白瀬南極探検隊員の紹介(船員)
●丹野 善作:一等運転士①

●データ
丹野 善作 41歳
宮城県石巻市渡波
明治4年11月2日生
昭和18年1月20日没
■紹介
一次隊での行動
船員の中では、一番最後に採用が決まる。 野村船長を補佐し、副船長に近い立場にあったと推測される。シドニー滞在中に、日記風の「思ひ出乃儘(思い出のまま)」を記している。 探検後は、民間船舶の船長などを務め、72歳の時に佐賀県唐津港で仕事中に倒れ死去。
丹野の二次隊への不参加の理由については明らかにされていないが、一次隊の撤退後、隊員たちは様々な葛藤を抱え、不平不満も噴出したようである。その中で、その矛先が、撤退の判断を提言した野村船長と一等運転士である丹野に向かったようである。多田恵一探検隊書記長(当時)の著書「南極探検私録」の中では、大筋として「野村直吉船長と丹野一等運転士の専横的行動について、われわれ隊員として黙過できないことが起きた。それはシドニー到着の際だった。…(中略) ついに両氏の排斥問題が持ち上がったのである。」と記している。
このことについては、開南丸のシドニー入港後、野村船長と多田の二人が日本郵船で一時帰国した際、問題の解決を探検後援会の幹事会議にまで持ち込んでいる事実からも、極めて深刻な問題だったと推測される。この事態に対して大隈重信伯は、白瀬の報告書を見、多田の報告を聞いたうえで、「いま排斥などの処置をなすべき時ではない。内紛は断然止めなくてはならぬ。」と説諭し、野村と丹野は留任と決定した。しかし、丹野は結局シドニーで下船しており、この問題と無関係ではなかったと推測できる。
■参考文献
「南極記」 南極探検後援会長 大隈重信
「南極探検私録」 多田恵一「雪原に挑む 白瀬中尉」 渡部誠一郎
丹野善作
父 = 母
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長女:丹野もよ 長男:丹野喜作 次男:丹野善作
【1】
【1】 次男:丹野善作 = 次男妻:丹野幸恵
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長女:佐々木秀子 長男:丹野逸雄 次男:丹野兼治
【1-1】 【1-2】 ▷─┬────────┐
次女:小栗君恵 三男:丹野 収
【1-3】
【1-1】 長女:佐々木秀子 = 長女夫:佐々木
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長男:佐々木 次男:佐々木 三男:佐々木
(宮城県石巻市) 【1-1-2】
【1-1-1】
【1-2】 長男:丹野逸雄 = 長男妻:丹野
│
長男:丹野
【1-3】 三男:丹野 収 = 三男妻:丹野
│
長女:渡部
(宮城県塩釜市)
【1-1-1】 長男:佐々木 = 長男妻:佐々木
(宮城県石巻市) │
長男:佐々木
(宮城県石巻市)
【1-1-2】 三男:佐々木 = 三男妻:佐々木
│
長女:田中
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