三十分を以て全部の收容を終つた。

引揚を了すると共に一面の濃霧海上に立籠め咫尺迷濛たる光景と爲つたのである。

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