南極記デジタル書籍紹介

南極記:第五章 開南丸の東方沿岸探檢(原文)

 一月二十四日午後十二時、開南丸は繫留地點を出發した。

 午後十二時と云へば本邦に於ては夜半であるが、此地に於ける二月二十四日の午後十二時は夜の景色らしい物は微塵も無い。

 午前とか午後とかの區別は僅に時計と太陽の位置とに依つて知るのみである。

 此時分、南極は太陽が何時も斜に頭上を廻つて居り、少しも地平線下に入る事は無かつた。

 只太陽最低の時を以て其地に於ける夜半(正子)十二時とする。

 最も高く上つた時を以て正午とするのみである。

 斯くて開南丸は、同地を出帆して東方に向つたが、其目的とする所は、同方面に前人未航の海があり、海上常に游氷に滿ちて居ると云ふ説があるので、之を確かめん爲めに航海するのである。

 此方面には、スコットも嘗て進んだ事があるが、其航路は非常にエドワード州の沿岸に接近して氷島の内側の方を進んだので、竟に氷に閉ぢられて、進行不可能と爲り引返したのである。

 開南丸は此の如き運命に陷らざるやう、スコットの航路より少しく北を東に向ひ、氷島の外を通過して航海せんとしたのである。

 二十五日午前零時三十分、船は多數の氷山に遭つた。

 同八時又も一個の大氷山に遭つたが、天氣は幸に快晴である。

 同十一時四十五分、左舷に轉じた。

 午後八時右舷に當りて數個の氷島を見た。

 此氷島は周圍八哩より二十哩位のものだが、形は楕圓形で上部は扁平である。

 其水面上に表はれて居る高さは、普通の氷堤と同じく百五十尺乃至二百尺位のものである。

 殆ど島と思はるゝ程大きく、定着して動かない氷と考へらるゝので、氷島と呼んで居る。

 同十時頃少しく雪降りしも暫らくにして歇んだ。

 スコットの探檢記には、此邊に於ける陸の存在に就き、下の如き記事がある。

 『熱心に陸はなきやと凝視し結果、高き雪の坂を有する少しく起伏狀ある線を見た。

 然れども只薄暗き白き空を見るのみにて、岩石の露出等は認めず、尙ほ、此の如く見ゆる山脈すら太陽が南に低くなる際には消失した』と書いてあるが、開南丸の船員等はアレキサンドラ山脈が一行の記念標を建てし地點より東方に向ひ約三十餘哩の間、連亙して氷堤に至つて盡くるを見し外、同山脈が更に東方に延長して居るのは認めなかつた。

 只山脈の見えずなりし後も尙暫くの間氷堤だけは東に向つて走るのを見た。

 之は開南丸の航路がスコットの航路に比して北方を通過した爲でもあろうが、同船員等は此以外には何者も認め得なかつたのである。

 十二時半頃高さ百五十尺周圍一哩位の氷山に遭つた。

 直径五、六間乃至十間位の流氷にも多く遭つた。

 其流氷は頗る猛烈に海を壓して來るので、之には少なからず困難した。

 是等の流氷、氷山等を警戒しつゝ氷島を右舷七哩に見て尙も航海を續けて往くと、廿六日午前三時三十分、前面一帶は流氷及積氷(之は幾多の氷が密集して積み重なり殆ど堤防の如くになり居るを云ふ、然れども沿岸に聳ゆる百尺乃至百五十尺の高さの氷堤とは異るを以て茲には單に積氷と云ふ)と爲つた。

 で之を避けつゝ汽帆兩走を以て氷海を縫つて往つたが午前四時に至つて雪がチラチラ降出した。

 波は積氷の多い爲め、比較的靜かである。

 同八時に至つて右舷一帶積氷のみと爲つた。

 それを避けつゝ尙も勇氣を鼓して進むに正午に至りて右舷一帶又もや積氷を認むるのみならず、大氷山も其間に少なくないので、船は非常の困難に陷つた。

 試に檣頭の見張臺より東方一帶を見渡すに前方約貳十海里は眼裏に映じ來るも只是れ、氷山流氷の密集にて一望際なく、白皚々たる光景である。

 殆ど進行不可能である上、開南丸がシドニーより積來りし石炭及水は最早殘り少なく爲りて五十五噸の石炭は十六噸に四十五噸の飲料水は、十五噸にも減じて來たので、止むなく船首を返す事にした。

