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■白瀬が南極探検した明治という時代

NPO法人 白瀬南極探検100周年記念会
調査専門部会長 佐藤 忠悦

白瀬矗が生まれた文久元年は、幕末体制国家から天皇制国家へ大変革を遂げようとする、まさに明治維新への胎動の時期であった。

世界は大航海時代を経て、産業革命に成功した列強諸国は、市場を求めるとともに植民地政策を進め、その矛先はアジアから中国、日本にも向けられていた。

1866年、薩摩、長州、土佐、肥後の同盟が成立し、徳川慶喜の大政奉還によって、約260年続いた閉鎖的な徳川幕府は終焉を迎える。幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争が収束したのは明治2年5月であった。

明治新政府が発足し、天皇を中心とする中央集権国家が誕生し、首都名も江戸から東京に代わった。

新政府は世界の現状を把握するため、欧米に使節団を派遣し、廃藩置県、徴兵制、地租改正など大胆な改革を進め、欧米諸国に追いつけ、追い越せと、富国強兵による国造りを進めた。この改革を受け入れた国民も新政府に大きな期待をよせていた。

政治家は国家意識に燃え、軍人は自衛力の増強充実に寝食を忘れて奔走した。『雪原にゆく』の著者白瀬京子は、国際列強に対するライバル意識が先鋭化している背景のもとで、よくもわるくも「日本」、または「日本人」という帰属意識に凝固する時代でもあったと述べている。

日清日露の戦勝と、一連の改革により、日本は世界有数の大国へと成長し、国民の目はそれまで目隠しされていた徳川時代から、一気に海外にまで向けられるようになったのである。そしてなによりも、明治は「日本の青春時代」と言われるように、青年たちが将来に向かって大きな夢を抱いた時代でもあった。中国北東部や南米への移民も、血気あふれる青年たちだったのである。

明治の三代壮挙と言われる郡司大尉の千島探検、福島中佐のシベリア単騎横断、そして白瀬中尉の南極探検はその象徴といってよいだろう。

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