会報

白瀬を契機としたNZ,AUSとの交流

日本ニュージーランド協会(関西) 元会長 呉橋 真人

 新入会員の呉橋真人です。

 私の白瀬記念館とのかかわりは1990年12月から始まりました。その年7月にニュージーランド南島のクライストチャーチで第一回Festival of Japanが開催され、日本から760名が日本文化紹介のため渡航しました。私は日本側主催者の日本ニュージーランド協会(関西)の川瀬勇会長の助手として、現地実行委員会の委員の一人として、また旅行手配をした(株)日本旅行の責任者として、この大きなイベントに立ち合いました。

 現地実行委員会は2年後に再び開催を希望しましたが、(株)日本旅行の上司からは反対されました。「今回のお客様は別の国での開催ならリピーターになるが、同じ国でしかも同じ市では逃してしまう」という正しいマーケティングです。そろそろ現場を離れて一度管理部門へ転勤してはという話もありました。強くニュージーランドに惹かれた私は退職と東京の友人が経営する旅行会社でニュージーランド専門の仕事をすることに決めました。

 12月オークランド市で日本NZ姉妹都市・友好協会の総会が開催、私は日本ニュージーランド協会(関西)を代表して出席、フェスティバルについて報告しました。その帰路にクライストチャーチ市の日本領事館事務所に挨拶に訪れたところ、土田領事から「カンタベリー博物館が耐震工事のためスポンサーを求めている。どこか心当たりはないか」と問われました。アイデアを求めてその足で博物館へ出かけました。マオリの歴史と文化の展示は何度も見ていましたが、この時、世界で唯一の「南極探検史」の展示室があることを知りました。館員に「南極探検史」の学芸員に会いたいとお願いすると、ベイドゥン・ノリスさんBaden Norris(1927.4.16~2018.08.08 享年92歳)が来てくれました。白瀬隊の展示が無いことを指摘すると「白瀬隊についてはよく知っている。日本の文部省へ開南丸の小さな模型を寄付して欲しいと何度か手紙を書いたが返信が無い」と答えました。

 日本に戻り、川瀬会長に相談したことろ秋田県になにやら関係施設があるらしいと教えてくれました。1991年1月早々、東京で新しく仕事を始めた私は秋田県庁に電話して、1990年4月に白瀬南極探検隊記念館がオープンしたことを知りました。飛び込みで金浦町役場に電話したところ、佐々木完さんが佐々木松美助役に繋いでくれました。もしここで完さんが怪しい電話と切っていたらと今でも完さんに感謝しています。佐々木助役と数日後の午前9時の面会を約束しました。

 約束の前日午後に象潟駅に着き、駅前の旅館に泊まりました。6畳くらいの和室の床の間の掛け軸が怖くて電灯をつけたまま、少ししか眠れませんでした。同僚から(幽霊が)出る部屋の掛け軸の裏には経文が書いてあると聞いたためです。臆病な私はそれを確かめることもできず、掛け軸があるだけでパニックだったのです。

 その後、同年12月の佐々木助役と斎藤企画室長、小柳さんのNZ、AUS出張、1992年の金浦町議員団のNZ、AUS訪問と開南丸(1/60)モデルシップのカンタベリー博物館への寄贈と同館での「白瀬展」、そして姉妹博物館提携、学芸員ベイドゥン・ノリス氏とアリス夫人の金浦来訪と講演会、1997年のウェリントンでの白瀬隊寄港記念碑序幕、2002年の白瀬隊シドニーキャンプ地での記念碑序幕、クライストチャーチとの学生交流団の相互訪問など2011年まで活発な交流が続きました。

 ベイドゥンさんとは2010年11月にお会いしたのが最後でした。かなり足が弱っていらっしゃいました。彼は、クライストチャーチでは尊敬され知名度の高い、いわば伝説の人です。13歳で靴屋に奉公に出され、15歳で齢を偽りフェリーの船員に、戦後、クライストチャーチ市の海港、リトルトン港でクレーンオペレーターとして働きながら南極探検史(シャクルトンとスコットはクライストチャーチ市を南極へ向かう補給基地としました)の研究、考古学調査、鳥類の研究を続け、1964年には南極でスコットとシャクルトンの基地(huts)を発掘調査、多くの遺品を博物館に持ち帰りました。2013年には栄えあるNZ南極勲章の10人目の受章者となりました。

 金浦で講演したこともあるウェリントン海事博物館のケン・スカーデン館長はその後NZの海中考古学(沈没船調査)の第一人者となりましたが、2016年、癌との闘病後64歳で亡くなりました。

 ウェリントンでいつも金浦町の使節団を歓待してくれたオームンドセン・大田昭子さんは本年(2021年)5月19日にご逝去。享年90歳。白瀬隊寄港記念碑設置の市議会への陳情、同記念碑鋳造への海上自衛隊練習艦隊からの寄付、オーストラリア博物館所蔵の日本刀の「しらせ」での里帰り輸送、すべて彼女の人脈から実現しました。金浦に招かれた時の大宴会をいつも懐かしんでいました。

 オーストラリア博物館で「白瀬がディヴィド教授に贈った日本刀」の管理や「白瀬展」の企画で尽力してくれたコリン・マックレガー部長は2018年に退職。同年5月に夫人と我が家に遊びに来てくれました。音楽家、環境運動家、史跡保存のボランティアとして人生を楽しんでいます。

 もう一度、NZとAUSのゆかりの地で白瀬展を実現し、にかほ市の皆さんに現地を訪れていただく機会があることを願っています。

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