 此地點は西經百五十一度廿分、南緯七十六度六分である。

 スコットが先年進みたる西經百五十二度に比すれば丁度四十分丈多く東方に進み、更に檣頭より東方二十海里を展望し得たのである。

 此點より見れば慥に既往に於ける記錄を破つて居るの開南丸は是より、陸上本隊根據地たる鯨灣に向はねばならぬが、其途中に於て、西經百五十八度四十分、南緯七十七度五十分の附近に、帝王ペングイーン鳥の群集し居る小灣あるを聞いて居たので、其灣に立寄ることに決定した。

 斯くて方向を其方面に取り航海すると、右舷は一帶の流氷にて、其物凄さ言はん方なし、左舷には遙に、氷島、氷山、流氷等が見える。

 之を眺めつゝ西方に向ひて航海すると廿七日の午前四時に至つて左舷遙に、エドワード七世州のアレキサンドラ山脈を望んだ。

 此山脈こそ、我等が苦戰奮闘の跡なので、一同相顧て感慨無量であつた。

 同日の正午に至るも右舷は尙一帶の積氷であつた。

 午後四時には流氷氷山等が最早ポツリ〱と來るのみと爲つた。

 同日夜半十二時に至りて船の周圍は流氷及氷山に依つて取圍まれた。

 けれども汽帆兩走を以て之を脱出した。

 元來エドワード七世州の海は日本沿岸隊の上陸點を中心として十哩ばかりの間、海水が藍色を爲して居る外、皆薄き茶褐色を帶びて居る。

 之が影響を受けてか流氷中にも往々茶褐色の物が見える。

 此日流氷上に幾多のペングイーン鳥が快げに眠り、其中一頭が立つて見張をして居るのを見た。

 廿八日午前一時三十分船首を東南東に向けた。

 又も時々多くの氷山流氷等に遭遇したが、午後二時に至つて、目的地に於ける氷堤の東端に近き地點に到つた。

 所が又も時々吹雪があつて、風波も尠なくないので漂蹰を續けて居ると、軈て、廿九日午前五時天候快晴となつたので、船首を灣内に向け、午後二時目的地地點に到達した。

 最初此地點を探檢せんとせし目的は無論多數のペングイーン鳥を捕ふるにあつたが、來て見れば少しも鳥類は居ない。

 只灣形が種々に出入して、其緣に氷堤が高く聳え、頗る美觀を呈して居るだけである。

 試に灣内を視るに、灣内には今や三個の氷山と無數の流氷とが浮いて居る。

 其浮いて居る流氷上に、少しく點々たる黑色の物が見えるので何者ならんと、研究に出掛ける事にした。

 其指揮役は土屋運轉士である。

 釜田、渡邊の兩水夫に短艇を漕がしめて接近して往くと、高さ三十間周圍四丁ばかりの巍然たる氷山の傍らに、長さ三間幅二間位の流氷がある。

 其流氷上に黑色の土に混じて石塊が多く附着して居る。

 で之を取りて短艇中に收めた所、重量は孰れも六百匁位あり、其數は十個以上もあつた。

 尙左方大氷堤の下を眺むるに、黑色の物が見えたので、それを研究せんと進んで行くと、之も流氷に黑き泥の附着せるものであつた。

 けれども、未知の海へ來て氷堤に接近しては、危險であるので、其物の何かを確めただけで、少しく本船の方へ漕ぎ始めた。

 すると其一瞬、天地も碎けよとばかりい一大音響がした。

 驚いて振返ると、タッタ今自分等が石塊を取つた流氷の傍らにありし一個の氷山が、此大音響と共に、突然海中より天を指して浮き上りつゝあるのだ。

 浮き上りつゝ水中より大小幾百の氷塊を空中に向つて飛散しつゝあるのである。

 近傍に在るものは、人も船も氷も石も、木端微塵に砕けよとばかり飛散せしめつゝあるのである。

 只氷塊を飛散せしむるばかりでなく、猛烈無雙、龍卷の如き勢を以て、海水を中空に吹上げつゝあるのである。

 氷山の頂にあつた白雪を雲かとばかり海中に吹き落しつゝあるのである。

 見る間二分間に三十間ばかりの氷山は、其姿を三倍以上も水上に現はして、百間許りの氷の姿!悠然として靑空に聳えたのである。

