会報

『日本南極探檢』[デジタル復元・最長版]の完成 

大傍正規(国立映画アーカイブ主任研究員) 協賛会員(東京都中央区)

 私が『日本南極探檢』の研究をし始めてから、はや6年が経ちました。NPO白瀬南極探検100周年記念会所属の皆さまによる資料提供やご助言等を得て、いまやライフワークと言っても良いほどに、どっぷりと本研究に浸かっております。

 Mパテー商会の活動写真技師、田泉保直らによって撮影された南極探検の記録映画は、明治45(1912)年6月20日に白瀬矗中尉率いる南極探検隊が品川埠頭に帰還した直後の6月28日に、浅草国技館で封切られました。現存する最古の長篇記録映画と言われる『日本南極探檢』ですが、これは後年に再編集されたもので、封切時には「南極実景」や「南極活動写真」等と言及されていました。

 東京国立近代美術館フィルムセンター(2018年4月に国立映画アーカイブに改組)が2014-5年にかけて実施した『日本南極探檢』のデジタル復元事業において、私はプロジェクトの統括役としてこの映画に初めて出会った訳ですが、その頃はこの映画が、一体いつ、なぜ、どのように再編集されて現在の形に行き着いたのか、分からないことばかりでしたので、「映画作品をオリジナルの形で永久保存する」という私たちの果たすべき使命を全うすることができませんでした。

 その後、南極探検のフィクサー的な存在であった村上俊蔵(1872-1924)南極探検隊後援会専任幹事の遺族宅に大切に保管されていた①35mmフィルムと、当館に1951年から70年近く保管されていた

(当時、文部省が南極探検四十周年記念会から購入した)②16mmフィルム現物に刻印されている様々な徴を読み解くとともに、同時代の資料による裏付け作業を経て、『日本南極探檢』には、以下の二つのバージョンが存在することを明らかにしました。

①『日本南極探檢』[南極探検二十周年記念会版]1930年製作、47分

②『日本南極探檢』[南極探検四十周年記念会・ダイジェスト版]1950年製作、19分

 つまり『日本南極探檢』とは、南極探検から20年が経過し、後援会長であった故・大隈重信(1922年没)や故・村上(1924年没)らをはじめ、亡くなった隊員・船員らの追悼を目的に設立された南極探検二十周年記念会が、新たに字幕等を挿入して完成させた映画だったのです(だからこそ大隈を讃える映像や字幕が頻出する編集になっています)。

 さらにその20年後には、元・南極探検隊書記長の多田恵一が会長を務めた開南探検協会主催の「白瀬南極探検四十周年記念会」で披露することを目的に、ダイジェスト版が作成されました。このダイジェスト版は16mmで完成され、探検隊の遺族や全国のPTA会等に実費提供されたので、全国に複数現存しています。

 そして、コロナ禍で在宅勤務が続く今こそ、この『日本南極探檢』の二つのバージョン(封切時の南極探検記録映画をあわせると三つのバージョン)の形成過程とその歴史的コンテクストを巡る論考を完成させるつもりです。

 この度、国立映画アーカイブでは、村上家に残存するフィルムに唯一欠落する字幕「大隈伯の曰く『陽氣の發する所 金鉄も亦透す』見よ千発の空砲のみ多き世の中にわが一発の實彈は見事に命中したではないか」を新たに作成、挿入するとともに、2014-5年度に実施したデジタル復元版では挿入すべき箇所が分からず端尺扱いにしていた大隈邸のフッテージと字幕一箇所、そしてダイジェスト版にしか残存していないフッテージを本篇に組み込んで再編集を行い、2度目のデジタル復元を実施して、本作を1930年当時の形に甦らせることができました。

 おそらく2021年度には当館でお披露目の上映会を開催できると思いますので、ぜひ楽しみにお待ち下さい。

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