南極記デジタル

緒言

緒言

一、
 南極探檢は、本邦人の行ひし最初の世界的探檢なり。

 之を以て經驗の就いて徴すべきなく、設備又完全を缺く所なきにあらざりき。

 然れども海上隊員は僅に二百四噸の小帆船を以て、能く船舶の達し得べき最南の地點たる南緯七十八度三十一分に達し、更に東方に進みて西經百五十一度二十分の地點を究め、往年スコットの達せし最東點の記録を破りて歸還し、陸上隊員は鯨灣及びビスコー灣の二方面より上陸して、一は南緯八十度五分に達し、他はエドワード七世州のアレキサンドラ山脈を探檢して歸路に就けり。

 思ふに初度の探檢に於て、此の如きの成績を收むるを得しは、是れ偏に本邦及在外の同胞諸士が、熱心に此事業を援助せられしに因るものにて、謹んで深く謝意を表する所以なり。

一、
 本書は、此事業に從事せる隊員船員の記録報告及陳述に基きて編輯し、壹年半の歳月を費して成りしものなり

一、
 本書は、一般讀者諸士をして、速に此事業に於ける最大舞臺たる第二次計畫の探検状況を知らしめんが爲め、倒叙史の例の倣ひて、巻頭に第二次計畫の探檢記を掲げ、之に次ぎて第一次計畫の探檢記及濠洲シドニーの露營生活を掲ぐる事と爲せり。

一、
 本書には、附録として、南極圏採集標品調査報告、氣象觀測表、ペングイーン鳥の胃中より出でし岩石破片の研究、探檢用糧食の研究、防寒具の研究、樺太犬及橇の研究、衛生報告、開南丸氷海進航設備、南極圏航海概要を掲げ、更に巻末に附するに、南極探檢後援事業經過の梗概を以てせり。

一、
 南極圏採收標品調査報告は、帝國大學關係の各専門諸博士諸學士に依頼して調査したるものにして、特に理學博士岡村金太郎、理學博士徳永重康、理學士佐々木望、理學士田中茂穂、理學士寺尾新、理學士内田清之助諸士の熱心なる援助を受けたり。

 茲に其好意を謝す。

一、
 ペングイーン鳥の胃中より出でたる岩石破片の研究は、第一高等學校助教授和田八重造氏に依頼して調査せしもの、茲に其好意を謝す。

一、
 巻中に挿入せし日本南極探檢區域圖に於ける第一次航海及第二次航海の航路は、野村船長及土屋運轉士の手に成りし物なり。

一、
 巻中の記事と相竢ちて、一層極地の状況を明白に知悉せしめんが爲め、本書には日本探檢隊が極地にて撮影せる極地光景寫眞六十頁を挿入し、又極地にて描寫の絵畫五十餘個、三色版四葉、コロタイプ刷二葉を挿入する事と為せり。

 極地光景寫眞は紙數頗る多きを以て最初一冊の寫眞帖として別に發行の豫定なりしも、讀者諸士が購讀の便を計り全部此書中に挿入する事と爲せり。

一、
 コロタイプ刷と爲せしアレキサンドラ山脈實景は、世界未曾有の珍品なり。

 英國のスコット大佐が、第一次探檢の際、大佐は天候の不良と時期の遅延との爲め上陸を得ず、海上より雲か山か判明せざるも、恐らく山脈なるべしと思はるゝ物を認めて、之にアレキサンドラ山脈の名を附し、其物の存在せる陸地をエドワード七世州と命名せり。

 随つて當時、大佐一行は、其山脈らしき物の實體を撮影するを得ず、僅に繪畫を以て雲煙糢糊たる山姿を髣髴し、其著書中に之を公けにし得たるに過ぎざりき。

 然るに我が沿岸隊が同地に航せし際には、幸にして天氣好良なりしを以て、獨り同山脈に登攀探檢を行ひ得たるのみならず、又明白に同山脈の全景を撮影し得たり。

 是れ實に開闢以來神秘の仙寰を人間に向つて開示せるものにして、啻に日本探檢隊の幸福たるのみならず、世界人類の等しく喜悦する所ならんを思ふ。

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