 其壯!其悽!誠に塵睘に於ける現象とは想像されない程であつた。

 熟視すれば氷山は高さが增したと共に、其體は著るしく右方に傾いて來た。

 殆ど六十度の角度位に傾いて來た。

 本船では此光景を見て、三人は必ず殺されて終つたに相違ないと思つて居たが、幸にして歸り來つたので、大喜びであつた。

 互に今日の無事を祝し、且未曾有なる奇現象を評論し合つた。

 端艇の指揮役であつた土屋運轉士は此灣に向つて大隈灣と命名した。

 此日は天候の都合で近傍の海上を漂蹰して居た。

 翌三十日午前十時又々端艇を下ろして、前日實見せし氷上の黑い物を取りに往つた。

 其人名は、酒井、西川、渡邊(鬼太郎)柴田等である。

 斯くて又も流氷に近づいて調べて見ると、昨日見たる、黑き泥は、氷と泥との凝結したもので中に小砂利を含んで居る事を發見した。

 其傍らに昨日多くの石を取りし流氷が昨日とは異りたる面を現はして居たが、其面に大なる石を含んで居たので採收した。

 此石は目方が三十貫程もあり、素敵に大きいものであつた。

 此邊には何故流氷に石が附着し居るぞと云ふに、之は海底に氷結して居た氷が、或作用に因り海底を離るゝ時、それと共に巌石土砂等を銜へ來るものと思はれる。

 若し遠くより來れりとすれば、石は鋭角でなく、土砂は洗ひ去られて居る筈だが、それが細粉狀を爲し、石が鋭角を爲して居る點から見れば、此地點のものが或る作用により流氷に附着したものと考へられる。

 此珍らしき標本を得たので喜んで、本船に歸らうとすると、其途端、端艇の傍らへ一頭の大鯨が現はれた。

 ニュットばかり黑色の背を表はして、尙ほも潮でも吹き出しそうなので、驚いて眺めて居ると、軈て悠然として、其拾間ばがりの雄姿を海中に沒して終つた。

 上を眺むれば數百尺の氷堤聳え、下を望めば氷海横行の極鯨潜む。

 其中間に一葉の小舟を浮べて活動する危さは、殆ど風前の燈の如きものであつたが、無事本船に歸る事が出來た。

 本船では此灣口を測量し見たるに、口径東西參哩半南北約貳哩程もあつた。

 それより又深さを測量し見るに、百三十尋あり、底は皆硬い石であることが知られた。

 此灣内の海水は開南丸の到著當時より茶褐色を帶びて居たが何の原因に基くかは不明である。

 海上には小さき海老が居たので之を採取した。

 一月三十日午後一時十五分此灣を出て、鯨灣に向つた。

 午後四時若干の降雪があつた。

 左舷約一海里半乃至三海里に氷堤を望みつゝ進んだ。

 此日巨大なる氷堤の海中に落下するを見た。

 氷堤の方に當り突然大砲の如き大音響を聽いたので、何事ならんと眺めると、非常なる水烟が立て、其後から長さ五十間もあらんと思はるゝ大きな氷山が浮いて來た。

 之は氷堤が缺けて落たのである。

 何の氷堤にも大抵上部には亀裂があるが此亀裂が初めは一寸位の幅なのが晩方には五寸と爲り翌朝は一間と爲ると云ふ風に增加して、竟に長距離の間が缺けて落ち、それが氷山と爲つて流れ出すのである。

 其光景は實に悽しいものである。

 三十一日午前二時頃より濃霧襲來し時々晴れて又霧となつたが、正午に至つて全く晴れた。

 午後零時三十分、甞て一度上陸せんとせし事ある開南灣の灣口を距る二海里半の地點を通過した。

 灣は元の如く存在して居たが、一行が上陸の時踏破せし野氷は悉く流れ去つて居た。

 彼の海豹と戰ひたりし所なぞは、無論影も形も無くなつて居た。

 只切斷したるが如き氷堤が斬然として高く峙てるのみであつた。

 此時風位惡しく、船は徒に開南灣と鯨灣との中間の洋上を漂ふのみであつたが、二月一日も同様の天候で殊に降雪さへあり、咫尺を辧ぜざる事も少なくなかつたので、前日と相似たる位地を一進一退して居た。

