特別寄稿2
白瀬と会ったハイカラ紳士
大森洋平(川崎市麻生区)
昭和9年9月、金浦港の沖ノ島公園に「日本南極探検隊長白瀬矗君偉功碑」が建てられた時の、白瀬中尉と町の名士一同の記念写真があります。
中央に軍服姿の白瀬、その左斜め後方、ただ一人白いスーツに口髭と眼鏡のスマートな青年紳士は斎藤大さん。金浦町の郵便局長でした。
昭和61年にNHK秋田放送局で、白瀬を描いたテレビ番組「遥かな雪原」を制作した当時、白瀬本人に会った方が、金浦には何人か御存命でした。
その一人が斎藤さんで、戦時中疎開していた白瀬が自宅にやってきたエピソードを披露して下さいました。
「真冬の寒中に藁沓(わらぐつ)に素足でこられたのでまず驚いた」
「そして白瀬隊長さんの歯を見てまたびっくりした。あまりにも立派な歯なので。全部自分の歯だとおっしゃった」
「何か差し上げようとしたが、何もいらないと言われる。御存知の通り隊長さんは火にあたらないし、お茶も上がらない。幸い干し餅があったのでお出ししたら喜んで、あの固い干し餅をガァリガリと食べられた。その時の驚きは今でもはっきり思い出にあります。」
実はロケ当日、別な方にインタビューする予定だったのですが、その人が何の理由もなく約束を反故にして、困り果てていた時、ピンチヒッターとして出演を御快諾頂いたのでした。
急なお願いにも関わらず、仕立ての良い紺の背広にオリーブ色のネクタイという、地味ながら一分の隙もない姿で偉功碑の前に駆けつけて下さり、一目見て「わ、お洒落な爺ちゃんだ!」と大好きになりました。
「ガァリガリ」という温厚篤実な口調に、まさにそこで白瀬が干し餅を齧っている姿がありありと浮かんで来て、「この人の話の方がよっぽど面白いや!」とスタッフ一同大喜びしました。
思うに斎藤さんは、郵便局で様々な人に接するうち、自然に観察眼と描写力が磨かれていったのでしょう。
平成6年に旅行で金浦を訪れ、再会した時はもう御不自由な足で玄関に飛び出して来られ、一緒に写真を撮ったのが大感激でした。
その後も音信は欠かしませんでした。
ただ、斎藤さんはあまりにも達筆で、時々何が書いてあるのかわからなくなるのが御愛敬で、そこは適宜推測して読んでいました。
さらに、その22年後、金浦で講演をした際は、残念ながら既にお亡くなりでしたが(平成14年96歳没)、白瀬の墓参を済ませてすぐ、斎藤家の菩提寺に伺いました。
お墓はなぜか墓地内でなく、山門のすぐ外にあるのが、いかにも玄関口に立たれているかのようで「斎藤さんは、石になっても斎藤さんだなあ」と泣き笑いしました。
さて、今回モノクロの記念写真をよく見直して、一つの発見がありました。
斎藤さんのネクタイの色調が、周囲の人の服と比べてずっと明るいのです。
もしかしたら白スーツにライトブルーのネクタイでも合わせ、お洒落に決めておられたのかもしれません。
金浦のハイカラ紳士斎藤大さん、忘れられない恩人です。
(NHK ドラマ番組シニア・ディレクター 時代考証担当)
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