記録

会報

白瀬矗を生んだ金浦

調査専門委員  石船清隆(白瀬記念館学芸員) ■金浦という地域  秋田県にかほ市は、平成17年10月1日に象潟町・金浦町・仁賀保町の3つの町が合併してできました。  金浦町は明治35年(1902)から町制となりましたが、...
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会報

新年あいさつ

白瀬南極探検隊記念館 館長 阿部和久  会員の皆様へ、謹んで新年のお慶びを申し上げます。  コロナ禍に明け暮れた令和2年でしたが、当館は関係各位のご支援により、開館30周年を迎えましたことを改めてご報告し、感謝申し上げます。 ...
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会報

年頭のごあいさつ

理事長 佐々木松美  コロナが収束しないまま令和3年を迎えました。秋田県でも罹患者が増えてきております。ワクチンが開発されましたが、いつになったら接種が国民に行き渡るのでしょうか。  昨年は、白瀬南極探検隊記念館が竣工して30...
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BLOG99

南極記の第2章、ふりがな付けが終わりました。

長かった! やっと終わりました。 すごい達成感です。 まだまだありますが、頑張ります! 大冒険記です。是非皆さん読んでみてください! ふりがな付けましたので、若い人でもスラスラ読めます! でも、語彙そ...
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Project2020親族調査

親族の身元調査10/26(石井)

白瀬南極探検隊員で情報が少ない隊員の「手がかり」を探りました。 安田伊三郎(やすだ いさぶろう)静岡県出身。船大工32歳。没年不明釜田儀作(かまだ ぎさく)石川県出身。舵取り27歳。没年不明渡邊鬼太郎(わたなべ おにたろう)愛媛県出...
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南極記デジタル

南極記:第八章 濠洲シドニーの露營生活(原文)

 南極洲の山姿陸影を認めながら群氷の爲めに前進するを得ず、恨を呑んで空しく濠洲シドニー港へ引還して來た開南丸は、明治四十四年五月一日無事同港へ投錨はしたが、困つた事には、此地は例の排日思想の盛んなる場所である。  同地の官民は種々猜...
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南極記デジタル

南極記:第七章 最初の探檢(原文)

 抑も南極探檢の事業が普く社會に紹介されたのは、實に明治四十三年七月五日錦輝館に於て發表演説會を開いた時に淵源するのである。  其の詳細は卷末に附した南極探檢後援會の經過に述べてあるから、茲には略すが兎に角、此前古未曾有の事業は白瀬...
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南極記デジタル

南極記:第六章 南氷洋の再航(原文)

 危機一髪、漸くにして逃れ出でし開南丸は、二月四日午前十一時出帆後、絶えず吹雪と流氷とに襲はれつゝ進んで往つたが、明くれば五日、船は今しも目指すコールマン島方面に向つて、氷海を駛走して居る。  之れは同島に立寄りて、ペングイ...
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南極記デジタル

南極記:第五章 開南丸の東方沿岸探檢(原文)

 一月二十四日午後十二時、開南丸は繫留地點を出發した。  午後十二時と云へば本邦に於ては夜半であるが、此地に於ける二月二十四日の午後十二時は夜の景色らしい物は微塵も無い。  午前とか午後とかの區別は僅に時計と太陽の位置とに依つ...
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南極記デジタル

南極記:第四章 エドワード七世州の探檢(原文)

 一月十九日、陸上隊員七名を鯨灣上の根據地に殘して、午後五時三十分、開南丸はキング、エドワード七世州に向げ出帆した。  氷堤を右舷一哩半、乃至三哩の距離に見つゝ進行したが、天氣が靜穩なので、海上は何事もないのである。  其翌廿...
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