 二月二日も或は風浪高く、或は吹雪あり容易に灣内へ入り得なかつたが、午後十時愈々鯨灣内に突入した。

 然るに灣内の光景は前に己等が此灣を抜錨せし後、著るしく變化した。

 抜錨の當時は灣内全部、野氷を以て張詰められて居たが、今歸つて見ると、流石に廣き灣内の野氷も概ね海上、遙に流れ出で、船も深く入り込み得るように爲つて居た。

 抜錨の當時灣内に碇泊して居たフラム號も、何時の間にやら、何處へか往つて終い、今は其影さへ見られないのである。

 灣口の光景が斯く變つては、根據地の位地が判定されないので、船員は午後十一時檣上の見張臺に上つて見た處、左舷氷堤上に、ポットした黑い物を見た。

 之は天幕には相違無いが、それが諾威のか、日本のか、少しも判らないのである。

 けれども、大體日本の物に相違なかるべしとの推定を附けたので、其方面に進み、氷堤に接近し。

 汽笛を鳴らしたが、答ふるものは、氷原に吹荒む風の音のみであつた。

 三日午前一時、船は灣内適當の地に到りて陸上隊と聯絡を取る爲め端艇を卸す事と爲つた。

 之に乘込みしは、西川、多田、渡邊(近三郎)の三隊員釜田、渡邊(鬼太郎)の二船員である。

 彌が上に荒れ狂ふ海上も何のものかはと一上一下しつゝ進んで往つたが端艇の危險は此上もない。

 今にも海中の藻屑とならんと思はれる位であつたが、漸くにして少しく傾斜する場所を發見したので、漕手をして、其處に艇を繋がしめ、隊員、船員、打揃つて氷堤を攀登らうとした。

 西川隊員は第一に氷上に踊り上つた。

 續て多田隊員が船を出でんとする途端、西川隊員の立てる足元の氷は急に裂け初め、異様の音響を發して二坪程の氷塊となり渡邊諸共海中に落込んだ。

 其氷は憐むべし、フカリ〱と流出したので一同之には驚いた。

 其際西川隊員は兩足海中に沒し、兩手のみ氷塊に取付きつゝ『助けて呉れッ』との聲も出し得ず只管藻搔いて居たのであるが、渡邊隊員は之を見るより急ぎ同隊員の頭を押へた。

 それが爲め頭は全く雪中に沒したが時しもあれ、氷の裂けし反動にて、五六間後方に押遣られた端艇は、此處へ漕ぎ來り急ぎ兩名を收容したので、同隊員等も漸く極海の鬼となるを免がれた。

