白瀬南極探検隊員の紹介(船員)
●村松 進:秘書(機関士)
●データ
村松 進 26歳
山梨県
明治18年8月18日生
昭和2年6月14日没
■紹介
甲斐源氏の流れを汲む代々医家を営む村松家の村松覺雄・なかの三男として生まれた。進の兄学佑は帝国医科大学を卒業し、山梨県病院長を務める。
県立甲府中学校を卒業後、明治39年海軍を志願し横須賀海兵団に入り、明治43年白瀬矗の南極探検の隊員が募集されると血気はやる進は南極探検隊員に志願した。当初は機関士として採用されたが二次隊からは秘書となった。
南極に到達した白瀬隊はホエール湾に根拠地を設営したが、村松進は北海道出身の吉野義忠隊員と突進隊が帰還するまで、根拠地で気象観測に当たった。
探検隊員の選抜は東京帝国大学内科医室で医学博士3人による身体検査と面接が行われたが、その3人の医師の中に「村松」の名前があり、進の兄学佑とみていい。
探検後は南洋興業株式会社に入り、マーシャル諸島ジャルート島支店の主任となる。辞した後、東京で実業に従事していたが、大正15年病に罹り昭和2年6月14日東京で死去した。
進は、出航に際しその心境を漢詩に託して血判を押し、遺品として姉に預けた。
「開南丸に搭して、
将に南極探検の途に
上がらんとして此を賦す。
願わず此行身命の全きを。
赤心唯誓う諸賢に報いん。
悠々たる極地知る何れかの処か。
笑て上る南溟万里の船。」
峽雲 村松 進(血判)
村松進が持ち帰ったペンギン(皇帝ペンギン)の剥製は進の姉が嫁いだ深沢純(あつし)宅で収蔵。
帰還後南洋貿易に志、南洋興業K.Kに入社。マーシャル群島ヤルート島の支店長を勤め多年海外で活躍する。
■参考文献
市川地区文化協会「蛾眉」 2019 第48号
「市川大門町誌」 昭和42年2月1日 発行
「雪原に挑む白瀬中尉」 渡部誠一郎著 平成3年4月23日 増補改訂第3刷秋田魁新報
父 = 母
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長男:村松学祐 次男:山内覚夫 次女:小島みつ志 三男:村松 進
【1】 【2】 【3】
【1】 長男:村松学佑
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次男:村松親雄 = 次男妻:村松 三女:村松菊枝
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長男:村松
【2】 次女:小島みつ志
│
次女:小島豊子 = 次女夫:小島
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長男:小島 次男:小島 三男:小島
(東京都八王子市)
【3】 三男:村松 進
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長男:藤掛晴次 長女:藤掛みち子
本家:村松志孝
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長男:村松定孝 = 長男妻:村松 長女: 次女:
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長男:村松
(東京都文京区)
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