 此時全員は氷の裂壊が、何時如何なる範圍まで、危險を及ぼさずとも知れないので、警戒の結果、短艇の準備を完全にし、いざと言はば危急を救ふべき充分の手筈を整へた。

 兎角する中、一大吹雪は突如として襲ひ來つた。

 天地は爲めに冥濛として前方僅に十五六間しか見えない。

 是では暇令上陸が出來るも、到底根據地までは進む事が出來ぬ。

 それ故寧ろ雪の晴るゝを待つて、作業するに如かずと云ふ者もあつたが、西川隊員はそれを肯んじない。

 吹雪何かあらん、折角此處まで來りながら。

 目的の根據地に達しないと云う法あらんや。

 尙も前進を續けやうと主張したので、一同も之に從ひ前進を續けて居た。

 然るに吹雪は益々烈しくなり、最早一歩も進むことが出來なく爲つたので流石の勇士も竟に進行を思ひ止まり、一旦本船にまで引返す事とした。

 すると天候險惡の爲め本船は一旦灣外に出る事と爲つた。

 午前十一時頃幾分天候も回復したので、遙か氷堤の上を眺むると、五個の黑影が蟲の如く氷堤上に見えて居る。

 船員は之を見て、是は「畢竟探檢本隊員の根據地に歸還し居るに相違無し」とて大に喜んだ。

 其理由は根據地に留り居たるは、僅に二名なるに今此黑影は五個あるからである。

 午後一時半、天候は殆ど回復したので、船は氷堤近く進んで往つた。

 此時陸上にても開南丸の姿を認めしと覺しく、前の黑影は氷堤の端に歩み寄り、出來得る丈船に接近せんと試みつゝある。

 暫くにして氷堤上と本船の檣上との手眞似の挨拶が始まつた。

 全然菎蒻屋の六兵衛問答のやうな態であつたが、それでも意思は通じたと見え、本船は間もなく灣内深く入込んで往く。

 すると陸上でも之に遅れじとでも思つたか、多數の犬に橇を曳かせ、本船と並行して氷堤上を疾走しつゝある。

 正に是れ一幅南極の好書圖とでも評すべきであらう。

 其光景は實に見事なものであつた。

 午後八時に至り一隻の短艇を卸して土屋運轉士之に乘じ、隊員三名船員貳名と共に今朝登攀を試みし地點に向つた。

 一方は短艇上他方は氷堤上で談話を爲し、双方の無事を語り合つた上、海陸兩者の聯絡を附けた。

 其地點は氷堤の高さ約五十尺であつたが、それより縄梯子を以て、人間と荷物とを卸さんことを約束した。

 氷堤の上では、山邊花守の兩アイヌが氷を搔いて荷物を卸す場所を作つて居る。

 本船では更に傳馬船一隻短艇一隻を卸して、氷堤の下へ到らしめたが、風と潮との加減で、灣の奥より續々氷塊が流れ來り、到底小船を繋ぎ得なかつた。

 で少しく沖へ傳馬船を遣り荷物を積まうとしたが、此處の氷堤は前のよりも高い。

 六十尺も綱を下さねばならぬのである。

 けれども荷物は大抵此場所から卸した。

 荷物ばかりでなく人間も一人此場所から降りた。

 それは船員柴田である。

 柴田は何!日本男兒が此位の處を降り得ない事があるものかと、己れの身體に麻縄を確と結び附け、此銀壁の如き大氷堤を降りんと企てたのである。

 氷堤上には船員渡邊鬼太郎、木工安田伊三郎の兩人が氷上に除雪鍬を立て麻縄の端をそれに卷いて持つて居る。

 柴田は我が勇悍なる氷堤降りの光景を見よやとばかり、六十尺の絶壁より身を踊らしスルリ〱と下に降る。

 其勇悍さは人か鬼か日本男兒にあらざれば爲し能はざる所である。

 軈て無事降り終るや堤上と堤下とには期せずして萬歳の聲が湧いた。

 他の一方では出來る丈奥へ短艇を遣つた。

 すると氷堤の壊れて斜に爲つて居る場所があつたので其處より陸上本隊員を乘船せしめた。

 大體此の如き有様で船員隊員共殆ど晝夜兼行の姿て此引揚事業には働いたが、其間には屢々肌に粟を生ずるやうな危險を冒した事もある。

 或る時の如きは數十尺の氷堤が傘の如く海上に覆ひ懸り今にも壊崩れんとする大危險の場所を急ぎ小船に乘つて通過した事などがある。

 此様な困難に遇ひつゝ、二月三日の午後八時から四日の午後十時までに諸般の物を運び終つたが、天幕と氣象觀測臺とは記念の爲めに陸上に遺して措いた。

 處が天候が漸々惡くなり始めた。

 流氷が續々流込んで來た。

 人を乘せた場所、荷物を載せた場所も所嫌はず氷が張詰めるに至つた。

 其變化の迅い事は實に驚くばかりである。

 で止むを得ず六頭の犬に端艇を曳かせて新に張詰めたる氷上を走らせ、而る後急ぎ小船へ飛乘つたのである。

 此時に當つて南方の風は強く雲を捲いて起り、殊に盛んに雪さへ加はつたので其物悽さは一方でなかつた。

 船中では遙に此光景を見て急ぎ端艇を扶けしめ、辛ふじて本船に入らしめた。

 斯くて雪は益々烈くなりて咫尺を辧ぜず、風は頗る強くして飇々として吹き荒むので、竟に灣内に留まる事が出來ず、急遽此地を出帆した。

 今や人間の生命の危い場合であるので、廿頭の犬は可憐に堪へぬけれども、止むを得ず此處に措いて立去つた。

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